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ドイツでは自己責任論は皆無

 私が比較的よく知っているドイツでは記者の自己責任論は皆無に近い。2013年にシリアでの数ヶ月の拘束を経て解放されたフリー・ジャーナリストのアルミン・ヴェルツ氏などは、帰国後に、最も重要な放送局のひとつであるドイツ・ラディオのインタビューに出演して、シリア情報を提供している。同時に、拘束されているあいだの、メンタル上のサバイバル技術も披露している。暗い地下の部屋でメモをとることもできない長くつらい時間には、歌を歌い、頭の中で詩を暗唱し、本当に辛い時には、「これでもゲシュタポの独房や強制収容所の囚人たちよりは、私の方がずっと楽なはずだ」と考えることにしていた、と。こういう記者に自己責任論などはとても持ち出せない。

 今年になってからは、トルコで拘束されていたドイツ人ジャーナリストの解放があいついだ。多くはトルコ系の2世、3世のドイツ国籍保持者だ。大抵はバイリンガルで言葉がわかるだけに現地事情や政治的背景の説明は信頼がおける。それだけにトルコ当局にとっては許しがたい。中にはまだ歩き始めたばかりの幼児とともに拘束された女性活動家もいる。ドイツとトルコの関係が相互の利害もあって多少とも回復するに伴って相当数が解放されつつある。

 彼らも帰国にあたっては、歓迎されこそすれ、自己責任論は皆無である。むしろ自由の英雄として賞賛されている。しかも報道を見ていると、プライバシーは尊重されていて、テレビ・インタビューなどに出演することはあっても、家庭的背景、配偶者の個人的事情などはほとんど報道されない。そういうことには誰でも興味があるが、そうした下衆の興味は無視される。多くの人はそのことに小さな失望感を抱きながら、それでも規範的な理由からプライバシーの保護を認めているようだ。

筆者

三島憲一

三島憲一(みしま・けんいち) 大阪大学名誉教授(ドイツ哲学、現代ドイツ政治)

大阪大学名誉教授。博士。1942年生まれ。専攻はドイツ哲学、現代ドイツ政治の思想史的検討。著書に『ニーチェ以後 思想史の呪縛を超えて』『現代ドイツ 統一後の知的軌跡』『戦後ドイツ その知的歴史』、訳書にユルゲン・ハーバーマス『近代未完のプロジェクト』など。1987年、フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞受賞、2001年、オイゲン・ウント・イルゼ・ザイボルト賞受賞。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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