英語圏への冷遇、18万人以上が自宅から避難
カメルーンは人口約2,400万人、10の州からなる国で、大半がフランス語圏であるものの、人口の約20%を占める北西州と南西州の2州はイギリス領であったために英語圏だ。かねてからそのふたつの英語圏では、重要な役職への偏った人事をはじめ、中央政府からの冷遇政策に不満がくすぶっていた。「例えば親が10人の子どもたちのうち8人をかわいがり、他の2人に冷たくあたれば、当然その2人は不満を持つでしょう。それと同じようなことが国として起きていたんです」。
2016年10月、教員や弁護士の団体のストに呼応する形でデモが拡大。武力で応じる政府軍や、一部先鋭化した分離独立派の間で今でも混乱が続いている。今年7月の国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチの報告によると、犠牲者は増え続け、18万人以上が自宅からの避難を余儀なくされているとしている。政府軍による過剰な武力行使や拷問、村の焼き打ちの他、分離独立派による民間人の誘拐、殺害も指摘されている。
突然、自宅に警官が
チェングワさんは農業などで生計を立てる両親の元、3人のきょうだいと共に暮らしてきた。ごく穏やかな日常が、ある日突然粉々に砕かれた。突然自宅に警官が押し入り、一家は茂みに息を潜めた。逃げ遅れた弟が連行され、投獄された。兄は更なる迫害を恐れ、隣国に逃れている。「権力を持っている人々が全てをコントロールし、私たちには口を挟む余地もありません。私たちはあの国でマイノリティーとして生きていました。もう神の介入を祈るしかない状態でした」。
混乱は収まるところを知らなかった。むしろ日増しにエスカレートし、彼女自身も他国へ逃れることを考えざるをえなくなった。「焼き払われ、もう“存在しない”村さえあるんです。人々はほとんど何もかもを置いたまま、隣国へと逃れていきました」。
身を切られる思いで、幼い一人娘を故郷に残す
チェングワさんには故郷に残してきた一人娘がいる。日本でいえばまだ小学校に通っている年齢だ。当然、娘と離れ離れになどなりたくはなかった。けれども幼い娘を連れ、母子だけで何のつながりもない異国の地へと逃げることは、娘にとってもリスクは高かった。身を切られるような思いで、彼女を母へと託すことになる。こうして一家はまた、引き裂かれていった。
アラブの国を1カ国経た上で、チャングワさんは英語圏の国ではなく日本行きのビザを申請した。言葉の全く通じない国を、なぜ彼女は選んだのだろうか。「ビザが一番早く手に入るのが、日本だという話を聞きつけたんです。とにかく早く、とにかく安全な場所へと逃れることしか考えていなかったんです」。国の名前さえおぼろげにしか知らなかった国に降り立った時、頰に当たる風はすでに刺すように冷たかった。