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得票データから読み解く沖縄県知事選の民意

久保慶明 琉球大学人文社会学部准教授(政治学)

沖縄県庁に初登庁し、職員から花束を受け取る玉城デニー氏(左)=2018年10月4日、那覇市沖縄県庁に初登庁し、職員から花束を受け取る玉城デニー氏(左)=2018年10月4日、那覇市

 2018年9月30日、第13回となる沖縄県知事選挙(以下、知事選)が執行された。佐喜真淳、玉城デニー、渡口初美、兼島俊の各氏が立候補し、玉城氏が当選した。今回の知事選で示された「民意」はどのようなものだったのか。過去の知事選との比較を中心に読み解いていきたい。

 なお、本稿の要旨は沖縄タイムス紙上で既に公表したものであるが、その裏づけとなるデータを本稿では示していく。用いるデータの出所や沖縄県内の市町村地図については本稿の末尾を参照されたい。

過去最大規模の沖縄県知事選

 当選した玉城氏の得た39万6632票は、1998年に当選した稲嶺惠一氏の37万4883票を超え、過去最多となった。ただし、有権者数、投票者数、期日前投票者数、有効投票数も過去最多となった。つまり、今回は過去最大規模の知事選だった。

 選挙当日の有権者数は1972年の第1回以来一貫して増加してきた。2018年は選挙権年齢引き下げの影響もあり、2014年から4万8478人増え、過去最多の114万6815人となった。投票者数72万5254人と有効投票数7万210票も1998年を上回り過去最多となった。

 期日前投票者数40万6984人は2014年の約2倍となり、過去最多を記録した。各陣営の呼びかけや台風来襲の影響とみられる。

 たとえばTwitter上では、佐喜真氏@AtsushiSakimaが17回、玉城氏@tamakidennyが10回、期日前投票に関してツイートした(リツイートは除く)。さらに玉城氏は台風による期日前投票所の閉鎖状況を3回ツイートした。

 投票率は前回から微減の63.24%(有効投票率62.80%)となった。翁長氏の急逝により今回の知事選は沖縄県の「統一地方選」と同月の実施となった。そのため組織的な動員が停滞する可能性があった。また、選挙戦最終盤には台風24号が来襲し、投票所へ行きにくい時間帯がうまれた。こうした事情を考慮すれば、前回から微減にとどまった投票率は低いとは言えない。

得票を上積みした自民系候補が敗れる

 過去最大規模の知事選での最多得票は、有権者の幅広い支持の結果だろうか。選挙当日有権者数を100とした得票の比率(絶対得票率)に注目したい。

 選挙報道で用いる得票率(有効投票数を100とした得票の比率:相対得票率)と違い、絶対得票率では投票率や棄権率の影響を考慮できる。絶対得票率は、相対得票率に投票率をかけた数字と一致する。選挙の得票データ分析で重視されてきた指標の一つである。

 今回の絶対得票率は、玉城氏34.59%、佐喜真氏27.59%、兼島氏0.32%、渡口氏0.30%である。この結果を理解するため、以下では候補者を「自民系」と「非自民系」に分けて考えたい。

 前回2014年の知事選では、自民党推薦の仲井真弘多氏や自民党を離れた翁長雄志氏など、保守系政治家が複数立候補した。今回の知事選もその延長線上にある。「保守」対「革新」という構図では整理できない。

 2018年の特徴は、自民系の絶対得票率上昇と非自民系の絶対得票率低下が同時に起きたこと、にもかかわらず自民系が敗れたことである。

 具体的には、自民系の佐喜真氏は2014年の仲井真氏を3.82ポイント上回り、非自民系候補3氏の合計は2014年の非自民系(翁長氏、下地幹郎氏、喜納昌吉氏)の合計を4.68ポイント下回っている。自民系は票を上積みしたが、佐喜真氏は敗れた。こうした現象は、かつて安里積千代氏が平良幸市氏に敗れた1976年の第2回以来、42年ぶり二度目である。

沖縄県知事選で落選し支援者にあいさつする佐喜真淳氏=2018年9月30日、那覇市沖縄県知事選で落選し支援者にあいさつする佐喜真淳氏=2018年9月30日、那覇市

投票率が上がった地域、下がった地域

 今回の知事選を理解するには、前回の2014年に加えて2006年と比べることが有用である。候補者全員が新人であったこと、自民系が普天間基地の移設先を明示しない戦略をとったこと、という2点で2018年と似ているからだ。

 特に注目したいのは市町村別の動向である。「沖縄県」といっても、東端と西端は約1000km、北端と南端は約400km離れ、41市町村が点在している。市町村別に丁寧にみる必要がある。

 まず、有効投票率の変化をみてみよう。全県での有効投票率は、2006年64.00%、2014年63.67%、2018年62.80%であった。2006年と2014年の両方よりも2018年の有効投票率が高かった地域は、伊江村と石垣市である。

 伊江村は、かつて「島ぐるみ闘争」の発端となった地であり、玉城氏の母親の出身地でもある。今回、玉城氏はここで第一声をあげた。石垣市は2014年の知事選で仲井真氏が翁長氏よりも多く得票した地域である(絶対得票率は仲井真氏25.15%、翁長氏24.15%)。今回は同日に県議補選が執行された。

 逆に2006年と2014年の両方よりも2018年の有効投票率が低かった地域は、久米島町と渡嘉敷村である。いずれも2014年に下地氏が高い得票率を記録した地域である。県全体の6.32%に対して、久米島町15.89%、渡嘉敷村10.93%だった。両町村での有効投票率低下は、佐喜真陣営への維新の推薦が有効に機能しなかったことを示唆する。

翁長氏の得票を維持し支持を拡げた玉城氏

 得票率の検討に移ろう。兼島氏と渡口氏の絶対得票率は0.5%に満たないため、市町村別の傾向を捉えにくい。以下では玉城氏と佐喜真氏に限定する。

 非自民系である玉城氏を2006年の糸数慶子氏、2014年の翁長氏と比べてみると、2018年の玉城氏の得票パターンは2014年の翁長氏と似ている。全県的にみると、玉城氏は29市町村で翁長氏を超えたが、久米島町や宮古島市など9市町村では2006年の糸数氏を下回った。これらは翁長氏が集票に苦しんだ地域である。

 ただし、そうした地域の中で、宮古島市で約9ポイント、多良間村では約7ポイント、玉城氏は翁長氏を上回った。これら宮古地方は2014年の知事選で下地氏の絶対得票率が高かった地域である。県全体6.32%に対して、宮古島市21.84%、多良間村28.85%だった。宮古地方で玉城氏が票を伸ばしたこともまた、佐喜真氏に対する維新の推薦効果が十分でなかったことを示している。翁長県政の実績を評価してその後継である玉城氏を選んだ有権者や、候補者が玉城氏であったために投票した有権者がいたものと推察される。

 もっとも玉城氏への支持も盤石ではない。玉城氏の全県での絶対得票率34.59%は、全13回の知事選の中で、2010年の仲井真氏31.43%、2014年の翁長氏32.85%、2006年の仲井真氏33.50%に次いで4番目に低い。他都道府県の知事と比べると、12番目ではあるが中央値30.20%に近い。今後、より多くの県民からの支持をどう獲得していくかが課題となろう。

県庁で記者会見する玉城デニー氏=2018年10月4日、那覇市県庁で記者会見する玉城デニー氏=2018年10月4日、那覇市

初当選時の仲井真氏を越えられなかった佐喜真氏

 次に、自民系である佐喜真氏を2006年と2014年の仲井真氏と比べたい。今回、佐喜真氏は、前回は自主投票とした公明からも推薦を得て、「普天間」や「辺野古」への言及を避けた。2006年との比較では、自公の推薦を受けて初当選した仲井真氏の得票水準を回復できたかが焦点となる。だが、佐喜真氏が2006年の仲井真氏を上回ったのは7市町村にとどまる。2014年に仲井真氏から離反した票を、佐喜真氏は取り戻せなかった。

 2014年との比較では、維新の推薦により、2014年の仲井真氏の票に下地氏の票を上積みできたかが焦点となる。だが、その水準を超えたのは佐喜真氏の地元である宜野湾市など7市町村にとどまる。2014年に下地氏に投票した層は、2018年には離反したか、そもそも強固な支持者ではなかったと考えられる。

 ここで、期日前投票の影響をみておきたい。市町村別にみると、2014年から2018年にかけて期日前投票率が上昇した地域ほど、自民系の絶対得票率の上昇幅が小さい。期日前投票率の増減と絶対得票率の増減の相関係数(関連の強さを表す指標。1~-1の値をとる)は、非自民系.36に対して自民系-.52である。佐喜真氏が期日前投票の時点で劣勢だったことを示すデータである。

 今回の知事選では、2014年に自民を離党した翁長氏ら保守政治家と入れ替わるように、維新が自民と選挙協力した。さらに公明や希望の推薦も受けて自民系の得票は上向いた。しかし、佐喜真氏は2006年に初当選した仲井真氏の水準に到達できなかった。政治家の動向と支持者の動向との間にある乖離(かいり)をどう埋めるかが、佐喜真氏を擁立した陣営の課題であろう。

沖縄の民意の持続と変容をもたらしたもの

 以上の検討から得られた知見をまとめると、前回示された民意が持続するなかで、自民系にも非自民系にも得票構造の変化が生じている。沖縄の民意の持続と変容をもたらした要因は何だったのか。その検討のためには出口調査や有権者調査の詳細な分析を必要とする。ここでは筆者が注目した点を3つ挙げておきたい。

 第一に、知名度の影響である。宜野湾市長であった佐喜真氏と国会議員を務めてきた玉城氏との間には、それまでの経歴も含めて、知名度の差があった。佐喜真氏はその差を詰めきれなかったと捉えられる。

 第二に、普天間基地の移設をめぐる動向の位置づけである。知事選後の全国紙社説(読売、朝日、毎日、産経は10月1日付、日経は10月3日付)からは、辺野古移設への関心から今回の知事選をみていたことが伺える。たしかに、辺野古移設の賛否をもとに投票先を決定した有権者は少なくない。だが、辺野古移設への賛否にかかわらず別の基準で投票先を決める有権者も、沖縄にはいる。より多様な民意が沖縄にはある。

 第三に、国とのパイプを強調することの限界である。今回、国とのパイプを強調したのは佐喜真氏であった。政策集(「実施政策」本文部分)で「国」に言及した箇所をみると、国との連携や協力を訴えたのは、玉城氏が全10箇所のうち3箇所であったのに対して、佐喜真氏は全14箇所のうち12箇所にのぼった。

 過去、国とのパイプを強調して自民系が勝ったケースとしては、大田昌秀氏を破り稲嶺惠一氏が当選した1998年がある。紙幅の都合で詳細は紹介できないが、当時の報道によれば、「県政不況」キャンペーンがはられたという。

 だが、1998年と比べて2018年の沖縄経済は堅調である。堅調な沖縄経済が、翁長氏の後継としてアイデンティティを強調し、自立経済を訴えた玉城氏の支持につながった可能性がある。これは逆から読めば、堅調な沖縄経済から取り残された人びとをいかに包摂するか、という課題も突きつけている。

*本稿で使用したデータは、2014年の知事選後に、筆者が琉球大学生の協力を得て作成したデータベースに、2018年のデータを追加したものである。データの出所は、(1)沖縄県選挙管理員会発行の各『選挙調』(沖縄県行政情報センター、沖縄県立図書館に所蔵)(2)沖縄県選挙管理委員会ウェブサイト[2015年3月16日アクセス])(3)沖縄戦後選挙史編集委員会編『沖縄戦後選挙史』(沖縄県町村会、刊行年は第1巻1983年、第2巻1984年、第3巻1985年、第4巻1996年)(4)沖縄県選挙管理委員会「平成30年執行沖縄県知事選挙及び沖縄県議会議員補欠選挙」[2018年10月1日アクセス]である。これらのデータを作成、収集、整理した方々に敬意と謝意を表したい。
*本稿では沖縄県内の市町村名に言及した。県内の地理については沖縄県庁「沖縄県内の市町村」[2018年10月5日アクセス]が参考になる。