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インセンティブの付与が重要だが……

 官僚には、自らの恥を晒(さら)すという選択もあるが、より完璧に隠すという選択もある。そこで官僚を縛り上げ、数値目標などの達成を押し付けることは、果たして効果的だろうか。むしろ重要なのは、彼/彼女たちにどれだけ「良き官僚」たるインセンティブを与えるかではないか。

 いかなる官僚も、それぞれの時点で、それぞれの死力を尽くして、よりよい統治を目指そうとする。それぞれの省庁の省益を追求しているように見える場合でもそうである。だから、本来は各個の政策過程の軌跡を後輩に残そうとするし、将来的に研究者や国民から評価されたいと思う。規則の厳格化や数値目標の設定もムダではないが、それらを活かすマインドセットをつくることは、同じくらい、いやそれ以上に大事なことである。いま忘れ去られていることは、官僚が「人間」だという基本的な事実なのではないか。

 ところが、与党の大臣たちは、官僚の首は差し出すけれど責任を採らず、野党の政治家たちは、合同ヒアリングなる非制度的な場で官僚の吊し上げを行い、メディアも国民も官僚を目の敵のように批判する。そこでは官僚たちが、まるで叩いても壊れない「歯車」のように扱われている。これで官僚はいかにしてモチベーションを保つのであろうか。

財務省による決裁文書改ざん問題の合同ヒアリングで、野党議員(左側)の質問に答える財務省の富山一成理財局次長(右側中央)ら=2018年3月14日、国会内拡大財務省による決裁文書改ざん問題の合同ヒアリングで、野党議員(左側)の質問に答える財務省の富山一成理財局次長(右側中央)ら=2018年3月14日、国会内

東大法学部生はなぜ、官僚になるのか

 そのくせ、不思議なことに、官僚に対する期待値はいまでも極めて高い。多くの国民は官僚バッシングをしながら、心の奥底では官僚は超優秀であり、基本的に党派に拘わらず誠意をもって業務に当たっていると信じている。だからこそ、福田元財務次官がセクハラ問題に際して「高級官僚にも拘わらず」とか「公務員にも拘わらず」と批判されたように、官僚には高い能力や道徳水準を求めるダブル・スタンダードを適用するのである。

 事実、日本のキャリア官僚は「優秀」である。彼/彼女たちの中心的な母体はなんといっても東大法学部だ。筆者も在学中、官僚の卵たちを近くで見てきた。

 東大法学部生たちがすべからく有能とは言えないが、常人より体力と精力をデスクワークに注ぎ込むことに長(た)け、日本国内では有数の法律知識を蓄積した人材の宝庫であることは間違いない。そんな有能な若者たちが、進路に迷った末に、学生によってはわずか数カ月の準備で超難関と言われる国家公務員Ⅰ種試験(国Ⅰ)に合格してキャリア官僚になる。

 とはいえ、そんな優秀な文系学生が官僚になるのは、必然ではない。国Ⅰに合格できる学生なら、いろんな将来が開けているだろう。民間企業に就職すれば、儲けはよいだろうし、モテるだろう。働き方改革の本拠地たる厚生労働省でさえ「強制労働省」と揶揄(やゆ)されるような長時間労働を、あえてするようなこともないだろう。実際、今は外資系コンサルなどの方がよほど人気である。

 なのに、なぜ官僚を目指すのか? そこに、雇用の安定と、国家統治に関わることへの使命感があるのは疑い得ない。

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筆者

佐藤信

佐藤信(さとう・しん) 東京都立大学法学部准教授(現代日本政治担当)

1988年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士後期課程中途退学。博士(学術)。東京大学先端科学技術研究センター助教を経て、2020年より 現職。専門は現代日本政治・日本政治外交史。著書に『鈴木茂三郎 1893-1970』(藤原書店)、『60年代のリアル』(ミネルヴァ書房)、『日本婚活思想史序説』(東洋経済新報社)、『近代日本の統治と空間』(東京大学出版会、近刊)など。

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