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安田純平さん解放の背景と身代金支払い問題

川上泰徳 中東ジャーナリスト

帰国直後、出迎えた妻の深結(みゅう)さん(手前左)や両親(後列)と再会を喜び、おにぎりなどの食事をとる安田純平さん=2018年10月25日午後、深結さん提供20181025拡大帰国直後、妻の深結(みゅう)さん(手前左)や両親(後列)と再会を喜び、おにぎりなどの食事をとる安田純平さん=2018年10月25日、深結さん提供

 シリア北部でイスラム武装組織に拘束されていたフリージャーナリストの安田純平さん(44)が10月下旬、3年4カ月ぶりに解放された。日本政府はカタールとトルコが解放のために動いたことを明らかにし、安倍首相が両国に謝意を伝えた。国内では「政府と国民に迷惑をかけた」と安田さんを批判する声が「自己責任論」として再燃している。身代金の支払いについて政府は否定しているが、「カタールが支払った」という情報が出て、それがまた「自己責任論」を助長している。

 身代金の情報も、「自己責任論」も、安田さんが拘束され、解放されたシリアの情勢とはかけはなれて独り歩きしている。だがこれらは、特に9月以降、大きく動いたシリア北部のイドリブ情勢の中で考える必要がある。

関係者から入手した「解放交渉」の情報

 私はジャーナリストの有志でつくる「危険地報道を考えるジャーナリストの会」に世話人の一人として参加している。会では安田さん拘束問題についてもシンポジウムなどで取り上げ、トルコやシリア北部情勢についての情報収集をしてきた。

 特に7月末に安田さんがオレンジ色の囚人服を着せられ、銃を突き付けられた映像が流れた後、危機感が募った。さらに9月になればシリア内戦で最後の反体制勢力の拠点となったイドリブ県に対するアサド政権軍と、政権を支援するロシア軍による総攻撃があるとの観測が出てきた。

 ところが、9月17日にロシアのプーチン大統領とトルコのエルドアン大統領の合意に基づいて、反体制勢力支配地域と政権支配地域の間に幅15~20キロの非武装地帯を設置することになり、反体制勢力がその分、撤退することになった。設置の期限は10月15日とされた。

 新たな情勢を受けて、「危険地報道の会」としても安田さんの解放につながる手がかりはないかと、9月下旬に改めて現地での情報収集を行った。現地調査というのは、イスタンブールにいるアラブ人のジャーナリストにシリア北部の情勢を知る関係者に当たってもらってインタビューをするという極めてオーソドックスなものである。

 その中にはイドリブ出身の市民ジャーナリストT氏もいた。T氏は当初の拘束組織だったヌスラ戦線の交渉代理人を名乗る人物と連携して、安田さんの映像や画像を自身のフェイスブックで公開してきた。日本のメディアに出ている安田さん情報のほとんどがT氏から出たものだった。

 T氏によると、安田さんはアルカイダ系のヌスラ戦線に拘束されていた。ヌスラ戦線はアルカイダから離脱して、「シリア征服戦線」と改名し、その後、現在のシリア解放機構となった。ところが、安田さんを拘束していたグループは、今年6月ごろ、シリア解放機構から離れて、「フッラース・ディーン」(宗教の守護者)というアルカイダ系組織が集まる別の組織連合に移った。

 「フッラース・ディーン」は、アルカイダからの離脱を不満とする幹部が他のアルカイダ系組織と連携して、今年2月につくられたアルカイダ系組織だ。シリア解放機構もフッラース・ディーンもそれぞれ10ほどの組織が集まった連合体である。

 T氏は安田さん解放の可能性について、「拘束組織が身代金を求めているが、日本政府は身代金の支払いを拒否しており、解放される可能性は見えない」と言い切った。

 しかし、別の信頼できる筋から「トルコが関わって安田さんの解放交渉が行われている」という情報が出てきた。それも「10月末までには解放されるだろう」という、当時としては信じられないほど楽観的な情報だった。解放交渉は安田さんだけではなく、武装勢力が拘束しているアフリカ系やイラン人の人質など他の解放交渉も同時に行われているということだった。

 安田さんだけでなく、他の人質問題も一緒に行われているという話から、イドリブでのトルコ・ロシア合意を実現する条件づくりの一環として解放交渉が行われていると私は理解した。

 これは戦闘が再開されて合意が崩れれば安田さんの解放交渉も頓挫してしまうことを意味していた。「危険地報道の会」としては交渉情報を機密として、イドリブ情勢と交渉の行方を見守ることにした。結果的には解放時期もあわせて、その時の交渉が成就したことになった。


筆者

川上泰徳

川上泰徳(かわかみ・やすのり) 中東ジャーナリスト

長崎県生まれ。1981年、朝日新聞入社。学芸部を経て、エルサレム支局長、中東アフリカ総局長、編集委員、論説委員、機動特派員などを歴任。2014年秋、2度目の中東アフリカ総局長を終え、2015年1月に退職し、フリーのジャーナリストに。元Asahi中東マガジン編集人。2002年、中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』(岩波書店)、『イラク零年――朝日新聞特派員の報告』(朝日新聞社)、『現地発 エジプト革命――中東民主化のゆくえ』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと――伝統と「革命」のあいだで』(岩波書店)、『中東の現場を歩く――激動20年の取材のディテール』(合同出版)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない――グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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