石川智也(いしかわ・ともや) ジャーナリスト・朝日新聞デジタル「&」副編集長
1998年、朝日新聞社入社。岐阜総局などを経て社会部でメディアや教育、原発など担当した後、2018年から特別報道部記者、2020年4月から朝日新聞デジタル「&」副編集長。慶応義塾大学SFC研究所上席所員を経て明治大学感染症情報分析センターIDIA客員研究員。著書に「それでも日本人は原発を選んだ」(朝日新聞出版、共著)等。ツイッターは@Ishikawa_Tomoya
誰に対し何を謝ったのか。それはこの国で生きていくための、やむを得ない護身策だった
それにしても、この「謝罪」は、いったい、誰に対し、何を謝っているものなのだろう。
紛争地取材の実績あるジャーナリストが、職業である取材・報道のために現地に入り、運悪く拘束された。そのことが、どのような理由で、謝罪を要するほどの「罪」に問われているのだろう。そう考えたところで、デジャヴュに襲われたのだった。そして、なんとも暗澹たる気分になった。
SMAPの解散危機が最初にスポーツ紙などで電撃的に報じられた2016年1月、メンバー5人が急きょ生放送で「謝罪」の言葉を述べたことがあった。彼らは沈鬱な表情で、口々にこう言った。
「我々のことで世間をお騒がせしました。そしてたくさんの方々に、たくさんのご心配とご迷惑をおかけしました」
「この度は僕たちのことでお騒がせしてしまったこと、申し訳なく思っております」
「たくさんの方々に心配をかけてしまい、そして不安にさせてしまい、本当に申し訳ございませんでした」
このときも、彼らはいったい何に謝っているのか、そもそも謝る必要があるのか、疑問が募った。
彼らはまずもって「世間をお騒がせした」と謝罪した。しかし、私たちは「お騒がせ」したのが彼らではないことを知っている。「騒いだ」のはメディアであり、「世間」である。
今年5月にも、メンバーの一人が強制わいせつ容疑で書類送検されたTOKIOのその他4人が、「みなさまに多大なる迷惑をかけた」「全員の責任」と謝罪会見をした。自分が罪を犯したわけでもないこの4人がなぜ謝る必要があるのか、どんな「責任」があるのか、やはり訝しんだ。しかしこうした会見を開かなければ、おそらく「世間」は許さなかっただろう。
「世間」とはいったい何か。
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