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貧乏くさい学者で私はありたい

韓国の大学教授は政府高官に就く。だが教授という職業は本来、ブルーカラーなのだ

徐正敏 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

大学教授が国家公務員にならって序列化される愚かさ

 しかしそれらにもましておおきな理由は、朝鮮時代の政治史のなかに見出される。

 朝鮮時代には、政治、行政の担当者を学者から取り立てた伝統がある。彼らはみな儒学者であるが、実際的な政治に積極的に参与するグループと、いわゆる「在野」にとどまるグループがあって、学派をベースにして種々の党派や政治派閥を形成してきた。

拡大朝鮮時代の儒学者たちの根拠地である書院、1543年慶尚北道の栄州に設立された紹修書院=韓国観光公社HPより

 もちろんどんな時代にも、政官界に進出して政治権力に参与することを学者として拒否し、野に在って学問研究に精進する学者はいるもので、現代の韓国においても政官界に出ることを望まない者は多数いる。

 付け加えれば、政権によっては法律家を多数登用する場合もあるが、これも「科挙」という高麗、朝鮮時代の官吏登用試験の伝統の名残であると思われる。国家試験の中でも難関とされる「司法試験」をパスした人物を、昔の「科挙」に合格した人々と同じように考えてのことであろう。

 十数年前、筆者が韓国の大学に在職していた頃に、権力志向のつよかった一人の先輩教授の長広舌が思い出される。彼は、韓国の大学の教授は基本的に長官レベルとしてみるべきだと説いた。もちろん大学の学長や総長は総理レベルであるという。しかしそれも大学のランキングによって事情はぜんぜん違ってくるという話であった。筆者はそのような説明を聞きながら苦笑を浮かべた記憶がある。

 もちろん総理や長官、次官は素晴らしいリーダーシップを発揮しなげればならない立場であるし、国家、社会をリードする重い責任を背負う職務であることは十分に理解しているつもりである。しかし、学者としてのプライドとアイデンティティーを持つべき教授が、国家公務員にならって序列化されるなどということはあり得べからざることであり、その程度の自尊心しかないなら、どんな顔をして教え子たちの前で学問を論じ、普遍的な価値を教えることができるのかと考えたのである。その先輩教授のような人物はむしろはじめから政界に進むなりして、自己の権力志向を満足させてくれる分野で活動した方がよい。尊敬を受ける学者や教授では決してないと思ったのである。

 だいたい彼のように権力志向をつよくもつ教授たちは、いわゆる学内政治、つまり大学内での役職と権力に執着し、特に学長や総長の座に着くことに血眼になる場合が多い。

 もちろん韓国の大学教授の一部、いや大部分の教授はそうではないと確信する。それでもやはり一部の教授は、自身の社会的な誇りを政官界との互換性、あるいは企業や社会的利益団体との関連性のなかにつくりあげているのではないかという思いをぬぐいきれない。

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筆者

徐正敏

徐正敏(そ・じょんみん) 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

1956年韓国生まれ。韓国延世大学と大学院で修学。日本同志社大学博士学位取得。韓国延世大学と同大学院教授、同神科大学副学長、明治学院大学招聘教授、同客員教授を経て現職。アジア宗教史、日韓キリスト教史、日韓関係史専門。留学時代を含めて10年以上日本で生活しながら東アジアの宗教、文化、社会、政治、特に日韓関係を研究している。主なる和文著書は、『日韓キリスト教関係史研究』(日本キリスト教団出版局、2009)、『韓国キリスト教史概論』(かんよう出版、2012)、『日韓キリスト教関係史論選』(かんよう出版、2013)、『韓国カトリック史概論』(かんよう出版、2015)、『東アジアの平和と和解』(共著、関西学院大学出版会、2017)など、以外日韓語での著書50巻以上。

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