エンタメ を楽しみながら、日本国憲法のエッセンスを体得する(2)
2018年11月14日
「ベルサイユのばら」と日本国憲法 エンタメ を楽しみながら、日本国憲法のエッセンスを体得する(1)
読者の皆さんの中で政略結婚をさせられたという方はいらっしゃるでしょうか?
ま、当然、いらっしゃらないかと思いますが、「ベルサイユのばら」の時代には当たり前のようにされていました。
「ベルサイユのばら」の主人公マリー・アントワネットは、オーストリアのハプスブルク家の女帝・マリア・テレジアの娘でした。マリー・アントワネットがフランスの王太子に嫁ぐ以前は、フランスとオーストリアの仲は険悪で、戦争ばかりしてきました。それが、隣国プロイセンの圧力が強くなってきたことから、フランスとの関係改善を図るために政略結婚をしようとしたのです。それも、マリー・アントワネットが恋も知らないうちに。
ところで、実は元々、フランスに嫁ぐはずだったのは、マリー・アントワネットのすぐ上の姉マリア・カロリーナでした。しかし、さらにもう一つ上の姉マリア・ヨーゼファが天然痘で亡くなってしまったため、マリア・ヨーゼファが嫁ぐ予定だったナポリにマリア・カロリーナが繰り上がって嫁ぐことになり、玉突きでマリー・アントワネットがフランスに嫁ぐことになってしまったのです。
政略結婚なので、本人の意思とは関係なく、「繰り上がって結婚する」なんていうことが起こります。そして、なにしろ予定外だったので、ダンス好きで勉強が嫌いな、帝王学など何も学んでいない、恋も知らない14歳の娘が将来のフランス王妃になるのです。このことがフランスやマリー・アントワネット自身にとって不幸の始まりだったのかもしれません。
一方、ナポリに嫁いだマリア・カロリーナはとても賢く、ナポリ王国で政治の実権を握っていたほどでした。もし当初の予定どおりマリア・カロリーナがフランスに嫁いでいたら、フランス革命の展開や歴史の流れはもう少し違っていたかもしれません。
このように娘たちは政略結婚に出していた女帝マリア・テレジアなのですが、自分は恋愛結婚でした(その結婚をフランスに認めさせるために、夫となるフランツ・シュテファンは自分の領地ロレーヌをフランスに譲渡せざるを得なくなったりしますが)。もう少し時代が下ると、同じくハプスブルク家の若き皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は婚活の結果、渋る母親を押し切って、一目惚れをしたエリザベートと結婚することになります。エリザベートも当初は割とその気になって結婚したのですが、厳しい義母と宮廷のしきたりに嫌気がさして宮廷に寄り付かなくなってしまいます。「宝塚」で舞台にもなっていますね。
恋愛結婚だったら幸せとは限らないというのは、今も昔も同じようです。とはいえ、このように恋愛結婚できたのも、君主だったからという側面はあったと考えられます。君主でなければ恋愛結婚できない世界ってどうなんでしょうね。
その他にも、「ベルサイユのばら」に出てくる結婚のエピソードには様々なものがあります。
マリー・アントワネットのお気に入りであるポリニャック夫人の娘シャルロット(なんとこのとき11歳)とロザリーは、やはり政略結婚でロリコン趣味の公爵に嫁がされそうになります。その結果、シャルロットは世を儚(はかな)んで自殺してしまいますし、ロザリーは家出をしてしまいます。
フェルゼンはマリー・アントワネットに恋をしていたのですが、結ばれようもなく、親からの圧力もあったため、やむなく見合いをして結婚が決まっていました。オスカルから「愛してもいないのに結婚するのか?」と問い詰められて「では、愛していれば、愛してさえいれば結婚できるのか?」と返し、苦しい胸の内を明かすのです。結局、マリー・アントワネットへの思いを捨てきれず、後に婚約を解消してしまいました。
一方、平民に目を向けると、新聞記者のベルナールとロザリー(貴族をやめて、平民に戻っていました)のように愛し合う二人が結ばれるという今のような普通の形でした。貴族を捨てたオスカルと平民のアンドレも二人の合意で結ばれました。このように自由に結婚できた平民と比べると、貴族って窮屈だなと思います。
さて、貴族の結婚、とりわけ政略結婚はとても窮屈そうだなということがわかりましたが、日本国憲法だとどうなるかというと、政略結婚はばっさり全部違憲です。
日本国憲法で結婚のことについて触れているのは24条です。
24条
1 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
両性の合意のみに基づいて結婚していいよ、ということになっているので、親や国王の同意がなければ結婚できないということはありません。ましてや、政略結婚のように、親が決めた結婚を押し付けられるということもありません。
ですから、日本国憲法の下であれば、マリー・アントワネットがフランスに嫁いでくることもなかったし、シャルロットやロザリーがロリコン公爵と結婚させられそうになることもなかったということができます。ベルばらの登場人物に日本国憲法を教えて差し上げたかったです。
大変な時代だったんだね、と思われるかもしれませんが、日本も戦争が終わるまでは同じだったのです。戦前の日本では「家制度」というものがあり、戸主(通常はお父さんです)が同意する相手でなければ結婚できなかったのです。ですから、平民の結婚も規制されていたのです。それが、日本国憲法が制定されて男女が平等ということになり、戸主が支配するというのは憲法と食い違うため、家制度を廃止するため民法の規定を変更することになりました。
冒頭に、「政略結婚した人はいますか」と問いかけましたが、日本国憲法のおかげで、基本的にはそういう人はいないわけです(政財界では何かあるかもしれませんが……)。皆さんが恋愛結婚したり、婚活したりできるのは、なんと憲法のおかげだったんですね。
恋愛禁止、親が同意しないと結婚しちゃダメとか言われると窒息してしまいますよね。順調に暮らしている時には、憲法なんて全く関わることはないので、空気みたいなものですが、いざという時に効いてくる。大丈夫。日本国憲法の下では、駆け落ちしていただければ良いのです。
今、自民党が提案している改憲4項目には入っているわけではないので、今すぐ変わるというわけではありません。ただ、ちょっと気持ち悪い感じがします。
「ベルばら」からは離れますが、国が結婚に条件をつけられるようになると、例えば、ドラマ「結婚相手は抽選で」のように、少子化対策として、25歳から39歳までの独身者は抽選で見合いをし、気に入らなければ2人までは断ることができ、3人断ったらテロ対策活動に2年間従事しなければならないという法律を作ることもできてしまうかもしれません。
しかし、人権を制限できるのは、原則として人権と人権が衝突している場合に調整する場合だけだと考えるとすれば、そもそも、少子化対策という国側の利益のために、個人の結婚の自由を制限していいとは考えられません。人権同士の衝突ではないからです。
現代では、このような、「男性ならこうあるべき」、「女性ならこうしないとおかしい」という社会的な性別の役割の押し付けが問題となっています(ジェンダー問題)。そもそも女性は軍人になれないというのも女性差別であり、ジェンダー問題ということができます(軍人になりたいか、という別の問題はありますが)。
日本国憲法であれば、男女平等が憲法14条で定められているので、男性でなければ軍人になれないというのは、平等原則違反ということになります。女性でも普通に軍人になれるということであれば、オスカルはわざわざ男性として育てられる必要はなかったということになります。ただ、そうすると、
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