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貧乏くさい学者で私はありたい

韓国の大学教授は政府高官に就く。だが教授という職業は本来、ブルーカラーなのだ

徐正敏 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

「ネクタイ」に対する一つの杞憂

 筆者がここで教授や学者が「ブルーカラー」であるというその意味は、彼らの研究や知的生産、あるいは教育の場における活動そのものが激しい労働であるということだ。

 専門的労働者、知的労働者というような分類が可能かどうかはしらないし、労働を種別することに意味があるとも思えないが、ともかく労働者意識を持たなければならないと考えている。そして筆者は、自身が労働者意識を忘れないために、いつもまず服装を仕事しやすいものとすることを心がけている。特別なときでなければネクタイを締めたり、りっぱな服装はしない。

 趣味もなるべくなら高尚な趣味よりは多くの人々といっしょに楽しめるようなものが自分には似つかわしいと考えている。食べ物についてもやかましくいわない。多くの人々が楽しむ食べ物を一緒に味わえればそれでよい。たとえ経済的な余裕があったとしてもなるべく倹約して、奢りたかぶった生活はできるだけ遠ざけておきたいと思っている。

 とはいえ、もちろん例外はある。誰にでもあるであろう一つ二つの特別な愛着、それは尊重されなければならない。それはその人にとっての人生の愉楽である。そんなささやかな贅沢は見逃されてよいのだ。

 ただともかく筆者は、全体としては平凡で、通俗的で、「貧乏くさい」学者でありたいと願っている。本来経済的にはそんなに豊かな生活ができない職業が教授や学者なのである。多少みすぼらしくてもなにを恥じることがあろうか。言い過ぎかもしれないが、汗の臭いがしない教授、生活者としての様子がみえない学者はむしろかっこ悪いとさえ思う。

 とくに人文学の分野の学者は、自分を飾り立てることをしないその姿や感性から人文学的思考が紡ぎ出され、人としての生き方や普遍的な価値についての理解が深まってゆくのではないか。不自然に自分を飾り立てるところには特殊な思想しか生まれないし、民衆の精神が理解できることを強調していても、それがただのイデオロギー的な建前であったりする。

 そんなわけで、あくまでも個人的な見解にすぎないのだが、筆者は、大学教授、特に人文学系の教授は、なるべくネクタイを締めないほうがよいと思う。ブルージーンズか、ゆるゆるの綿ズボンを着るのがよい。そしてみすぼらしくて安い食堂ではやり歌を聞きながら鍋のスープを飲んでいるのがよく似合う。暑い夏の日は汗の臭いに気をつけなければならないことや、袖が白いチョークの粉まみれであることは、むしろ勲章なのだ。

 念のためにもう一度繰り返しておく。ネクタイを端正に締めることが趣味である教授の場合には、彼のそのこだわりは最高に尊重されなければならない。同様に、万年筆だけは高価なものを持ちたいという誰かの望みも認定されてよい。歩行に不自由がある筆者の場合、自分の足代わりの自動車に対しては少々やかましいのだが、それくらいは受けいれられてよいはずだ。矛盾だといわれても、労働者にも幸せになる権利はあるのだといいたい。

 学界と政官界の互換性について韓国のことを論じながら、話がここまで逸れてしまった。読者の容赦を請う。


筆者

徐正敏

徐正敏(そ・じょんみん) 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

1956年韓国生まれ。韓国延世大学と大学院で修学。日本同志社大学博士学位取得。韓国延世大学と同大学院教授、同神科大学副学長、明治学院大学招聘教授、同客員教授を経て現職。アジア宗教史、日韓キリスト教史、日韓関係史専門。留学時代を含めて10年以上日本で生活しながら東アジアの宗教、文化、社会、政治、特に日韓関係を研究している。主なる和文著書は、『日韓キリスト教関係史研究』(日本キリスト教団出版局、2009)、『韓国キリスト教史概論』(かんよう出版、2012)、『日韓キリスト教関係史論選』(かんよう出版、2013)、『韓国カトリック史概論』(かんよう出版、2015)、『東アジアの平和と和解』(共著、関西学院大学出版会、2017)など、以外日韓語での著書50巻以上。

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