2018年11月01日
フリージャーナリストの安田純平さんが救出された後、日本国内でまた「自己責任論」が出ている。「政府が渡航を禁止している地域に入って拘束されたのだから、政府が救出に向かう必要はない」「救出については政府と国民に迷惑をかけた」というような論調である。
シリア内戦は2011年の発生以来、50万人ともいわれる死者を出し、500万人の難民が流出し、混乱の中で「イスラム国(IS)」が一時、広大な支配地域を広げ、ISに呼応するテロが中東だけでなく、欧米、アジアで発生し、日本人も犠牲になった。世界中がシリア内戦の行方を注視し、世界中のジャーナリストがその紛争の実態を伝えるために、現地情報を集め、安全を確保しつつ、現地取材を行ってきた。
シリア内戦で命を落とした山本美香さんも、後藤健二さんも紛争地取材では日本を代表するジャーナリストだった。安田さんの1カ月後にシリア北部で武装組織に拘束されたスペイン人ジャーナリスト3人の中心メンバー、アントニオ・パンブリエガ氏は過去に12回、シリア北部に入って報道した紛争取材のエキスパートである。そのような経験をもってしても拘束されたり、殺害されたりする危険性があるのが紛争地取材の難しさである。
しかし、危険だからといってジャーナリストが紛争地取材をしなくなれば、なぜ、紛争が起こり、広がっているのかも分からず、どうすれば紛争を終わらせることができるかも分からなくなるだろう。その意味では、イラク戦争時からシリア内戦と紛争地取材を続けてきた経験をもつジャーナリストである安田さんが、危険を承知しながらシリアの反体制地域に入ったことには、非難される点は何もない。
政府から研究費の補助を受けている研究機関や研究プロジェクトに参加している地域研究者は、国が退避勧告を出した地域に入ることは原則としてはできない。日本の報道機関でも、退避勧告が出された国・地域には取材記者を一切入れないという組織メディアがある。私自身は朝日新聞の中東専門記者をしていたが、退避勧告地域の中でもさらに危険を伴う場所での取材を何度もした。
▽2003年11月に日本人外交官が乗った自動車が襲撃されて外交官2人が殺害されたイラク北部の事件現場▽2004年5月に米軍の包囲攻撃を受けたイラクのファルージャ▽2006年に自衛隊が撤退した後の検証取材を行ったイラク南部のサマワ▽2014年6月に「イスラム国(IS)」がモスルを陥落させた後のバグダッドなどである。
いずれも、「連載 中東取材20年:戦争、革命、「イスラム国」へ」でそれぞれの取材経験を掲載している。
新聞社での紛争地取材は私自身が現地入りの希望を出して、会社が認めるという形だった。明確な規定が社内にあったわけではなかったが、私の理解では、紛争地の中でも危険を伴う取材については、新聞社が業務として一方的に記者に命じることはなく、記者の発意を受けて取材の必要性や安全対策などを新聞社が検討し、もし、新聞社が記者の現場入りを認めたら、事故があった場合の責任は会社がとるということである。
2012年末に私はシリア北部アレッポの反体制地域への取材を発意したことがある。現地での受け入れ先や同行する現地のジャーナリストなどを書いた取材計画を出した
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