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宇野・海部政権 傀儡の実相 

平成政治の興亡 私の見た権力者たち(2)

星浩 政治ジャーナリスト

「宇野首相」にこめられた深慮遠謀

 竹下氏は続いて、当時外相だった宇野宗佑氏を担ごうと動き出す。表向きは7月にフランスで予定されていた先進国首脳会議(サミット)を控えて、「外交に通じた政治家」という理由だった。しかし、竹下氏の本当の狙いは違っていた。

 宇野氏は、中曽根康弘前首相が率いる中曽根派の幹部。宇野氏を首相に引き上げることで中曽根氏の影響力を弱める。さらに、宇野氏は党内基盤が弱いため、本格政権にはなり得ない。竹下氏が盟友としてきた安倍晋太郎前幹事長に政権を譲り渡すことも容易だ。場合によっては、竹下氏の再登板の芽も残る。

 長期政権と思いながら2年足らずで首相の座を降りざるを得なかった無念が、竹下氏には残っていた。「宇野首相」には、竹下氏の深謀遠慮がこめられていたのである。宇野氏は6月2日の自民党両院議員総会で新総裁に選出され、翌3日の衆院本会議で首相に指名される。

 余談だが、朝日新聞政治部ではそのころ、首相が交代する時、「次期首相は誰か」を約50人の部員が予想する習慣があった。年末に結果が披露される。竹下後継については、伊東正義、後藤田正晴、福田赳夫各氏らの名が多くあげられていた。

 宇野氏と答えたのは私だけだった。ささやかな景品を手にした。私は、竹下氏や小渕氏に直接、取材して「宇野」と確信していたが、先輩記者たちの「中曽根氏が許すはずがない」という判断もあって、残念ながら、新聞の紙面には載らなかった。

超短命に終わった宇野政権

組閣から一夜明け、千代夫人に見送られて自宅を出る宇野宗佑首相=1989年6月3日拡大組閣から一夜明け、千代夫人に見送られて自宅を出る宇野宗佑首相=1989年6月3日

 その宇野政権は、発足直後から逆風にさらされる。「竹下傀儡(かいらい)」という批判に加え、竹下政権が導入した消費税への反発も強まっていた。宇野首相自身の女性スキャンダルも週刊誌で報じられた。7月2日の東京都議選では、土井たか子委員長が率いる社会党が躍進、議席を3倍増の36とした。自民党は20減の43議席と惨敗を喫した。

 直後の参院選(7月23日投票)でも、社会党が躍進して46議席を獲得、改選第一党となった。土井委員長は「山が動いた」との名セリフを吐いた。自民党は36議席にとどまり、初めて改選第二党に転落。宇野首相はなすすべなく、翌24日に退陣を表明した。69日間という超短命政権だった。

 宇野後継をめぐる自民党内の権力闘争が始まる。とりわけ熾烈(しれつ)だったのが、最大派閥竹下派の内部対立だった。

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筆者

星浩

星浩(ほし・ひろし) 政治ジャーナリスト

1955年福島県生まれ。79年、東京大学卒、朝日新聞入社。85年から政治部。首相官邸、外務省、自民党などを担当。ワシントン特派員、政治部デスク、オピニオン編集長などを経て特別編集委員。 2004-06年、東京大学大学院特任教授。16年に朝日新聞を退社、TBS系「NEWS23」キャスターを務める。主な著書に『自民党と戦後』『テレビ政治』『官房長官 側近の政治学』など。

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