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「政官業の司祭」竹下政治の隆盛と退場

平成政治の興亡 私の見た権力者たち(1)

星浩 政治ジャーナリスト

新しい元号「平成」を発表する小渕慶三官房長官=1989年1月7日、首相官邸拡大新しい元号「平成」を発表する小渕慶三官房長官=1989年1月7日、首相官邸

1月7日早朝、自宅にかかった一本の電話

 早朝、川崎市麻生区の自宅にかかってきた一本の電話が、私に昭和の終わりと平成の幕開けを告げた。1989年1月7日。土曜日の午前5時過ぎだった。

 電話の主は朝日新聞政治部の首相官邸キャップ、池内文雄氏。「天皇陛下が危篤らしい。すぐに官邸に行け」のひと言だった。私はその瞬間、「まずい!」と思った。

 当時、私は竹下登政権をカバーする政治部官邸記者クラブで、小渕恵三官房長官を担当。天皇陛下の病状が悪化して以来、連日、「夜討ち朝駆け」で小渕氏を取材していた。東京・王子の自宅や、定宿にしていた赤坂のプリンスホテルなどに、新聞社の車で行っていたが、この日の前の晩は、金曜の夜ということもあって、同僚たちとしこたま酒を飲み、帰宅したのは零時過ぎ。翌日は土曜日なので、昼までに出社すればよいと油断し、朝駆け用の車の手配もしていなかった。

 そこに、キャップからの電話である。「駅まで歩いて電車で向かうか、タクシーを探すか」と、途方に暮れた時、ふと思いついたのが、前日の飲み会での会話だ。政治部で2年後輩の加藤洋一君が、翌朝は私の自宅近くに住む石原信雄官房副長官の家に朝駆けすると言っていたのだ。

 「加藤君は石原氏の車に同乗して取材するはず。それなら、加藤君の車は空く」と思い定め、朝日新聞社の車両担当者に電話。加藤君の車の電話番号を聞き出した。幸運なことに、すぐに加藤君と電話がつながった。車を私の自宅に回してもらって、飛び乗った。

「新しい元号は、平成です」

 首相官邸に着いたのが6時すぎ。小渕官房長官の部屋に向かうと、部屋の前では秘書官やSPが緊張の面持ちで立っていた。部屋から記者会見場に向かう小渕氏に「ご危篤ですか」と尋ねたら、小さくうなずいていた。

 6時35分からの記者会見で、小渕氏は「天皇陛下には本日午前4時過ぎ、ご危篤の状態になられた」と発表した。しかし、実際にはその会見の直前の6時33分、天皇陛下は崩御していた。小渕氏が「崩御」を正式に発表したのは7時55分だった。

 午後2時37分、小渕官房長官が「新しい元号は、平成です」と発表。歴史に残る場面を、この目で見届けた。昭和が終わり、平成が始まる。それは、長く続いた自民党の一党支配を大きく揺るがす「政治大乱」の幕開けでもあった。

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筆者

星浩

星浩(ほし・ひろし) 政治ジャーナリスト

1955年福島県生まれ。79年、東京大学卒、朝日新聞入社。85年から政治部。首相官邸、外務省、自民党などを担当。ワシントン特派員、政治部デスク、オピニオン編集長などを経て特別編集委員。 2004-06年、東京大学大学院特任教授。16年に朝日新聞を退社、TBS系「NEWS23」キャスターを務める。主な著書に『自民党と戦後』『テレビ政治』『官房長官 側近の政治学』など。

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