小宮京(こみや・ひとし) 青山学院大学文学部教授
東京大学法学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。専門は日本現代史・政治学。桃山学院大学法学部准教授等を経て現職。著書に『自由民主党の誕生 総裁公選と組織政党論』(木鐸社)、『自民党政治の源流 事前審査制の史的検証』(共著、吉田書店)『山川健次郎日記』(共編著、芙蓉書房出版)、『河井弥八日記 戦後篇1-3』(同、信山社)など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
秩父宮雍仁親王と松平勢津子の結婚で果たした役割
山川健次郎という人をご存じでしょうか? 明治維新に際し“賊軍”とされた会津藩出身でありながら、日本初の理学博士となり、東京帝大総長を務め、昭和天皇の教育に携わるなど、近代日本の教育界に大きな足跡を残した人物です。山川氏に注目することで、近代日本を「敗者」の視点から読み直すことができるという小宮京・青山学院大学文学部准教授が、氏の遺族や関係者の協力を得つつ、一次資料に基づいて、その足跡を明らかにするシリーズ。第2回は、昭和天皇の弟宮である秩父宮雍仁親王と松平節子(のち、勢津子)の結婚において健次郎の果たした役割を論じます。
「会津の歴史認識と山川健次郎」に引き続き、山川健次郎と会津との関わりについて書いてみたい。山川健次郎は会津出身で(以下、健次郎と呼ぶ)、東京帝国大学総長、九州帝国大学初代総長、京都帝国大学総長を歴任するなど、近代日本の教育界を中心に大きな足跡を残した人物である。会津の歴史認識の形成に大きな役割を果たした健次郎はまた、晩年まで会津の雪冤(せつえん)に尽力している。
その具体例として挙げられるのは、没後に刊行された『会津戊辰戦史』の監修と、昭和天皇の弟宮である秩父宮雍仁親王と松平節子(のち、勢津子)の結婚である。節子の父の松平恒雄は、幕末に京都守護職を務めた会津藩主・松平容保の四男であった。この結婚は、ながらく「朝敵」とされた会津関係者にとって、きわめて大きな転機と位置付けられている。
皇族に関する事柄であり、結婚の詳細については不明な点も多い。かつて『山川健次郎日記』(尚友倶楽部・小宮京・中澤俊輔編、芙蓉書房出版、2014年)を刊行した際も、資料が少ないため、解説でわずかに言及したにとどまる。
今回は、この結婚において健次郎の果たした具体的な役割を論じたい。その際、健次郎のご遺族所蔵の関係文書から新出の書簡を用いることで、これまで知られていない事実を明らかにする。
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