保守への思想的関心よりも、アンチ・リベラルの思いが先行している政治家
2018年11月04日
史上最長の首相在位期間が射程に入ってきた安倍晋三総理大臣。肯定的な評価と否定的な評価に真っ二つに分かれる人物ですが、どのようなヴィジョンや政策、特徴をもった政治家なのか、私たちははっきりとつかみ切れていないのではないでしょうか。
連載の第3回は、いよいよ現役総理に迫ります。いつものように著書をじっくり読むことで検証してみたいと思います。
安倍さんが著者として出している書籍は、共著を含めると基本的に以下の7冊です。
① 『「保守革命」宣言-アンチ・リベラルの選択』(栗本慎一郎、衛藤晟一との共著) 現代書林、1996年10月
② 『この国を守る決意』(岡崎久彦との共著) 扶桑社、2004年1月
③ 『安倍晋三対論集 日本を語る』 PHP研究所、2006年4月
④ 『美しい国へ』 文春新書、2006年7月
⑤ 『新しい国へ-美しい国へ・完全版』 文春新書、2013年1月
⑥ 『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(百田尚樹との共著) ワック、2013年12月
⑦ 『日本の決意』 新潮社、2014年4月
このうち実質的な単著は④の1冊です。⑤はその増補版。①は共著。②③⑥は対談本。⑦は総理大臣としてのスピーチ集なので、必ずしも本人が書いた原稿ではないでしょう。
石破茂さん(連載第1回)や野田聖子さん(連載第2回)に比べて、安倍さんは著書の少ない政治家であり、その著書も第一次安倍内閣以前に出版されたものが大半です。かつ、主著である④も、過去の本などからのコピペに近い部分が散見されます。
そのため、ここでは比較的若い時期に、率直な意見を述べている①②を中心に見ていくことで、安倍晋三という政治家の「地金」の部分を明らかにしたいと思います。
安倍さんが初当選したのは1993年の衆議院選挙です。この時、自民党は大転換期を迎えていました。
リクルート事件などがあり、宮沢内閣は政治改革の激流に飲み込まれていました。しかし、宮沢首相は小選挙区の導入などに消極的な態度を示したため、内閣不信任案が提出されます。これに同調したのが、竹下派から分裂した小沢一郎さんや羽田孜さんらのグループ(改革フォーラム21)でした。
安倍さんはいきなり野党の政治家としてキャリアをスタートさせます。そして、このことが安倍晋三という政治家を考える際、重要な意味を持ちます。
安倍さんは、この当時、自民党のあり方に疑問を持ったそうです。本当に自民党は保守政党なのか。保守としての役割を果たせているのか。そもそも保守とは何なのか(①:37-50)。この思いが、野党政治家として<保守政党として自民党の再生>というテーマに向かっていくことになりました。
さて、非自民政権として発足した細川内閣ですが、組閣から間もなくの記者会見で、細川首相が「大東亜戦争」について「私自身は侵略戦争であった、間違った戦争であったと認識している」と述べました。これに野党・自民党の一部は反発します。8月23日に党内に「歴史・検討委員会」が設置され、次のような「趣旨」を掲げました。
細川首相の「侵略戦争」発言や、連立政権の「戦争責任の謝罪表明」の意図等に見る如く、戦争に対する反省の名のもとに、一方的な、自虐的な史観の横行は看過できない。われわれは、公正な史実に基づく日本人自身の歴史観の確立が緊急の課題と確信する。(歴史・検討委員会編『大東亜戦争の総括』展転社、1995年)
彼らは、日本の歴史認識について「占領政策と左翼偏向の歴史教育」によって不当に歪められていると主張します。こんなことでは子供たちが自国の歴史に誇りを持つことができない。戦後の教育は「間違っていると言わなければならない」。「一方的に日本を断罪し、自虐的な歴史認識を押しつけるに至っては、犯罪的行為と言っても過言ではない」。そんな思いが血気盛んに語られました。(前掲書)
新人議員の安倍さんは、この委員会に参加し、やがて右派的な歴史認識を鼓舞する若手議員として頭角を現します。
1997年には中川昭一さんが代表を務める「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が発足し、安倍さんは事務局長に就任しました。
この会の記録が書籍となって残されていますが、そこでは歴史教科書問題や慰安婦問題などをめぐって、官僚やリベラル派の政治家、左派的知識人に対する激しい批判が繰り返されています。
安倍さんの発言(登壇者への質問)を読んでいくと、その大半は慰安婦問題を歴史教科書に掲載することへの批判にあてられています。安倍さんの歴史教育についての思いは、次のことばに集約されています。
私は、小中学校の歴史教育のあるべき姿は、自身が生まれた郷土と国家に、その文化と歴史に、共感と健全な自負を持てるということだと思います。日本の前途を託す若者への歴史教育は、作られた、ねじ曲げられた逸聞を教える教育であってはならないという信念から、今後の活動に尽力してゆきたいと決意いたします。(日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編『歴史教科書への疑問』展転社、1997年)
安倍さんは例えとして、子供向けの偉人の伝記を取り上げます。小学生を対象に書かれた偉人伝には、その人物の立派な側面ばかりがつづられています。しかし、実際の人物は様々なネガティブな側面を持っています。酒におぼれたり、家庭の外に愛人を作ったり。この負の部分をどのように伝えるべきか。
安倍さんは「私もこういう素晴らしい人間になりたいと思わせる気持ちを育成することが大切」なので、まずは立派な部分だけを教えればよいといいます。負の部分を教えると「極めてひねくれた子供が出来上がっていく」のでよくない。人間は複雑な側面を持っているということがよくわかってきた段階で、負の側面を教えればよいので、歴史教育については小学校・中学校・高校と大学のような場所では「それなりに教える内容とか態度が違っていいんじゃないか」と言います。(前掲書:360-361)
だから、慰安婦問題は歴史教科書で教える必要はない。自国への誇りを持たせるための教育段階では、教科書に掲載する必要などない。
社会問題になっているから掲載するというのであれば「『援助交際』を載せるつもりがあるのかどうか」(前掲書:93)。性暴力の問題を教えるべきというのであれば、痴漢行為を行って捕まった「ある新聞のある論説主幹」の性暴力はどうなるのか。こちらの方が性暴力の本質なのではないのか。そう主張します。
さらに元慰安婦の証言には「明らかに嘘をついている人たちがかなり多くいる」と言及し、長年沈黙を続けてきたことへの疑問を述べたうえで、次のように発言しています。
もしそれが儒教的な中で五十年間黙っていざるを得なかったという、本当にそういう社会なのかどうかと。実態は韓国にはキーセン・ハウスがあって、そういうことをたくさんの人たちが日常どんどんやっているわけですね。ですから、それはとんでもない行為ではなくて、かなり生活の中に溶け込んでいるのではないかとすら私は思っているんです(前掲書:313)
そして、慰安婦問題を追及する左派知識人への反発を述べます。
安倍さんの最大の特徴は、「左翼」や「リベラル」に対する敵意を明確に示すところです。最初の著作である①では、日本の「リベラル」はヨーロッパ型ではなく、アメリカ型であるとしたうえで、それは「社会主義」にきわめて近い形の「福祉主義」であり、進歩主義と親和的であるといいます。また、村山内閣の「人にやさしい政治」はこの「リベラル」に当たると述べたうえで、自分の「保守」は「曖昧な「リベラル」的ムードに、明確に「否」と意思表示していく立場」であると規定します(①:35)。①のサブタイトルは、「アンチ・リベラルの選択」です。
安倍さんは政治家になりたての頃、西部邁さんの保守の定義に「一番共鳴」したようですが(①:37)、そもそもは保守への思想的関心よりも、アンチ左翼という思いが先行していたと率直に述べています。
私が保守主義に傾いていったというのは、スタートは「保守主義」そのものに魅かれるというよりも、むしろ「進歩派」「革新」と呼ばれた人達のうさん臭さに反発したということでしかなかったわけです(①:43-44)
安倍さんの左翼批判は加速していきます。首相就任を2年後に控えた2004年の対談本②では、露骨な左翼批判が繰り返されます。
安倍さんによると、左派の人たちは「全く論理的でない主張をする勢力」であり、「戦後の空気」の中にあると言います(②101-102)。
そうした人々は、例えば自国のことでありながら、日本が安全保障体制を確立しようとするとそれを阻止しようとしたり、また日本の歴史観を貶めたり、誇りを持たせないようにする行動に出ます。一方で、日本と敵対している国に対しての強いシンパシーを送ったり、そうした国の人々に日本政府に訴訟を起こすようにたきつけたり、いろいろなところでそういう運動が展開されています(②:107)
安倍さんは、自民党議員の一部も「戦後の空気」に感染していると指摘し、いら立ちをあらわにします。拉致問題をめぐっては「情」よりも、核問題に対処する「知」を優先すべきだという議論が党内から出てきたのに対し、「これはおかしいと思って、私はあらゆるテレビや講演を通じて、また国会の答弁などで徹底的に論破しました」と語っています(②:112)。
ここで「論破」という言葉を使っているのが、安倍晋三という政治家の特徴をよく表していると言えるでしょう。相手の見解に耳を傾けながら丁寧に合意形成を進めるのではなく、自らの正しさに基づいて「論破」することに価値を見出しているというのがわかります。しかも、その相手は同じ自民党のメンバーです。
安倍さんは次のようにも言います。
戦後の外交安全保障の議論を現在検証すると、いわゆる良心的、進歩的、リベラルという言葉で粉飾した左翼の論者が、いかにいいかげんで間違っていたかがわかります。議論としては勝負あったということなのですが、いまだに政界やマスコミでスタイルを変えながら影響力を維持しています(②:221)
このような一方的な勝利宣言をしたものの、不満はおさまりません。自分たちは正しく、左翼が間違えていることが明確にもかかわらず、自分たちの方が少数派で、「ちょっと変わった人たち」とされてきたことに納得がいかないと言います(②105)。
安倍さんが、アンチ左翼の標的とするのが、朝日新聞と日教組です。
彼は初当選時から、マスコミに対する強い不信感を示しています。①では1993年選挙において「日本新党や当時の新生党にマスコミは明らかに風を送りましたよね」と言及し、「自民党は倒すべき相手」とみなされていると指摘します(①:101)。しかし、小選挙区比例代表並立制では50%の得票が必要になるため、マスコミを通じて多くの人に知ってもらう必要があり、「マスコミの権力というのはますます大きくなっていく」と警戒しています(①:101-102)。
安倍さんは、繰り返し朝日新聞を目の敵にし、強い言葉で攻撃していきます。例えば、日本人の対アメリカ認識について、「国民を誤解するようにしむけている勢力」が存在していると指摘し、朝日新聞をやり玉に挙げています(②:33)。
また、日本人の教育がゆがめられているのは日教組の責任が大きいとして、警戒心を喚起します。村山内閣以降、自民党の中にも日教組と交流する議員が出てきたものの、融和ムードは禁物で、「日教組に対する甘い見方を排したほうがいいと思います」と述べます(②:142)。日教組は文部省とも接近することで「隠れ蓑」を手に入れ、「地方では過激な運動を展開しているのが現実」と言います(②:142)。
具体的政策についてですが、首相就任以前の提言は、歴史認識や外交・安全保障の分野に集中しています。
まず力説するのが、靖国神社への首相参拝の正当性です。この問題はすでに中曽根内閣の時に決着済みで、公式参拝という形でなければ合憲という見解を強調します。
安倍さんは言います。
靖国神社参拝を直接、軍国主義と結びつけるというのは全く見当外れな意見と言えましょう。ですから総理が自然なお気持ちで参拝をされる、そしてそれを静かに国民も見守るということが、最も正しい姿だろうと思うのです。(②:145)
靖国神社の問題は、常に国家の問題を考えさせられます。私たちの自由など、さまざまな権利を担保するものは最終的には国家です。国家が存続するためには、時として身の危険を冒してでも、命を投げうってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということですね。(②:150)
外交・安全保障については、当初から一貫して「日米基軸」を強調し、日米安保の強化を説いています(①:169)。ちなみに安倍さんが大きな影響を受けたという西部邁さんは、一貫した日米安保反対論者でした。
安倍さんはアジア主義への警戒を強調します。
われわれはアジアの一員であるというそういう過度の思い入れは、むしろ政策的には、致命的な間違いを引き起こしかねない危険な火種でもあるということです(①:173)
日本は「欧米との方が、慣習的には分かり合える部分があるかもしれない」。かつて岡倉天心が『東洋の理想』で説いた「アジアは一つ」という観念は、積極的に排除するべきであると主張します。
安倍さんが言及するのは、中国やベトナム、北朝鮮など共産主義国との価値観の違いです。同じアジアと言っても国家体制が違いすぎる。価値の体系も違いすぎる。そのような国とは、やはり距離をとるべきだというのが主張の中心にあります。
この観点から、アジアに「マルチな対話機構」もしくは「集団安保機構」をつくって安全を確保すべきという意見に強く反発します。これは「絶対に不可能」と断言し、アメリカが最も重要であることを繰り返し確認します(①:177)。
安倍さんは当選当初から、集団的自衛権を認めるべきとの見解を示していました。「現行憲法のもとで後方支援の範囲内での行動の前提となる集団的自衛権くらいは、せめて認めなければならない」とし、憲法改正以前の問題だと論じています(①:185)。このような信念があったからこそ、のちに憲法9条の改正をせずに安保法制の整備を進めたのでしょう。
ただし、安倍さんが改憲に消極的だったというわけではありません。「憲法を不磨の大典のごとく祀りあげて指一本触れてはいけない、というのは一種のマインドコントロール」と述べ、次のように言います。
私は、三つの理由で憲法を改正すべきと考えています。まず現行憲法は、GHQが短期間で書きあげ、それを日本に押し付けたものであること、次に昭和から平成へ、二十世紀から二十一世紀へと時は移り、九条等、現実にそぐわない条文もあります。そして第三には、新しい時代にふさわしい新しい憲法を私たちの手で作ろうというクリエイティブな精神によってこそ、われわれは未来を切り拓いていくことができると思うからです。(②:217)
親米派の安倍さんは、イラク戦争についてもアメリカを支持。自衛隊派遣についても民主制を定着させるという「大義」と石油確保という「国益」のために、積極的に進めるべきとの立場をとりました。(②:14)
安倍さんの親米という姿勢は揺らぎません。
「世界の中の日米同盟」とは日米安保条約による日米のこの絆、同盟関係を世界のあらゆる場面で生かしていくということです。米国との力強い同盟関係を、世界で日本の国益実現のテコとするということでもあり、国際社会の協力構築にも資することになります(②:205)
ただ、沖縄の基地負担については、しっかりと対策を講じなければならないと言及します。沖縄の基地は「可能な限り減らしていく」ことに尽力すべきであり、「沖縄に過度に基地が集中しているという現実には、やはりわれわれ政治家は、正面から向き合わなければならないと思います」と述べています。(①:182)
この点、沖縄県知事と対立し、辺野古移設を進める現在の安倍首相はどのように過去の発言を振り返るのでしょうか? おそらく辺野古移設こそが普天間基地の返還の唯一の方法であり、沖縄の負担軽減になると主張するのだと思いますが、沖縄の理解が得られていないというのが沖縄県知事選挙の結果なのでしょう。
私が注目したいのは、岸が安保条約を通すために、安保条約に厳しい態度をとっていた大野伴睦の賛成を得ようとして「次の政権を大野氏に譲る」という趣旨の念書を書いたという話です。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください