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安田純平さんが非難される点は何もない

川上泰徳 中東ジャーナリスト

シリアでの拘束から解放され、英語で自分の名前などを語る安田純平さん=24日午前11時45分ごろ、トルコ南部ハタイ県のアンタキヤにある入国管理施設、ハタイ県提供 20181024拡大シリアでの拘束から解放された安田純平さん=2018年10月24日、トルコ南部ハタイ県のアンタキヤにある入国管理施設で ハタイ県提供

 フリージャーナリストの安田純平さんが救出された後、日本国内でまた「自己責任論」が出ている。「政府が渡航を禁止している地域に入って拘束されたのだから、政府が救出に向かう必要はない」「救出については政府と国民に迷惑をかけた」というような論調である。

 シリア内戦は2011年の発生以来、50万人ともいわれる死者を出し、500万人の難民が流出し、混乱の中で「イスラム国(IS)」が一時、広大な支配地域を広げ、ISに呼応するテロが中東だけでなく、欧米、アジアで発生し、日本人も犠牲になった。世界中がシリア内戦の行方を注視し、世界中のジャーナリストがその紛争の実態を伝えるために、現地情報を集め、安全を確保しつつ、現地取材を行ってきた。

 シリア内戦で命を落とした山本美香さんも、後藤健二さんも紛争地取材では日本を代表するジャーナリストだった。安田さんの1カ月後にシリア北部で武装組織に拘束されたスペイン人ジャーナリスト3人の中心メンバー、アントニオ・パンブリエガ氏は過去に12回、シリア北部に入って報道した紛争取材のエキスパートである。そのような経験をもってしても拘束されたり、殺害されたりする危険性があるのが紛争地取材の難しさである。

 しかし、危険だからといってジャーナリストが紛争地取材をしなくなれば、なぜ、紛争が起こり、広がっているのかも分からず、どうすれば紛争を終わらせることができるかも分からなくなるだろう。その意味では、イラク戦争時からシリア内戦と紛争地取材を続けてきた経験をもつジャーナリストである安田さんが、危険を承知しながらシリアの反体制地域に入ったことには、非難される点は何もない。


筆者

川上泰徳

川上泰徳(かわかみ・やすのり) 中東ジャーナリスト

長崎県生まれ。1981年、朝日新聞入社。学芸部を経て、エルサレム支局長、中東アフリカ総局長、編集委員、論説委員、機動特派員などを歴任。2014年秋、2度目の中東アフリカ総局長を終え、2015年1月に退職し、フリーのジャーナリストに。元Asahi中東マガジン編集人。2002年、中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』(岩波書店)、『イラク零年――朝日新聞特派員の報告』(朝日新聞社)、『現地発 エジプト革命――中東民主化のゆくえ』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと――伝統と「革命」のあいだで』(岩波書店)、『中東の現場を歩く――激動20年の取材のディテール』(合同出版)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない――グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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