トルコ、サウジ、米国の思惑が絡む複雑な中東情勢を知らずしてこの事件は読み解けない
2018年10月29日
イスタンブールのサウジアラビア総領事館で10月2日に殺害されたジェマル・カシュクチュ氏。彼はサウジの名家出身だが、祖先はトルコ系である。本稿ではトルコ語の発音で書きたいと思う。
日本のメディアで連日報道されている「ジャマル・カショギ」という発音は、かなりおかしい。ジェマル(Cemal)は中東圏の男性によくある名前(アラビア語で「美しい」の意)だが、ジャマルというと「ラクダ」の意味になるので、間の抜けた感じに聞こえる。「カショギ」と呼ばれている苗字は、トルコ語ではカシュクチュ(Kaşıkçı:「匙屋」を意味する)と読む。ジェマル氏の先祖は300年前にアナトリア(小アジア半島)のカイセリからサウジへ巡礼に行き、その後、現地で定着したそうである。
AFP通信によると、ジェマル氏の親族には、サウジを建国したアブドルアジズ・サウード(Abdul Aziz al-Saud)国王の主治医を務めた祖父ムハンマド(Muhammad Kaşıkçı)や、著名な武器商人のおじアドナン(Adnan Kaşıkçı:2017年6月に82歳で死去)がいる。
ジェマル氏は、アラブ世界から欧米植民地主義の名残の一掃をめざす「ムスリム同胞団」(Muslim Brotherhood)のイスラム主義的な思想にひかれていたことでも知られる(サウジはイスラム主義諸国のリーダーを自負しており、1980年代以降、対抗馬として存在感を増すイスラム主義組織「ムスリム同胞団」を敵視してきた)。彼はこの思想を通じて、後に国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)を設立するウサマ・ビンラディン(Osama bin Laden)容疑者と親密になったが、1990年代以降、ビンラディン容疑者が欧米に対する武力闘争を呼び掛けるようになると、距離を置くようになったという(こちらの記事参照)。
若き日のビンラディン容疑者の友人、イスラム主義組織「ムスリム同胞団」の支持者、サウジ王家の顧問、サウジ政府の批判者、進歩主義者……。ジェマル氏は様々な矛盾した顔を持っていた。
トルコメディアによると、トルコのレジェプ・タイップ・エルドアン(Recep Tayyip Erdoğan)大統領は10月23日、ジェマル氏の殺害を意図して特別機でイスタンブールへ派遣されたサウジ人グループが、数日前から犯行を計画していたとの見解を発表。サウジ総領事館内でジェマル氏が殺害される前に、建物の監視カメラのシステムが意図的に解除されていたことも明らかにした。
3週間以上前の殺人事件に対し、エルドアン大統領は「我々は多くの情報を握っている」と強気の姿勢をみせているものの、その情報は日を追うごとに小出しに発表されてきた。サウジ王室が10月20日にジェマル氏の死亡を認めた後も、トルコの捜査体制に透明・公正さは感じられない。アンカラ、リヤド、ワシントンの3都市間で、事件処理を巡り様々な駆け引きが展開されていることがうかがえる。
今回の事件の背景には、IS(イスラム国)の弱体化にともない、ますます複雑化する中東情勢が大きくかかわっている。ジェマル氏の殺害を発端とした各国の思惑について、地元メディアの発信からわかってきたことを整理したい。
彼は2015年1月に前国王が死去すると、30歳という異例の若さで国防大臣に任命された。「アラブの春」の余波で勃発したイエメン内戦に、フーシー派(シーア派勢力)をつぶす目的でサウジ軍として介入。同年3月には空爆に踏み切った。
2017年6月には、サウジのサルマン・ビン・アブドゥルアズィズ(Salman bin Abdulaziz)国王が、勅命によりムハンマド・ビン・ナーイフ(Muhammad bin Naif )皇太子を解任。ムハンマド王子が皇太子に昇格し、王位継承者となった。
彼が皇太子になって以降、サウジは混乱続きである。この1年間で、草の根で人権侵害や不当逮捕を訴えていた人々は投獄され、消息を絶ち口封じされた。最近は彼の親族まで(サウジではよくある)汚職などを理由に逮捕され、虐待を加えられているという。当局はそうした逮捕の是非が問われないよう、容疑者たちの親族を力ずくで黙らせ、非公開の秘密裁判をおこなっている。
このような状況の中、サウジ政府を批判し、皇太子の強硬路線を非難し続けていたジェマル氏が狙われたのは必然といえよう。
やりたい放題のムハンマド皇太子の背後には、アメリカの支持が常に存在してきた。アメリカがのぞまなければ、これほど長い間、皇太子が暴走を続けられるわけがない。
トルコはオスマン帝国時代から、スンニ派から派生した過激なワッハーブ派を信じるサウジと馬が合うわけではなかった。それでも両国は、イスラム世界をけん引する存在として、互いに尊重し合う関係が長く続いてきた。
サウジとトルコの距離が広がったのは、シリア問題での対立がきっかけである。2011年にシリア内戦が始まり、亡命シリア人を中心としたアサド政権に対する反政府組織「シリア国民評議会」が同年夏にイスタンブールを拠点に組織された。これに対し、イスラム組織の影響力が強すぎるという懸念があがり、アメリカはリヤドを拠点とする「シリア革命・反体制派諸勢力国民連合」を2012年11月に発足させた。
トルコは中東地域における存在感を高めるチャンスを虎視眈々とうかがってきた。今回のジェマル氏殺害事件では、サウジ側の犯行計画を予め知りながら、ジェマル氏が総領事館に入ることを止めずに監視して殺害の決定的な証拠を握り、外交の主導権を握ることを目論んでいたのではないか。
サウジのムハンマド皇太子が国防大臣に就任して間もない2015年3月にイエメンを空爆したとき、アメリカは全面的にバックアップした(イエメン内戦はイランとサウジの代理戦争的な意味合いが強い)。アメリカの目的は、強硬路線を取るムハンマド皇太子を中心にイラン包囲網をつくることだ。
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