星浩(ほし・ひろし) 政治ジャーナリスト
1955年福島県生まれ。79年、東京大学卒、朝日新聞入社。85年から政治部。首相官邸、外務省、自民党などを担当。ワシントン特派員、政治部デスク、オピニオン編集長などを経て特別編集委員。 2004-06年、東京大学大学院特任教授。16年に朝日新聞を退社、TBS系「NEWS23」キャスターを務める。主な著書に『自民党と戦後』『テレビ政治』『官房長官 側近の政治学』など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
平成政治の興亡 私の見た権力者たち(2)
消費税導入という大きな業績をあげながら、リクルート事件の嵐に飲み込まれて、竹下登首相が退陣を表明したのは1989(平成元)年4月25日。自民党は後継総裁選びに入った。
竹下氏自身は当初、伊東正義総務会長を担ごうとしていた。伊東氏は農林省出身。「清廉な会津の頑固者」として知られていた。大蔵省出身で首相を務めた大平正芳氏とは肝胆相照らす仲だった。竹下氏は大平政権の蔵相を務め、当時の官房長官、伊東氏と交流を深めていた。
しかし、伊東氏は、自民党の派閥体質などを厳しく批判しており、後継首相への意欲はなかった。89年5月10日、伊東氏は自民党の記者クラブでの会見で、後継首相に就く気があるかと問われて、「本の表紙だけを替えてもダメだ。中身を替えて意識改革をしなければならない」と断言。当時、自民党を担当していた私は、その発言を間近で見て、「伊東首相はあり得ない」と確信した。
論座ではこんな記事も人気です。もう読みましたか?