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宇野・海部政権 傀儡の実相 

平成政治の興亡 私の見た権力者たち(2)

星浩 政治ジャーナリスト

竹下派内で始まったポスト争奪戦

 竹下政権は「長期」という期待に反して、2年弱で幕を閉じた。そのため、竹下派の幹部たちは目算が狂った。橋本龍太郎、小渕恵三、小沢一郎、梶山静六、羽田孜の各氏らは、それぞれ竹下政権下で自民党や内閣の要職をこなし、その後に幹事長などを経て首相になるという道を描いていたのだが、竹下政権の予想外に早い終焉(しゅうえん)で、ポスト争奪戦が早くも始まったのだ。

宇野宗佑政権で自民党幹事長に就任した橋本龍太郎氏=1989年6月3日拡大宇野宗佑政権で自民党幹事長に就任した橋本龍太郎氏=1989年6月3日
 宇野氏を事実上、指名した竹下氏は、その責任が問われ、影響力が弱まっていた。宇野政権を党幹事長として支えた橋本氏に注目が集まった。橋本氏は参院選で全国を駆け回り、「龍さま」人気が巻き起こっていた、それを警戒していたのが、橋本氏のライバル、小沢氏だった。竹下氏と共に竹下派を牛耳っていた金丸信氏は小沢氏の後見役であり、「橋本首相」には反対だった。

 89年7月30日、日曜日。後継首相をめぐる政局取材が山場を迎えていた。竹下派を担当していた私は、同僚と夕食を済ませた後、東京・元麻布の金丸氏の自宅前に立ち寄ってみた。しばらくすると、小沢氏と奥田敬和氏が出てきた。小沢氏は一瞬、「まずい」という表情を見せて、そそくさと車で立ち去った。奥田氏に食い下がると、車に乗れと言う。

 奥田氏は人情家で、石川県の北国新聞の記者を務めた経験を持つ。「君らも朝から晩まで大変だよな」と、担当記者に好意的だった。 

「海部首相」の流れができた夜

 その奥田氏の車に同乗し、東京・高輪の宿舎まで取材した。「橋本君は、今回は見送りだ」とポツリと漏らした。詳細は語らなかったが、竹下派の幹部が集まって、宇野後継に橋本氏を推すことはしないと確認したという。金丸邸には、小沢、奥田両氏のほか、竹下、小渕、梶山、羽田、渡部恒三の各氏が集まっていたという。橋本氏以外の幹部である。

 息せき切って築地の朝日新聞に戻り、朝刊用原稿を書いた。「橋本氏擁立を見送り」、そして「後継首相には河本派の河本敏夫会長か海部俊樹元文相」という情報も加えた。「海部首相」の流れができた夜だった。

 河本派は党内最小派閥であり、「海部首相」なら竹下派のコントロールがきく。その点で、竹下氏も小沢氏も了解できる人選だった。宇野政権に続く竹下派の「傀儡政権」である。

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筆者

星浩

星浩(ほし・ひろし) 政治ジャーナリスト

1955年福島県生まれ。79年、東京大学卒、朝日新聞入社。85年から政治部。首相官邸、外務省、自民党などを担当。ワシントン特派員、政治部デスク、オピニオン編集長などを経て特別編集委員。 2004-06年、東京大学大学院特任教授。16年に朝日新聞を退社、TBS系「NEWS23」キャスターを務める。主な著書に『自民党と戦後』『テレビ政治』『官房長官 側近の政治学』など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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