中島岳志の「自民党を読む」(3)安倍晋三
保守への思想的関心よりも、アンチ・リベラルの思いが先行している政治家
中島岳志 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授
議員生活は歴史認識問題から始まった
安倍さんが初当選したのは1993年の衆議院選挙です。この時、自民党は大転換期を迎えていました。
リクルート事件などがあり、宮沢内閣は政治改革の激流に飲み込まれていました。しかし、宮沢首相は小選挙区の導入などに消極的な態度を示したため、内閣不信任案が提出されます。これに同調したのが、竹下派から分裂した小沢一郎さんや羽田孜さんらのグループ(改革フォーラム21)でした。

「従軍慰安婦」問題について、調査結果の書類を手に記者会見に向かう河野洋平・官房長官=1993年8月4日、首相官邸
6月18日に衆議院が解散され、総選挙の結果、8月9日に野党勢力が結集する細川内閣が成立することになります。その5日前には、慰安婦問題についての「河野談話」が出されています。これが宮沢内閣の実質的な最後の仕事になりました。
安倍さんはいきなり野党の政治家としてキャリアをスタートさせます。そして、このことが安倍晋三という政治家を考える際、重要な意味を持ちます。
安倍さんは、この当時、自民党のあり方に疑問を持ったそうです。本当に自民党は保守政党なのか。保守としての役割を果たせているのか。そもそも保守とは何なのか(①:37-50)。この思いが、野党政治家として<保守政党として自民党の再生>というテーマに向かっていくことになりました。
さて、非自民政権として発足した細川内閣ですが、組閣から間もなくの記者会見で、細川首相が「大東亜戦争」について「私自身は侵略戦争であった、間違った戦争であったと認識している」と述べました。これに野党・自民党の一部は反発します。8月23日に党内に「歴史・検討委員会」が設置され、次のような「趣旨」を掲げました。
細川首相の「侵略戦争」発言や、連立政権の「戦争責任の謝罪表明」の意図等に見る如く、戦争に対する反省の名のもとに、一方的な、自虐的な史観の横行は看過できない。われわれは、公正な史実に基づく日本人自身の歴史観の確立が緊急の課題と確信する。(歴史・検討委員会編『大東亜戦争の総括』展転社、1995年)
彼らは、日本の歴史認識について「占領政策と左翼偏向の歴史教育」によって不当に歪められていると主張します。こんなことでは子供たちが自国の歴史に誇りを持つことができない。戦後の教育は「間違っていると言わなければならない」。「一方的に日本を断罪し、自虐的な歴史認識を押しつけるに至っては、犯罪的行為と言っても過言ではない」。そんな思いが血気盛んに語られました。(前掲書)
新人議員の安倍さんは、この委員会に参加し、やがて右派的な歴史認識を鼓舞する若手議員として頭角を現します。