安田純平さんが帰ってきた
危険地を敬遠する組織メディアの記者たち。危険地取材の意義を改めて考えたい
石川智也 朝日新聞記者

日本に向け出発する安田純平さん=2018年10月25日、イスタンブール
慎重で沈着、私の知る彼そのもの
安田純平さんが、帰国した。
解放直後に公開された動画や機内での報道陣とのやりとりをみる限り、やつれた表情ながらも受け答えははっきりしており、口調も冷静でしっかりしている。健康状態にも問題はないという。
その慎重で沈着な姿は、私の知る彼そのものだ。友人として喜びの感情がわく前に、3年4カ月に及ぶ過酷な拘禁状態を耐え抜いた強靱な精神力にまず驚き、敬意を抱いた。
拘束生活のうち8カ月間は高さ1.5メートル、幅1メートルの独房に監禁され、「虐待状態がずっと続いていた。精神的な負担もかなりあった」という。
7月末にネットに投稿された動画のなかで安田さんは「私の名前はウマルです。韓国人です」と不可解な発言をしていた。これについては「拘禁反応で錯乱状態なのでは」「抵抗の意思表示だ」「自分の発言をフェイクと受け止めろというメッセージだ」などと様々な臆測が飛び交ったが、真相は「自分の本名や日本人であることは言うなと要求された。他の囚人が釈放された後に監禁場所をばらしたら、攻撃されるかもしれないから」だったといい、拘束グループのルールに従っただけだと説明した。
真実は想像を易々と超える。
なぜ解放がこのタイミングだったのかについて、ニュースや紙面では「シリア内戦で劣勢になった反体制派の焦燥が募り、人質を抱えているのが重荷になった」「カタールとトルコの尽力は、共通の敵のサウジアラビアが記者殺害疑惑で国際的非難を浴びているのを横目に、自分たちは人権やジャーナリストを尊重しているとアピールする狙いもあった」といった見立てが盛んに報じられている。身代金をカタールあるいは日本政府が支払ったのかという一大関心事をめぐっても、推測が広がる。これらにも思わぬ事実が飛び出す日がやってくるのだろうか。