日米地位協定の歪みを映す沖縄の現実。これは汚染処理や建物撤去に使われた氷山の一角
2018年11月18日
5年前のことだ。その日は激しい雨が降っていた。滝のような水が、赤土を押し流し、私の足元を汚していた。
沖縄県北部、金武町にあるアメリカ軍ギンバル訓練場。眼下には、かつてのミサイル基地が広がっていた。
冷戦時代、アメリカ軍は中国への核抑止力として、沖縄県内4カ所に核弾頭搭載可能な中距離弾道ミサイル「メースB」基地を配備した。半世紀を経て、最後の一カ所が沖縄防衛局によって撤去されると聞き、1年交渉して、中に入れてもらった。
地表からは、黒くて分厚い鉄筋コンクリートの残骸が不気味な姿を晒していた。上物は復帰前に米軍が撤去したが、地下11メートルにも及ぶ構造物は、この土地が返還された2011年時点でも埋められたままだった。
時代が目まぐるしく変わる中、訓練場の一角に取り残された「冷戦時代の遺物」。それは沖縄の戦後史を見てきた証言者と言えるだろう。
だが私の関心は、過去の歴史ではなかった。
アメリカ軍が使った返還地を訪ね、それらの土地から沖縄の「今」を考えるというのが、私のライフワークになっている。
これまでの取材で、軍隊が使った土地のほとんどで大量のゴミが出てきたり、有害物質による汚染が発覚したりしていることが分かった。それは、沖縄の人たちが押し付けられている「負担」を物語っている(「米軍から “汚染された土地” が還ってくる!」参照)。
今年8月、その負担の大きさを示す資料が手に入った。軍用地返還の際に、ゴミや構造物を撤去したり、有害物質で汚染された土を取り除いたりするのにかかった「原状回復費」を巡る資料だ。
「原状回復費」と言えば、沖縄返還交渉の際、毎日新聞記者の西山太吉がスクープした密約の一つでもあった。それは沖縄返還前、日本政府が返還軍用地の原状回復費約400万ドルを肩代わりする密約を結んでいたというものだった。ご存知の方も多いと思うが、西山のスクープは、後に外務省女性事務官とのスキャンダルにすり替えられ、長く本質が議論されることはなかった。
今回明らかになった原状回復費は、約128億7100万円。1972年の沖縄本土復帰以降、日本政府が負担してきた「カネ」だ。
アメリカ軍に接収された土地が返ってくることは悲願だ。だが、取り戻した土地を使えるようにするため、日本政府が国民の税金を湯水のように注いでいることはあまり知られていない。
長く「原状回復費」の議論が封印されてきたことが、今の沖縄に、この国に、大きな影を落としている。
沖縄防衛局によると、1972年以降、沖縄では351回に分けてアメリカ軍基地が返還された。
しかし、そのうち19事案でしか土壌調査は実施されていない(※他1カ所は近く予定、2018年8月10日現在)。理由は単純だ。長く軍用地の汚染について、関心を持たれていなかったのだ。
そのため、法整備は遅れ、結果としてほとんど調査もされないまま多くの土地が返還されていた。以下に示す資料は、1995年に返還特措法が施行されて以降、沖縄防衛局が返還軍用地で土壌調査を実施し、原状回復措置をとった土地だ。
普天間基地の傍、西海岸が一望できる傾斜地には、青々とした芝が敷かれ、149棟の米軍人住宅が建っていた。庭には、遊具やバーベキューセットが置かれ、家族が団らんする風景も見られた。子どもの頃は、その前を通るたびに、自分が住んでいる狭いアパートに比べ、アメリカ人は贅沢な暮らしをしていると羨んだものだった。
返還は2013年、アメリカ軍再編計画の一環で、日米合意された。再編計画には、普天間基地も含まれている。つまり、辺野古新基地建設と同じ文脈で語られているということだ。
2015年4月4日、返還式典に出席した菅官房長官は、次のように語っていた。
「安倍政権としては、沖縄の負担軽減を目に見える形で一つ一つ実現してまいります」
しかしこの土地からは、新たな負担の実相が見えてきた。土壌からは、環境基準を上回る鉛や油、そして発がん性が指摘されるジクロロメタンなどが検出されていたのだ。
汚染された土壌の処理や、返還時にそのまま残されていた古い建物の撤去などに、日本政府は巨額な費用を投じていた。約51ヘクタールの土地の返還には、約65億1700万円が費やされていた。
多額の原状回復費を支払う背景には、日米地位協定の存在がある。日米地位協定第4条1項では、アメリカが土地を返還する際、原状回復の義務を免除している。
日本外交史の専門家で、沖縄国際大学法学部地域行政学科の野添文彬准教授は、1960年の安保改定時、日本側がアメリカに駐留を求めていたことを指摘する。その上で「日本側としては、基地が返還された後、元に戻してくださいという発言権が無いという構造になっていて、その構造の中に沖縄が置かれ、負担を負わされていることを土壌汚染問題は示しているのでは」と語る。
那覇から車で約1時間。国道58号を北向けに進むと、ランドマークになっている大きな観覧車が見えてくる。
左右両側には、白や黄色、ピンクなど、色とりどりの真新しい建物が積み木のように立ち並ぶ。リゾートマンションや飲食店が軒を連ね、地元の若者はもちろん、観光客、そして半パンとTシャツ姿の若いアメリカ兵たちが歩いている。
県内屈指のリゾート地として賑わう北谷町。ここは、返還軍用地がとんでもない問題を抱えていることを浮き彫りにした場所でもある。
北谷町の野国昌春町長は次のように振り返った。
「区画整備事業中に、何回も何回もストップするのです。油が出るとか、砲弾や小銃弾、燃料タンクが出るとか。(軍用車両の)キャタピラがそのまま出てきたこともありました」
沖縄防衛局に情報開示請求を行い、入手した約6500ページの土壌調査報告書には、深刻な汚染の実相が記録されていた。環境基準を超える鉛や油といった有害物質の数々。沖縄県や北谷町の資料からは、PCBが使用されている疑いがある安定器や小銃弾、燃料タンク、油送管なども地中に残されていたことがわかった。写真には、土の中にそのまま埋められた軍用車両のキャタピラも写っていた。キャンプ桑江と陸軍貯油施設の原状回復には17億4700万円が使われていた。
負担はこれだけではなかった。
北谷町では、地代が入らなくなり、生活に困っている地主を支援するため、土地の使用収益が上がるまで、固定資産税を半額免除している。これまでに町が免除した金額は約1億円にも上っている。しかも、返還から15年が経った今も、原状回復が終わっていない土地があった。
「129億円という原状回復費用は氷山の一角、決して多くはない」
こう指摘するのは、アメリカ軍基地の土壌汚染問題を追及しているイギリス人ジャーナリストのジョン・ミッチェルだ。
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