メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

安倍首相 憲法改正の本気度は?

歴代の「改憲派首相」の行動から浮かび上がる安倍首相の本当の気持ちとは

鈴村裕輔 名城大学外国語学部准教授

「憲法改正の歌」を発表した中曽根康弘氏

 歴代の自民党出身の首相の中で、鳩山や岸に勝るとも劣らない改憲論者として知られるのが、中曽根康弘氏だ。

「新しい憲法を制定する推進大会」であいさつする中曽根康弘元首相=2016年5月2日、東京・憲政記念館拡大「新しい憲法を制定する推進大会」であいさつする中曽根康弘元首相=2016年5月2日、東京・憲政記念館

 日本国憲法の下で初めて行われた1947年の衆議院総選挙で当選して以来、「首相公選」と「憲法改正」を唱えた中曽根氏は、自作の「憲法改正の歌」を発表して、「青年将校」と呼ばれるほどの改憲論者であった。

 1953年にサンフランシスコ講和条約が発効、日本が独立を回復して進駐軍が撤退したにもかかわらず、「マッカーサーによる押し付け憲法」である日本国憲法は連合軍による無条件降伏の状態を強いている、という立場を取る中曽根氏は、『憲法改正の歌』の中で「占領憲法強制」や「マック憲法守れるは マ元帥の下僕なり」と憲法改正の必要性を説いている。

 1982年11月に首相となるに際し、外国人特派員に配布した冊子「私の政治信条」の中でも、「日本は米国から与えられた平和憲法を改正しなければならないというのは、私の一貫した信念である」と述べ、改憲への意欲をにじませた。

 それにもかかわらず、中曽根氏は4年11か月にわたって政権を担当していた間に憲法改正への動きを勧めることはなく、むしろ「現内閣で改憲を政治日程に乗せる考えはない」と述べ、改憲に消極的な姿勢さえ見せたのだった。

首相になって改憲に消極的になったわけ

 政界屈指の改憲論者である中曽根氏の、首相になった後の態度の変化は様々に理解できる。

 鳩山、岸と同様、中曽根氏も長期的な取り組みが必要となる憲法の改正よりも行政改革の断行が喫緊の課題であると考え、当面の問題である国営企業の民営化や売上税の導入などを目指したということは、分かりやすい答えだ。また、「風見鶏」と呼ばれ、絶えず自らの利益を追求することに貪欲であった中曽根氏が、改憲への取り組みを進めたところで、政権を運営する上で積極的な意味を持たないと判断し、憲法問題を口にしなくなったことも容易に想像できる。

 中曽根氏が鈴木善幸内閣で行政管理庁長官として入閣し、土光敏夫による第二次臨時行政調査会を通して行政改革を進めたことが国民の支持を集め、首相の座を手にする一因となったという点を考えれば、中曽根氏が国鉄や電電公社などの分割民営化を優先的に進めたことは合理的な判断だ。

 それとともに見逃せないのが、中曽根氏が首相となった頃の日本が置かれた状況や自民党内の様子である。

 中曽根内閣に先立つ鈴木内閣は、1981年5月の訪米時に鈴木善幸首相が「日米同盟関係に軍事的意味はない」と発言して米国側の反発を買っただけでなく、日韓関係に行き詰まり、財政再建の失敗などにより支持率を低下させていた。政治評論家の屋山太郎氏が「暗愚の宰相」と批判したことが象徴するように、国内外の問題に対処できなくなっていたのである。

 この鈴木内閣を引き継いだ中曽根氏は、「日米は運命共同体」、「日本は米国の不沈空母」と言い切り、日米関係を修復するとともに、就任後間もなく訪韓して全斗煥大統領との日韓首脳会談を実現して日韓関係を改善させ、行政改革による財政再建の推進などを行った。いわば鈴木内閣の政策を否定することで自らの独自性と優秀性を強調しようとしたのが初期の中曽根内閣であり、山積する課題を解決することによって国民の支持を得られることが分かった以上、国民が賛成と反対に分かれて対立するような憲法改正問題を取り上げて支持を失うことは得策ではないと、中曽根氏は判断したのだろう。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

鈴村裕輔

鈴村裕輔(すずむら・ゆうすけ) 名城大学外国語学部准教授

1976年、東京生まれ。名城大学外国語学部准教授、法政大学国際日本学研究所客員所員。法政大学大学院国際日本学インスティテュート政治学研究科政治学専攻博士課程修了・博士(学術)。専門は比較文化。主著に『メジャーリーガーが使いきれないほどの給料をもらえるのはなぜか?』(アスペクト 2008年)、『MLBが付けた日本人選手の値段』(講談社 2005年)がある。日刊ゲンダイで「メジャーリーグ通信」、大修館書店発行『体育科教育』で「スポーツの今を知るために」を連載中。野球文化學會会長、アメリカ野球愛好会副代表、アメリカ野球学会会員。

鈴村裕輔の記事

もっと見る