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沖縄のアイデンティティーと若者(上)

単純ではない沖縄の若い世代のアイディンティティーと投票行動の背景とは

中原一歩 ノンフィクション作家

正当な国家に対する民衆の抵抗

 かつて辺野古を取材した時、反対する人々が集まる小屋に、「兎の目」などの著作で知られ、当時、渡嘉敷島に居を構えていた小説家・灰谷健次郎氏の色紙を見つけた。その色紙にはこう書かれていた。

「命どう宝という言葉は、命を育み、慈しむ心であることはもちろんですが、命を遠ざけ、傷つける者に対しては、激しい怒りと行動を伴う『愛』であることを、人一人の胸に刻みつけたい。従ってこの言葉は世界の言葉であります」

 灰谷氏は「太陽の子」など沖縄を舞台にした小説を執筆。辺野古の埋め立て阻止の中心だった「命を守る会」に、自身が所有していた漁船を貸し出すなど、積極的な支援者だった。灰谷氏は辺野古の反対運動に身を投じる人々を、これは歴史に裏打ちされた正当な国家に対する民衆の抵抗と位置づけ、それこそが「愛」と絶対的に肯定した。

 「20万人が犠牲になった沖縄戦」「コザ暴動に端を発する本土復帰闘争」「1995年の少女暴行事件とおよそ8万5千人が参加した沖縄県民総決起大会」

 沖縄の戦後世代のアイディンティティーを決定づけた歴史は、全て日本や米国などの国家を相手にした「抵抗」が原動力になっている。しかし、若い世代のマジョリティは社会変革の手段としての「抵抗」を選択しない。戦争は嫌だけど、県民同士がいがみ合い、国家と激しく対立する構造にも反発がある。積極的ではないにしろ「反『反基地』」などのこれまでにない考え方が芽生え始めていることは確かだ。

「対立から対話へ」にこめられた意味

 こうした変化を意識したかどうかは定かではないが、佐喜眞陣営のウェブサイトには「対立から対話へ」というスローガンの前にこんな一文が掲載されている。

 「翁長県政の四年間を振り返ると、過重な基地負担を全国に知らしめたことは大きな功績でした。その一方で、国との関係などにおいて争いが絶えなかったことも事実ではないでしょうか。これは、沖縄の県民性からすれば、望むものではないはずです。本来の沖縄らしい『和』を取り戻さなくてはなりません」

 この『和』という言葉は、「いちゃりばちょーでー(出逢えば皆兄弟)」「ゆいまーる(助け合い)」などの方言に代表されるウチナンチュウーの「平和主義」「他者尊重」のアイディンティティをくすぐる。

 結果として佐喜眞氏は敗北するのだが、若い世代の多様な価値観の芽生えは、長期的に沖縄の舵(かじ)取りに影響してくることは間違いない。


筆者

中原一歩

中原一歩(なかはら・いっぽ) ノンフィクション作家

1977年、佐賀県出身。高校時代に家出をして、ラーメン屋台で調理・接客修業をする。同時に、地方紙などで「食と地域文化」の原稿を執筆。上京後、世界各地を放浪。アマゾンから南極、アフガニスタンの戦場まで訪問国は80カ国に及ぶ。現在は雑誌やWEBなどで人物ルポや政治記事を執筆している。主な著書に『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』(文藝春秋)、『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』(講談社)、『奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」』(朝日新書)など。