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日本の物価の高さにとまどう

 気候の違いに加え、何を買うにしても値段の高い環境にもとまどったという。「何もかもが賄賂次第だった自分の国に比べればましだけれど」と彼女は笑いながらも目を伏せる。とにかくこの物価の高い国で生き抜いていかなければならない。

 難民申請から6カ月後、チェングワさんには就労許可が下りた(※注1)。ただし日本語はおろか、日本のことをほとんど知らずに来た彼女にとって、最初に直面するのは言葉の壁だ。難民申請者の方々に対する公的な日本語教育支援はなく、民間の力に頼っているのが現状だ。チェングワさんも難民支援協会(JAR)が行っている「就労準備日本語プログラム」を受けた。体調が悪いときも休まず通い、再テストとなることが一度もなく、1日3時間、全60日間(180時間)のクラスを修了した。「何も分からない私たちに日本語を教えようと力を注いでくれている人たちが待っているんですもん。簡単に休むわけにはいかないと思ったんです」。

 けれどもこの難解な言語を用いて仕事ができるようになるまでには、更なる時間を要するだろう。「とにかく仕事を」と訪れたハローワークで手渡された冊子は全て、ルビのない漢字表記のものだった。

拡大日本語クラスに通っていた頃のノート。一文字一文字、丁寧に綴られていた

日々の生活でも言葉の壁

 日常の節々でも、言葉の壁はつきものだ。体調を崩して病院に行っても、医師には「頭が痛い」としか言えず、それ以上の詳しいことが説明できない。「日本の近しい友人が欲しいけれど、今は近所の人たちに「おはようございます」と声をかけるので精いっぱいよ」。同じくカメルーンから日本に逃れてきた知人たちがいるものの、それぞればらばらの地域に暮らしている。限られた保護費(※注2)の中で生きている彼女にとって、友人に会いにいく交通費の捻出も時に難しい。

 昨年の難民認定者がわずか20人という、非常に認定が厳しい国だということも彼女は知らないままこの国に来ている。「私が選ばれるかはもちろん分からないわ。祈ることしかできない。でもその小さな枠の中に同胞たちの誰かが入ることができたら、それはそれで素敵なことよ。感謝するわ」。

 ふと顔を上げて遠くを見るチェングワさんの視線はどこか、いるはずのない娘の姿をそこに探しているように見えてならなかった。自国のネット環境や通信環境は安定せず、もう9カ月もの間、娘たちとは連絡が取れていないのだという。「きっと母と一緒に故郷の村周辺にいるはずだけれど、それさえも定かではありません」。

 「故郷」とは単に土地を意味するのではなく、心から愛する人や大切なものがそこに存在してこそのものだろう。彼女にとって日本はまだまだ「異国」でしかない。けれども、自らの力の及ばない何かによってその地を追われた人々が日本に逃れてきたとき、せめて安心して家族を想う時間ぐらいは守ることができないだろうか。いつか娘たちと連絡を取れたとしても、難民申請中の方々に家族の呼び寄せが認められた事例はこれまでごく一部に留まっている。

 無事に過ごしているのか、元気でいるのか。抑えきれない不安を抱えたまま、もうすぐ娘の誕生日が来ようとしている。

拡大まだ慣れない、という東京の街を歩くチャングワさん

(※注1)チャングワさんが難民申請をした当時、申請後6カ月経過しても審査結果が出ていない場合に、在留資格変更申請の上、難民認定申請の結果が出るまで、就労が認められることになっていた。(ただし申請時に仮放免、仮滞在、オーバーステイなどの正式な滞在資格を持ち得ていない場合は認められない。)ところが2018年1月15日以降は運用が見直され、難民申請後2カ月以内に申請者を①難民の可能性が高い人、②明らかに該当しない人、③再申請を繰り返している人、④その他、に分け、①には速やかに就労を許可、②や③については就労不可としている。ただし難民該当性が高い①に分類される人は全体の1%に満たず、庇護を求めているにもかかわらず、生活する術を得られない人々がさらに増えることが懸念されている。

(※注2)難民申請者は、外務省から委託を受けたRHQ(難民事業本部)から保護費(生活費・住居費・医療費)を受給できる。ただし例えば家賃は月上限4万円、敷金礼金の支給もなく、都市部から離れた場所となってしまうことが多い。

(この連載は毎月第4土曜日に掲載します) 

     

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筆者

安田菜津紀

安田菜津紀(やすだ・なつき) フォトジャーナリスト

1987年神奈川県生まれ。Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)所属フォトジャーナリスト。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、カンボジアを中心に、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で貧困や災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。写真絵本に『それでも、海へ 陸前高田に生きる』(ポプラ社)、著書に『君とまた、あの場所へ シリア難民の明日』(新潮社)。『写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-』(日本写真企画)。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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