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改憲派が高視聴率帯を独占か CMルール野放し

民放連が憲法改正国民投票のCMルールを自主規制しない理由は?

石川智也 朝日新聞記者

大阪都構想の住民投票前、橋下徹氏が出演したCMラストメッセージ編=2015年5月、大阪維新の会ホームページから

民放連「CM自主規制せず」

 憲法改正を問う国民投票でのテレビCMについて、日本民間放送連盟(民放連)が10月12日、改正案への賛成・反対両派が流すCM量のバランスをとる自主規制はしない、と表明した。

 公平なCMのルールを求める超党派議連の第一回総会に呼ばれ、かねて発表していた方針を示したものだが、議連の会長に就いた自民党の船田元衆院議員は「金に糸目をつけずCMが横行すれば国民に影響が出てしまう。きちんとした公平なルールを確立することが重要だ」と自主ルールの検討をあらためて要請した。

 民放連の永原伸・専務理事はこれに対し、「量的な自主規制を行なうべき合理的な理由は見いだせない」と譲らなかった。「賛否の量をそろえることは実務上困難」「会員である各放送局の活動を制限するのは難しい」「メディア環境が急激に変化している」ことを総合的に勘案したうえでの判断という。

 そのうえで民放連が最も強調したのは「表現の自由」だ。広告も表現であり、憲法21条が保証する政治的表現の自由として最大限尊重されなければならず、たとえ量的な規制であっても、その自由が制約されかねない自主規制は「到底無理」とした。

 民放連の方針に対し、立憲民主党と国民民主党は「資金力のある側が大量のCMを流せば投票の公平性を保てない」として、全面禁止も視野に法規制の強化を主張し、国民投票法改正案の検討を進めている。両党の母体の民進党が(特に憲法調査会長だった枝野幸男・立憲民主党代表が)この問題での法改正不要論者だったことを思えば、政局を前にした政治家の変わり身ぶりにいつもながら感心するしかないが、野党としては、改憲論議の本題に入らせないための「牛歩戦術」は当然なのだろう。

 一方、CM規制などない方が改憲に有利とみて静観の構えだった自民党にとっては、民放連のゼロ回答は織り込み済み。野党に法改正論議の口実を与えれば、改憲への道程はますます険しくなるとの見方もあるが、憲法審査会の与野党協調の慣習を無視してでも改憲への動きを加速させようとしている安倍政権は大きな障害とは考えていないかもしれない。

 翌13日の朝刊各紙には、こうした各党の思惑や今後の改憲スケジュールについての見立て記事があふれた。ざっと一読して、やれやれ、との思いが募った。

 政治の世界で手段と目的が完全に切り離せないのは仕方がないにしても、CM問題は改憲論議とは別個に論じられるべきものであり、とっくの昔に決着をつけておかねばならない問題だったからである。

10年以上放置されてきたCM問題

 過去のどの国の事例をみても、真っ当な国民投票を実現するためには、①適切な「問い」が国民に提示され、②十分な情報に基づき、ことの本質について自由闊達な議論が交わされ、③公正で公平なルールの下で国民投票運動と投票が行われる――という条件が必要だ。

 ①については、さきに「憲法9条、国民投票で真に問うべきこと(上)憲法9条、国民投票で真に問うべきこと(下)」で取り上げた。CM問題は、理性的な議論と公平なルールの担保をめぐる②③の大きなテーマだが、放送業界も政界も、この問題を10年以上放置してきた。

 国民投票法は、第一次安倍政権下の2007年5月に成立した。公務員の運動規制や最低投票率制などさまざまな問題が積み残しとなり、参院で「施行までに検討」など18もの付帯決議がなされたが、その一つにCM問題があった。こんな内容だ。

「テレビ・ラジオの有料広告規制については、公平性を確保するためのメディア関係者の自主的な努力を尊重するとともに、本法施行までに必要な検討を加えること」

 この付帯決議の理由は、この問題が国会審議でも大きな焦点だったからだ。

 当時の与党と民主党の法案はともに一定期間のCM禁止規定を盛り込んでいたが、放送界は強く反対した。2006年11月、衆院の日本国憲法に関する調査特別委員会小委員会の参考人聴取で、日本民間放送連盟の山田良明・放送基準審議会委員(当時)は、CMの取り扱いについて「自主的判断に任せてもらいたい」と繰り返し訴えた。そのうえで、公平さを担保する仕組みについて「民放連の中で大きな括りとして明確なルール作りは必要」「具体的にあらゆることを想定しながら真摯に検討をしていきたい」と述べた。

 しかし放送界はその後、関西テレビ制作「発掘!あるある大辞典Ⅱ」の捏造問題に追われ、時間切れに。翌年5月の法成立の日、民放連はあらためて「意見広告の取り扱いについては、放送事業者の自主・自律による取り組みに委ねられるべき」との会長名の抗議声明を出した。

 一方、政界の方も、安倍首相の退陣で改憲の機運はしぼみ、国会の憲法審査会も長らく休眠状態だったため、この問題は「検討」されぬまま月日が流れたのだった。

改憲案に直接踏み込まなければ投票日当日のCMも可

 本題に入る前に、CMがなぜ国民投票で問題となるのか、おさらいしておく。

 国民投票法では、国民の活発な議論と自由な意見表明を促すため、改憲案への賛成・反対を呼びかける「国民投票運動」の規制は最小限となっている。通常の選挙では禁じられている戸別訪問や署名運動もできる。だれもがチラシの頒布や集会、街宣カーでの運動を行え、ネットもフル活用できる。裁判官や警察官など一部を除いて公務員も投票勧誘や賛否の表明が認められている。組織的で多人数相手でなければ買収も禁じられていない。活字媒体の広告への規制もいっさいない。

 ただし、放送局を使った広告放送、つまりCMだけは、投票日14日前から禁じられる。14日前から期日前投票が始まるため、特に映像と音声で強い印象を与えるテレビCMの影響が国民に及ばぬよう冷却期間を設けるという趣旨だ。

 逆に言えば、それ以前は流し放題ということ。だれもが広告主となり「9条改正に賛成しましょう」「みんなで反対して否決に追い込もう」といったCMを制作し、放送枠を買いとって流すことができる。

 しかも投票日14日前から禁じられるのは、改憲案への賛成・反対を勧誘する「国民投票運動」のCMのみで、意見表明だけのCMはこれに該当しない。タレントが「私は改憲に賛成です」と宣言したり、あるいは「平和をまもろう」「自主防衛イエス」などと改憲案に直接踏み込まないメッセージを訴えたりする内容のものは規制対象にならず、投票日当日まで流せる。

 社会心理学に「説得的コミュニケーション」という言葉がある。他者の態度変容と行動喚起に関する効果研究の用語だが、ここで類型化されているさまざまな技術と手法はCMの世界でも活用されている。広告は広義には「説得」を狙うものだが、15秒や30秒のテレビCMで実際に多用されているのは「感情の誘発」であり、表情、身ぶり、肉声、効果音など、インフォーマティブというよりアフェクティブな要素による効果がより期待されている。これは我々が、毎日流れる商品CMだけでなく、国政選挙の際の政党CMでも常々目撃していることだ。

 改憲プロセスでは熱狂よりも冷静な議論が求められる。印象操作の力が活字媒体広告よりはるかに強いテレビCMがあふれれば、扇情的メッセージやネガティブキャンペーンによって有権者が半ば洗脳され、改憲案の内容を熟慮することなく軽率な投票をする危険性が生じるのでは――。こうした懸念の声は改憲・護憲両派にまたがり、国会審議でも与野党双方の議員からあがった。

CM費用の制限なし

 さらなる大きな論点は、公平性だ。

 国民投票運動には、選挙と違って費用の制限はない。CM広告料は東京圏のゴールデンタイムなら1本数百万円とされる。資金力に恵まれた陣営は終始優位に立つことになる。

 橋下徹・大阪市長(当時)が「憲法改正国民投票の予行練習」と位置づけた3年前の大阪都構想住民投票で、大阪維新の会は4億円の広報費をつぎ込み、テレビCMを連日流した。子育て女性やビジネスマンらが代わるがわる登場し、笑顔で「CHANGE OSAKA!」と呼びかける――。対する自民党大阪府連も、ゆるキャラ「大阪市民のおさいふクン」が泣きながらがま口のお金を市外にばらまくアニメーションで対抗。CM出稿は維新が4倍もの量だったとされるが、イメージ先行型で抽象的内容のCM合戦に、「仁義なき戦い」と批判の声があがった。

 結果はご存じの通り僅差で反対多数となったが、広報戦略が常に後手にまわっていた自・民・共陣営からは「CMの力がなければこれほどの接戦にはならなかった」との声が漏れた。

電通本社=東京都港区

改憲派CMが高視聴率帯を独占か

 では実際に憲法改正案が発議された場合、なにが起きるのか。博報堂で18年間、広告営業マンを務めた作家の本間龍氏が描く筋書きは、以下だ。

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