メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

39人の壁を越えられなかった59年間

 1946年4月10日、戦後初の衆院議員選挙で39人の女性議員が誕生しました。女性が初めて立候補する権利、投票する権利を行使できたのです。

 日本が戦争に負けた2カ月後、連合国軍総指令部(GHQ)のトップ、ダグラス・マッカーサーが五大改革の指令を出します。その中に「参政権賦与による日本婦人の解放」が盛られていました。一方、戦前から婦人運動家として活動してきた市川房江らはそれより先、8月25日に「戦後対策婦人委員会」を結成、衆議院議員選挙の改正や治安警察法廃止を求め、同年11月には婦人参政権獲得を目的に同盟を結成しています。

 実は、女性の参政権はGHQに与えられるよりずっと以前の明治末年から、権利獲得のための運動が始まっていたのです。1931年には条件付きで婦人参政権を認める法案が衆議院を通過さえしています。この時は、貴族院の反対で廃案に追い込まれましたが……。

 さて、多くの先輩たちの努力もあって、ようやく39人の女性議員を誕生させることができたのに、その後の女性の政治参画の歴史を見ると惨憺(さんたん)たるものです。なんと、2005年の第44回衆院選で43人の女性が当選するまで実に59年間(この間、衆院選22回おこなわれています!)に渡って、1946年の39人を超えることはできませんでした。

戦後初の総選挙で婦人議員が39人誕生。開会に先立ち衆院本会議場を見学する女性議員=1946年4月25日拡大戦後初の総選挙で婦人議員が39人誕生。開会に先立ち衆院本会議場を見学する女性議員=1946年4月25日

「すべての女性が輝く日本」はどこへ?

 現在、女性議員は衆議院で47人(10.1%)、参議院で50人(20.7%)いますが、政治分野の女性の少なさが災いして、世界経済フォーラムが発表した2017年版の「男女平等ランキング」では、総合スコアで114位。安倍晋三総理が「SHINE!~すべての女性が輝く日本へ~」と誇らしげに掲げた「女性活躍」の看板は、早くも下ろされてしまったのでしょうか。

 周りに聞いてみると、「いやあ、元々、大衆受けするコピーに飛びついただけで、本心は女性は家にいて家事育児介護をしていてくれればいいと考えているんだもの。その本心が出ただけ」と辛辣(しんらつ)な声が大半。考えてみれば、そもそも安倍内閣の「女性活躍」って、当初から女性たちには不評でした。

 「家事も育児も介護も押し付けて、そのうえ外で働いて生産性を上げて輝けっていうの? 女を人間扱いしていない!」と。

 要は、人間を生産性と効率とスピードでのみ測っている。そういう価値観、総理の故郷の英雄・吉田松陰の富国強兵を今の日本に当てはめようとしているから、障がい者の雇用率の水増し問題も起きるし、国会議員のLGBTは生産性がない発言も出てくるんでしょうね。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


関連記事

筆者

円より子

円より子(まどか・よりこ) 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

ジャパンタイムズ編集局勤務後、フリージャ―ナリスト、評論家として著書40冊、テレビ・講演で活躍後、1992年日本新党結党に参加。党則にクオータ制採用。「女性のための政治スクール」設立。現在までに100人近い議員を誕生させている。1993年から2010年まで参議院議員。民主党副代表、財政金融委員長等を歴任。盗聴法強行採決時には史上初3時間のフィリバスターを本会議場で行なった。

円より子の記事

もっと見る