星浩(ほし・ひろし) 政治ジャーナリスト
1955年福島県生まれ。79年、東京大学卒、朝日新聞入社。85年から政治部。首相官邸、外務省、自民党などを担当。ワシントン特派員、政治部デスク、オピニオン編集長などを経て特別編集委員。 2004-06年、東京大学大学院特任教授。16年に朝日新聞を退社、TBS系「NEWS23」キャスターを務める。主な著書に『自民党と戦後』『テレビ政治』『官房長官 側近の政治学』など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
平成政治の興亡 私が見た権力者たち(3)
海部、小沢両氏と外務省、内閣法制局など関係者の折り合いをつける形でまとめられたのが「国連平和協力法案」だった。
法案では、多国籍軍の後方支援のために自衛隊を「平和協力隊」として派遣するが、武器使用の基準や戦闘行為に巻き込まれた際の対応などが曖昧(あいまい)だった。
政府内の意見が統一されていないため、社会党や共産党から追及されると、閣僚や外務省の局長らはまともに答弁できず、国会審議は連日、紛糾した。1990年11月、法案は結局、廃案に追い込まれた。
混乱する日本を国際社会は待ってくれない。翌91年1月17日、多国籍軍はイラクの首都バグダッドへの空爆に踏み切った。24日には地上戦も展開された。湾岸戦争である。その後、多国籍軍の圧倒的な攻勢で、2月27日にはイラク軍がクウェートから撤退し、終結する。
この間、日本政府は合計130億ドルの経済支援を行った。ところが、クウェート政府がワシントンポストなどにだした「感謝広告」の30カ国の中に、日本の名はなかった。国際紛争にどう対応するかという基本方針が定まらず、為す術がないまま右往左往する。その実態をさらけ出した。これが「トラウマ」となって、その後の日本外交に重くのしかかっていくのである。
2007年10月、私は栗山氏に3時間にわたるインタビューをして、湾岸戦争当時の思いなどを聞いた。
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