メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

中国人初のインターポール総裁が突然消えた

中国公安エリートの失脚。妻は「夫が私の目の前で話すこと以外、何も信じない」

古谷浩一 朝日新聞論説委員(前中国総局長)


中国公安省の次官を兼務していた孟宏偉ICPO前総裁の名前は行方不明後も同省ホームページの幹部名簿に載っていた=2018年10月5日。調査公表後の10月8日に削除された

日米中の警察が深い森に逃げたトラを追ったら… 

 日米中3カ国の警察について、こんな笑い話を中国人の友人から聞いたことがある。

 巨大なトラが深い森のなかに逃げ込んだ。どうすれば捕まえることができるか。国際刑事警察機構(ICPO、インターポール)のかけ声の下、各国の警察が協力することになった。

 まずは米国の警察が登場。現れた警察官はすぐさま無線で米空軍に連絡し、出動を要請した。しばらくすると爆撃機が飛んできて、森全体をすべて焼けつくすような大空爆を実施。警察官は「トラは死んだ」とだけ言って引き上げていった。

 次に日本の警察。スーツを着た警察官僚たちが何人も集まってきた。「大トラ討伐対策本部」との看板を掛けて、検討会議を開催。ただ、会議は結論が出ず、翌日もその翌日も……。いつまでたっても何も起きない。

 最後に登場するのは中国。2人の警察官が森の中に入り、10分間ほどで出てきた。顔に青あざをつけたウサギを連れている。

 警察官が「トラは捕まえました。おい、そうだよな」と話すと、横にいたウサギはおどおどと怯えた調子で言った。「はい、そうです。私がトラです。許してください」

フランスから中国へ一時帰国、行方不明に

インターポール本部ビル=2011年3月、フランス・リヨン(Elsa Cadier撮影)
 なぜこんな話をしたのかと言うと、ICPOで初の中国人トップとなった中国公安次官、孟宏偉総裁(64)が、ICPOの本部があるフランスから中国に一時帰国した後に行方不明になるという前代未聞の事件が起きたからだ。

 中国当局は行方不明から10日以上が過ぎてから、孟氏を汚職容疑で取り調べていると公表したが、この間、孟氏の家族に対しても、取り調べの事実について連絡しない(あるいはさせない)といった、相変わらずの強引な手法をとった。

 最近、中国の有名女優である笵冰冰(ファン・ビンビン)さんの脱税容疑の事件でも、国際社会で笵さんの「失踪」が大きな話題となったにもかかわらず、中国当局は取り調べの事実自体をなかなか認めなかった。

 国際機関のトップや有名女優がある日突然、姿を消す。なんとも異様な状況である。

 中国の友人から「中国のイメージを悪くするような記事はやめてくれ」と言われることがあるが、犯罪容疑者の拘束の事実について、家族からの確認にも応じないといった人権意識の低さがあらわになる方が、はるかに深刻に中国のイメージを損なっていると私は思う。

妻の携帯に届いた刀の絵文字

 話がずれてしまった。ICPO総裁の孟氏の失脚話に戻る。まず事実関係を整理しよう。

 孟氏が一時帰国で中国に向かったのは9月下旬のことだった。フランスに残った妻が記者会見で語った内容によると、9月25日、突然、孟氏から妻の携帯にショートメールで「私からの電話を待て」という短いメッセージが入ったという。

 さらに4分後には、刀の絵文字も送られ、電話もかかってきた。妻はそれを取り損ねてしまったという。孟氏は何とか自らの緊急事態を妻に伝えようとしたのだろうか。

 AP通信によると、その1週間ほど後、妻の携帯に中国語を話すナゾの男から電話があったという。男は「何も言わずに話を聴け。我々はお前のために2チームを派遣した。お前がどこにいるか知っているぞ」と妻を脅したという。

 恐怖を感じた妻は10月7日に記者会見を開いた。そして、その会見の1時間後、つまり中国時間の10月7日深夜、中国の国家監察委員会は孟氏を汚職の容疑で取り調べていることを公式サイト上で認めた。また、ほぼ時期を同じくして、ICPO側も、孟氏本人から総裁の辞表を受け取ったことを明らかにした。

 翌8日には中国公安省が、同日早朝に趙克志・公安相が幹部会議を開いて孟氏が賄賂を受け取っていたことを報告した、と発表。収賄罪などに問われて無期懲役の判決を受けて服役中の周永康・元共産党中央政法委員会書記の名前をあげ、「周永康が流した毒の影響を徹底的に粛清しなければならない」と訴えた。

 間接的ではあるが、孟氏の取り調べ理由が周氏との関係にかかわるものであることを示したものだ。

習近平体制下で公安幹部が次々に失脚

 孟氏は公安省のエリート幹部出身で、周氏が公安相時代には次官補として、周氏を支えた。

 周氏は胡錦濤体制下で10年間も警察部門を牛耳る立場にあったため、当時の公安省幹部の多くは周氏の息のかかった人物だった。彼ら公安省幹部は、習近平体制が2012年に発足した後、周氏拘束を受けて次々と失脚していった。2013年には現職の公安次官だった李東生氏が調査を受けていることが明らかになり、李氏は後に収賄罪などで懲役15年の判決を受けて服役中だ。

 ただ、孟氏がICPO総裁に抜擢されたのは2016年。すでに習体制が周氏につながる公安幹部を次々と失脚させた後のことだ。孟氏は失脚の危機を乗り越え、習氏への忠誠を誓うことで、政治的に生き残ったと見られていた。

 それなのになぜ、今ごろになって、その孟氏を失脚させなければならないのか。しかも、今更のように周氏との関係をその理由にしなければならないのも不自然である。

 孟氏の総裁就任は当時、国際社会の注目を集めた。影響力を高める中国が国際機関のトップに自国の人間を送り込んだということに加え、それが警察という特別な分野だったからだ。共産党政権が自らの都合によって国際的な警察当局の協力体制を恣意的に利用するのではないかという懸念の声も出た。

 いずれにしろ、その時点で、孟氏は習指導部の強い信任を得た人物であることは間違いないと目されていた。

 孟氏の総裁就任を祝うかのように、2017年にはICPOの総会が北京で開かれ、習氏は「中国は世界で最も安全な国のひとつだと、ますます多くの人が考えるようになっている」などといった、今から振り返れば何とも不思議な感じがする演説もしていた。

今すぐ拘束しないとよほど都合が悪いことがあった?

 いったい、今回の事件の背景には何があるのか。いつものように様々な臆測が飛び交っていることを紹介したい。

・・・ログインして読む
(残り:約1048文字/本文:約3644文字)