旧米軍用地の原状回復に注がれた日本の129億円
日米地位協定の歪みを映す沖縄の現実。これは汚染処理や建物撤去に使われた氷山の一角
島袋夏子 琉球朝日放送記者

米軍嘉手納基地修理工場で公開された米本国へ運ぶため整備中の「メースB」=1969年12月29日、嘉手納基地内の修理工場
米軍が沖縄に設置した中距離弾道ミサイル基地
5年前のことだ。その日は激しい雨が降っていた。滝のような水が、赤土を押し流し、私の足元を汚していた。
沖縄県北部、金武町にあるアメリカ軍ギンバル訓練場。眼下には、かつてのミサイル基地が広がっていた。

琉球朝日放送提供
冷戦時代、アメリカ軍は中国への核抑止力として、沖縄県内4カ所に核弾頭搭載可能な中距離弾道ミサイル「メースB」基地を配備した。半世紀を経て、最後の一カ所が沖縄防衛局によって撤去されると聞き、1年交渉して、中に入れてもらった。
地表からは、黒くて分厚い鉄筋コンクリートの残骸が不気味な姿を晒していた。上物は復帰前に米軍が撤去したが、地下11メートルにも及ぶ構造物は、この土地が返還された2011年時点でも埋められたままだった。

金武町ギンバル訓練場で「中距離弾道ミサイルメースB基地」が撤去された=2013年5月(提供:琉球朝日放送)
時代が目まぐるしく変わる中、訓練場の一角に取り残された「冷戦時代の遺物」。それは沖縄の戦後史を見てきた証言者と言えるだろう。
だが私の関心は、過去の歴史ではなかった。