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貧乏くさい学者で私はありたい

韓国の大学教授は政府高官に就く。だが教授という職業は本来、ブルーカラーなのだ

徐正敏 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

大学教授は「ブルーカラー」、すなわち労働者である

 たまに尋ねられることがある。日本の大学教授と韓国の教授と、どちらがより社会的尊敬を受けているのかと。単純に比較することはできない。むしろ筆者は、教授たる者かならずや人々の尊敬を集めなければならないとか、いつも人々を教え諭す立場にいなければならないとは考えない。言い方を換えるなら、教授には「ブルーカラー」としての職業意識が必要ではないかと思う。

 学者や教授は、権力あるいは社会的な影響力を直接的な尺度とする政、官、財界との互換性で評価されるべき職業ではない。きわめて高度な専門性をもつ一個の人間として、あるいは価値創造と一貫した主張の担い手としての自己にプライドをもつべき存在なのだ。

拡大韓国でもっとも伝統ある代表的な私立大学として、多数の教授の政官界進出で有名な延世大学。筆者の母校であり、長い間教授として在職した大学でもある=延世大学HPより

 筆者は、教授や学者は思考と知識を生産し、それをサービスする労働者ではないかと考える。「ブルーカラー」だと述べたのはそういう意味である。実際、今日もそうであったし、明日もそうであろうが、汗を流しながら、自己の思惟と知識を一生懸命にクラスで話すことを筆者は自分の天職と思っている。

 チョークの粉を白く撒き散らしながら熱弁を振るう筆者の講義は、その内容の良し悪しはひとまず棚に上げるとして、やはりキツイ労働であることはたしかである。三、四時間の連続講義が終わると、筆者のブルージーンズはチョークの粉に塗れていて、声はかすれるし、もはや体力もまったく残されていないような状態である。もちろん講義だけが労働ではない。その知識を生産するまでの読書や研究も労働であろう。筆者がわが大学のある教授ととりわけ親しくなったのも、このことを話して意気投合したことがきっかけであった。彼もやはり大学の教授は「ブルーカラー」であることを確信していた。

 もちろんそれは伊達や酔狂、つまり見かけだけであってはならない。じつに多くの”知識人”が自分の仕事を飾りたて、偉そうなふりをしているが、反対に、あざといほどにへりくだって、自分をなにか民衆の生き方の代表でもあるかのように作りあげている姿もよくみかける。実際には民衆の生活などというものを経験したこともなく、彼らの人生の哀歓を実感することもできないまま、あたかも自分が彼らとともにいるように錯覚し、なりすましている”知識人”もまた多い。これは筆者自身もそのように自分を偽ってはいないかとつねに自戒するところである。


筆者

徐正敏

徐正敏(そ・じょんみん) 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

1956年韓国生まれ。韓国延世大学と大学院で修学。日本同志社大学博士学位取得。韓国延世大学と同大学院教授、同神科大学副学長、明治学院大学招聘教授、同客員教授を経て現職。アジア宗教史、日韓キリスト教史、日韓関係史専門。留学時代を含めて10年以上日本で生活しながら東アジアの宗教、文化、社会、政治、特に日韓関係を研究している。主なる和文著書は、『日韓キリスト教関係史研究』(日本キリスト教団出版局、2009)、『韓国キリスト教史概論』(かんよう出版、2012)、『日韓キリスト教関係史論選』(かんよう出版、2013)、『韓国カトリック史概論』(かんよう出版、2015)、『東アジアの平和と和解』(共著、関西学院大学出版会、2017)など、以外日韓語での著書50巻以上。

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