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辺野古移設に代替案はあるか

普天間の「代替施設」ではなく「新基地」を作ろうとしている米軍

高橋 浩祐 国際ジャーナリスト

防衛省が対抗措置を取ったことを受けて、厳しい表情で政府を非難する玉城デニー知事=2018年10月17日、沖縄県庁 
防衛省が対抗措置を取ったことを受けて、厳しい表情で政府を非難する玉城デニー知事=2018年10月17日、沖縄県庁

現行計画に固執する日米両政府

 日米間の長年の懸案事項となっている米軍普天間飛行場の辺野古移設問題をめぐり、日本政府と沖縄県の対立が激化している。辺野古移設反対を掲げ、沖縄県知事選挙で大勝した玉城デニー氏に対し、防衛省は早速、沖縄県による辺野古沿岸部埋め立て承認の撤回に対する法的な対抗措置をとった。玉城知事は「県知事選で示された民意を踏みにじるものである」と強く反発するが、日米両政府は「辺野古が唯一の解決策」との立場を維持し、現行計画に固執する。

 日米政府は、すでに合意した辺野古移設案を修正したり撤回したりすれば、自壊した鳩山由紀夫政権の時のように「パンドラの箱」を開け、収拾がつかなくなることを恐れている。

 本稿では、専門家の見方を交えながら、軍事面から現行計画を改めて考察するとともに、辺野古新基地以外の代替案を提示してみたい。

普天間返還合意から22年たっても……

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題の発端は、1995年9月に起きた米兵3人による少女暴行事件だ。この事件を受けるかたちで、日米両政府は翌96年、県内移設を条件に普天間返還に合意した。

 それから、すでに22年。合意を実現した橋本龍太郎首相以来、かかわった首相は延べ10人。担当の防衛大臣は23人、外務大臣は17人、駐日アメリカ大使は7人が入れ替わり立ち替わり、この問題に向き合い、多大なエネルギーを注いできた。

 しかし、解決には至っていないどころか、今なおもめ続けている。沖縄本島の14.7%を占める米軍基地の過剰負担を訴え、「新たな基地はもう要らない」と強く主張する沖縄県民の根強い反対と、現行計画にこだわる日米政府の強硬姿勢が、現在の膠着(こうちゃく)状態を招いている。

 筆者には、まるで日本とアメリカ両政府という大の大人が、二人がかりで沖縄という小さな自治体の首根っこを押さえつけながら、辺野古新基地案を無理矢理のませようとしているように見える。だが、首根っこを押さつけられればられるほど、沖縄は反発する。

 普天間基地移設問題は、米政府(国防総省、国務省、在日米軍)、日本政府(防衛省、外務省)、沖縄県、名護市、そして、国会が一列に並ぶ「惑星直列」のように一致しなければ解決できない。翁長雄志氏、玉城氏と2代連続で移設反対の沖縄知事が選出される状況では、それはかなり厳しいというのが現実だ。

「唯一の解決策」の理由

 とはいうものの、「辺野古が唯一の解決策」と主張する内外の識者が多いのは、まぎれもない事実だ。

 米シンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)上級副所長で、ジョージ・W・ブッシュ政権で国家安全保障会議のアジア担当部長だったマイケル・グリーン氏は筆者の取材に対し、「玉城知事の当選は事態を多少複雑にするが、安倍政権は現行計画に自信を持っているように思える」と指摘したうえで、次のように述べた。

 「自然災害や中国、北朝鮮のミサイルの脅威のため、沖縄とその周辺に航空基地が必要だと私は考えている。普天間代替施設(FRF)はそのひとつになるだろう。もしそれが極めて困難になるのであれば、おそらく他の施設が海兵隊の航空機を受け入れることができるかもしれない。しかし、現在のところ、現行計画が依然、最も現実的なものになっている」

 また、米海兵隊の元大佐で、日本戦略研究フォーラムのグラント・ニューシャム上席研究員も筆者の取材に、「仮に辺野古案が深刻な欠陥があったとしても、日米両政府が代替案を模索するとは考えられない。辺野古案は勢いを付けてきたし、官僚がそれを推進するなかでブレーキをかけることはほとんど不可能だ。商業的利益で得をする人々がいるのは言うまでもない」と言い、「両国の官僚 は、現行案をひっくり返したり、余分な仕事が増えたりするアイデアには愕然(がくぜん)とするだろう」と語った。

 玉城知事については、「基地反対で選ばれたかつての知事のように、いったん知事職に就けば、状況がそんなに単純ではないと分かる。いずれ立場を和らげる必要が出てくるかもしれない」と述べた。

 

辺野古への基地移転で埋め立て海域を囲った護岸=2018年8月10日、沖縄県名護市辺野古への基地移転で埋め立て海域を囲った護岸=2018年8月10日、沖縄県名護市

 元防衛大臣補佐官の志方俊之・帝京大学教授は筆者の取材に対し、「海兵隊は沖縄に駐留してこそ意味がある」と述べ、沖縄が持つ地政学上の優位性を強調した。「朝鮮半島や台湾海峡、尖閣諸島は、すべて沖縄から1500キロの同心円内だ。沖縄での駐留が抑止力になる」と述べた。

 キース・スタルダー米太平洋海兵隊司令官(当時)も2010年、沖縄の海兵隊が東アジア地域の緊急即応部隊であることを強調した。同司令官は「海兵隊の組織構造が海兵隊空陸任務部隊(MAGTF)であり、そこでは航空部隊と地上戦闘部隊、兵站(へいたん)部隊が一人の指揮官のもとで活動している」と指摘。「海兵隊の地上部隊は、その活動を支援するヘリコプターと常に一緒に訓練をしなければならない」と述べた。

現行案とそっくりな1966年の計画

 とはいえ、辺野古新基地の実現が難しいのは、計画がそもそも欲張りすぎで、無理筋な面があるからだ。アメリカは普天間飛行場閉鎖に便乗し、普天間の代替施設以上のものを高望みし、さらに日本政府がそれを資金援助付きで後押ししてきた。米軍は普天間の単なる「代替施設」ではなく、「新基地」を作ろうとしているのだ。

 普天間飛行場の移設先の候補として辺野古が浮上したのは、橋本政権がアメリカと合意した1996年12月ごろとされる。しかし、それから遡ること30年前の1966年12月、米軍はキャンプ・シュワブのある辺野古崎のサンゴ礁の海を埋め、沖縄本島では珍しい十分な深さがある大浦湾に原子力潜水艦が寄港可能な軍港を造る計画を立てた。当時はまだ沖縄返還前で、冷戦とベトナム戦争の真っ只中だ。米軍は出撃拠点として沖縄の基地を強化しようとしていたのだ。

 「沖縄・琉球諸島における海軍施設のマスタープラン」(Master Plan of Navy Facilities on Okinawa, Ryukyu Islands)と呼ばれる、この1966年の計画の中で、米海軍は辺野古沖のサンゴ礁を埋め立て、海兵隊向けに3000メートルの滑走路を二つ(現行案は各1800メートル)を有する飛行場を建設することを提案した。滑走路に隣接した大浦湾に軍港を造る。

 これは、現行案とそっくりだ。現に、1996年12月の「沖縄に関する日米特別行動委員会」(SACO)合意を受け、1997年9月に米国防総省が作成した普天間移設についての事業計画では、滑走路の方向について、1966年の調査に基いて決められるべきだと提言されている。なお、この1997年のペンタゴンの事業計画では、すでにキャンプシュワブ沖の海上施設ではオスプレイが主力航空機として使用されることが前提となっていた。

 辺野古の新基地案は、辺野古沖を埋め立て、1800メートルの2本の滑走路だけでなく、強襲揚陸艦が接岸できる岸壁に加え、普天間基地にはない弾薬搭載エリアを備えた、米軍にとっては50年来の悲願を叶(かな)える軍事拠点になるのである。

1800メートル滑走路が必要なわけ

米軍普天間飛行場に駐機するオスプレイなど米軍機=2018年9月6日、沖縄県宜野湾市米軍普天間飛行場に駐機するオスプレイなど米軍機=2018年9月6日、沖縄県宜野湾市

 もともとは普天間基地の返還に伴い、同基地に配備されていたヘリコプター部隊と、その地上支援を担当する部隊が代替施設に移動することになっていた。同基地に配備されていた第152海兵空中給油輸送中隊(VMGR-152)はすでに米海兵隊岩国航空基地に移転した。

 このため、普天間代替施設に本来、必要とされるのはヘリコプターの発着場であって、長さが1800メートルもある滑走路は必要ない。普天間所属のCH53大型輸送ヘリも、必要な滑走長はせいぜい数十メートルだ。垂直離着陸輸送機のオスプレイも、滑走路を使って離着滑走をする場合があるが、それでも数十メートルで離陸できる。

 では、なぜこれほどの長さの滑走路が必要なのか。普天間には、米海軍の対潜哨戒機P3C、米空軍の大型輸送機のC5やC17が頻繁に発着している。米軍としては辺野古の新基地にもC5やC17が離発着できる滑走路を備えたいだろう。さらに、米空軍の嘉手納基地が使用できなくなった場合、それに代わる航空基地を沖縄本島にもう一カ所ほしいと考えたとしても不思議ではない。

 また、滑走路を1800メートルにした理由については、米軍が辺野古新基地に戦闘機装弾場(CALA)の建設を計画していることも関係しているとみられる。CALAは航空機にミサイルなどを装着するための場所で、米軍の内部規定で周囲の居住建築物から最低でも1250フィート(381メートル)の距離をとって建設することが定められている。普天間飛行場では安全距離をとることができないため、CALAは設置されていない。嘉手納基地のみが条件を満たして設置されている。

「辺野古」以外の提案も

 辺野古移設の代替案については、これまでも内外の識者が色々と提案してきた。代表的な案を挙げれば、米ブルッキングス研究所のマイケル・オハンロン氏とマイク・モチヅキ博士(現ジョージ・ワシントン大教授)が1995年2月、海兵隊装備を「事前集積船」に搭載して沖縄か日本本土の港に置き、海兵隊員が必要な時に米本土から飛来させればよいと提案した。

 両氏は2013年5月にも、海兵隊は沖縄に5000~8000人を残してあとは米本土に帰す。数千人分の武器・弾薬を搭載した「事前集積船」を日本領海内に駐留させれば、アジア有事への即応対応も可能と提言している。

 オハンロン氏は筆者の取材に対し、「私は間違いなく、数多くの代替案があると思っている。特に、将来危機が起きた際に(米軍の)普天間へのアクセスを確保すること、つまり、普天間跡地を居住地にするのではなく、むしろ飛行場の運用を中止した状態のままにしておくこと。あるいは有事の際に琉球列島にある他の複数の滑走路を利用できるようにすることなどが挙げられる」と述べた。

 この他にも、日本のシンクタンク「新外交イニシアティブ(ND)」は、軍事的な視点から名護市の新基地は不要と指摘する。既に決定されている米軍再編の後、沖縄に残る予定の第31海兵遠征部隊(MEU)の実戦部隊約2000人を沖縄以外に移転するかわりに、日本が人道支援・災害救援活動の運用などを支援するため、高速輸送船を提供することを提案している。また、31MEUが長崎県佐世保に配備されている揚陸艦に乗ってアジア太平洋地域を巡回して訓練を実施し、1年の半分以上も沖縄を留守にしている実態も指摘している。

減りつつある海兵隊常駐の必要性

普天間飛行場を編隊で飛び立つ米海兵隊の大型輸送ヘリ=2018年9月13日、沖縄県宜野湾市普天間飛行場を編隊で飛び立つ米海兵隊の大型輸送ヘリ=2018年9月13日、沖縄県宜野湾市

 オハンロン、モチヅキ両氏の案は特に注目に値するだろう。なぜなら、

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