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小泉純一郎が私に託した中国への手紙

小泉首相は2001年、盧溝橋の人民抗日戦争記念館を訪れた。その背後に安倍氏がいた

冨名腰隆 朝日新聞記者 中国総局員

「南京訪問は?」「そりゃ無理です」

 安倍首相が中国の地方視察には行かないという今回の発表に触れ、私は今年の夏、北京から東京に一時帰国した際に日本政府高官と交わしたやりとりを思い出した。

 日本の首相が中国の地方を訪ねるとしたらどこがふさわしいかというたわいもない話題だったが、「旧満州や南京を訪れるのも悪くないのでは。国際社会の評価は高まる」という私の提案を、日本政府高官は「冗談でしょう。そりゃ無理です」と一笑に付したのだった。

 安倍首相の政治基盤を考えれば旧満州や南京を訪問するのは難しいということだが、果たしてそうだろうか。

 2016年末、安倍首相はオバマ米大統領と真珠湾訪問を果たしている。2015年には日韓の間の「トゲ」である慰安婦問題の決着にも動いた。私がそう投げかけると、日本政府高官は「第2次世界大戦後に同盟関係にまで至った日米と、政治制度や人権といった基本的な価値観で相いれない日中では全然違う」と反論した。

 いずれにせよ、現在の日本政府にはまったく想定にないことだけは彼の反応からはっきりした。

 私がこの話を持ち出したのには、理由がある。

小泉元首相、A4用紙一枚の思い

 昨年末のことだ。上海支局に赴任し、新年企画に向けた取材で奔走していた私のもとに1本の連絡が入った。「東京に戻って来た時に一杯やらないか」。小泉純一郎元首相からの誘いだった。

 私は長らく政治部記者として、永田町や霞が関を駆け回る日々を送ってきたのだが、振り出しは小泉氏の首相番記者だった。小泉内閣は5年半も続いた長期政権だ。番記者と名乗るのは、おそらく100人以上はいる。当時の私はワンオブゼムに過ぎない。

 個別に会って話ができるようになったのは、小泉氏が政界引退後、脱原発の運動に取り組むようになってからだ。2015年9月、首相退任後初めてとなるインタビューを行い、翌年には小泉氏の脱原発に懸ける思いや一連の活動を同僚記者と共に書籍化した。

 「脱原発の最新情報でも話したくなったのだろうか」。そんなことを思いつつ、私は一時帰国を利用して小泉氏に会った。

 御用達である赤坂「津やま」で向き合った小泉氏は、この日も冗舌だった。「フィンランドの核廃棄物最終処分場・オンカロの映像を見直したんだ。やっぱりあんなものを日本に作れるはずがないよ」。脱原発への変わらぬ熱意を、2時間以上、まくし立てた。

 東日本大震災の「トモダチ作戦」に参加して被曝したという元米軍兵らを支援する目的で創設した基金が予想以上に集まったこと、郵政解散時の会見直前にあった会合で少し酒を飲んでしまったが、かえって緊張がほぐれたという思い出、息子・進次郎衆院議員のこと――。

 「小泉にオフレコなし」である。いずれ機会があれば紹介したい。

 話題があちこちに飛び、そろそろ、というタイミングだったろうか。小泉氏は「そう言えばいま、中国だよな」と切り出すと、おもむろにA4用紙1枚紙を私に渡して、こう言った。

 「私は本来、日中友好論者なんだけどね。でも靖国参拝もあって、そこが伝わらなかった。これは中国への手紙のようなものだ。持っておいてくれ」

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筆者

冨名腰隆

冨名腰隆(ふなこし・たかし) 朝日新聞記者 中国総局員

1977年、大阪府生まれ。同志社大学法学部卒。2000年、朝日新聞入社。静岡、新潟総局を経て2005年に政治部。首相官邸、自民党、公明党、民主党、外務省などを担当。2016年に上海支局長、2018年より中国総局員。共著に「小泉純一郎、最後の闘い ただちに『原発ゼロ』へ!」(筑摩書房)

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