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安田純平さんについての僕ら独自の責任

10月25日(木) 安田純平さん解放関係で朝から情報収集。2015年の安田さんも参加したシンポジウムの素材の件や、同時期に拘束されたスペイン人ジャーナリストの素材の件など。Rディレクターらとともに成田空港に午後5時前には到着。空港ロビーにはたくさんの報道陣が来ているが、それぞれ「仕切り」「縄張り」「掟」のようなルールがあって、空港腕章や登録手続きがなければ、パスポートコントロールより外側の空港施設内は取材ができない。情報が二転三転したが、結局、安田さん本人は到着ロビー出口には姿をみせず、タラップ下から車でそのまま病院に向かうとのこと。妻の深結(みゅう)さんが、記者会見をする方向だという。

空路で成田空港に到着し、外務省が用意した車に移動する安田純平さん(中央)=2018年10月25日午後6時36分、千葉県成田市20181025拡大空路で成田空港に到着した安田純平さん(中央)=2018年10月25日
 僕らは、成田駐在さんらが必死で確保してくれた降車タラップのみえるガラス窓位置の一角に陣取って、安田さんの到着を待った。

 到着時刻が早まって、午後6時半すぎに、僕らの位置の窓越しから安田さんが帰ってきた姿をみることができた。黒いTシャツ1枚のやせ細った安田さん。よく3年4か月のあいだ耐えしのんだものだ。その精神力の強靭さに脱帽する。

 深結さんの記者会見は当初、質問を受けつけないとの言い渡しがあったが、抗議をするとすぐに撤回して質疑があった。よかった。と言うのは、その方が、双方(話す側と訊く側)にとってプラスだからだ。長い、長い一日だ。だが3年4か月、1200日あまりに比べれば、一瞬みたいなものだ。会見場で一緒になったWさん、Dさんと一緒に車で帰る。ネットでまたぞろ自己責任論なるものを持ち出しての安田さんバッシングが祭状態だという。

10月26日(金) 朝、どうにもこうにもおさまりがつかず、プールに行って泳ぐ。その後、午後1時から、トルコ取材予定で一旦キャンセルしたのに、きのうになって「復活」を急遽お願いした「かわさき市民アカデミー」での講義。安田さん解放、サウジアラビア記者殺害、沖縄県知事選挙の話をしたら時間が足りないくらいだった。

 午後4時からワシントンDC在住のGさんと打ち合わせ。その後、早稲田のM、H君らと打ち合わせ。

10月27日(土) 「報道特集」のオンエア。前半は、安田純平さん解放ストーリー。2012年に「報道特集」が放送していた安田さんのシリア・リポートの映像がすべてを雄弁に物語っていた。つまり、僕らは安田さんの仕事ぶりを自分たちの番組の仲間として共有していたのだ。それなのに、なぜ安田さんが消息を絶って以降、今どこにいるのか、なぜ助け出すことができないのかというストーリーを、拘束されていた3年4か月のあいだに一度も放送できなかったことを顧みるべきだと僕自身は強く思っている。解放された安田さんに雲霞のごとく群がる報道陣の一員で甘んじていてはいけない独自の責任があるのだ。ましてや、自己責任論を言い立てるあれら反動的な人々には微塵たりとも与することはできない。

 後半の特集は、日下部正樹キャスターが長期にわたって継続取材している朝鮮人BC級戦犯のストーリー。これほどのあからさまな理不尽、不条理が放置されている。まさか自己責任などと言うのではあるまいな。オンエア後、あしたからアメリカに長期出張となるので、筑紫邸にうかがい、死後10周年忌の焼香をさせていただく。早めに帰宅して出張用のパッキング。

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筆者

金平茂紀

金平茂紀(かねひら・しげのり) TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

TBS報道局記者・キャスター・ディレクター。1953年、北海道生まれ。東京大学文学部卒。1977年、TBSに入社、報道局社会部記者を経て、モスクワ支局長、「筑紫哲也NEWS23」担当デスク、ワシントン支局長、報道局長、アメリカ総局長、コロンビア大学客員研究員などを経て、2010年より「報道特集」キャスター。2004年、ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『沖縄ワジワジー通信』(七つ森書館)、『抗うニュースキャスター』(かもがわ出版)、『漂流キャスター日誌』(七つ森書館)、『筑紫哲也『NEWS23』とその時代』(講談社)など多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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