「賢明なオンマ(お母さん)」になるプレッシャーに潰されそう!
2018年11月25日
「教育熱と言えば韓国だね!」と人ごとのように言えたのは、過去の話。この私が、これに巻き込まれようとは。
私たちが韓国に移住したのは、娘が5歳の時。友達のいない韓国で、私の子育てに関する情報源は専らアパート(マンション)の敷地内にある公園でした。
誰々が英語幼稚園(日常を英会話で進行する幼稚園)に通っていて、月に150万ウォン(約15万円)かかるだとか、誰々ちゃんはどこのピアノ塾に通っているとか、家庭学習(ハングルなどの先行教育)はどこの会社だとか、大いに役立ちました。
習い事にかかる費用は、種類や年齢によって違いますが、小学校低学年のピアノやテコンドーは11万ウォン~20万ウォン、英語塾は15万ウォン~20万ウォンと言ったところでしょうか。これも、土地の安い私の住んでいる所ならではの話で、高級住宅街のお母さんにしてみれば、「安っ!!」と言われそうです。(※1万ウォンは約千円です)
そう、韓国は私教育にお金がかかるのです!
ラジオによると、小学生の私教育の一か月の平均が50万ウォンだとか。中学生の子どもを持っているあるお母さんは、学習塾一科目30万ウォンで、英語、数学、国語の三科目なら、毎月90万ウォンも要ると言います。私のように子どもが二人だと、二倍という事になりますので、恐ろしい話です。
学習塾でそれほどかかるのですから、芸術やスポーツ関係の習い事は、小学校高学年からは習わせない傾向にあるのも納得が行きますし、わざと子どもは一人!というのも理解できます。
この私教育。私は「まあ、やりたい人たちだけがやれば?自分は自分。うちの子はうちの子だし」と考えていましたが、自分を貫くのはなかなか難しいものです。
ある日、娘が学校から帰ってきてこんなことを言い出しました。「英語の先生が、学校の英語教育だけでは足りないから、英語の塾に通いやって~」と。韓国では小学校3年生から英語の授業が始まるのですが、「学校の先生にプライドはないんかい!?」のツッコミよりも、小学校3年のレベルで英語塾が必要なのか?と少し不安に。
また、バドミントン・サークルの友達は「受験戦争は、お母さんの情報戦争でしょ」と言い、いくら私が「自分は自分」と思っていても心は揺らぎ始めます。なぜなら逆に考えると、子どもが進路に行き詰まったり、後悔するようなことがあれば、それは私の情報収集不足ということにもなりかねないからです。
英語教育に関しては、現政権が英語の先行教育を禁止するという姿勢をすでに打ち出していますが、学校で良い成績を取らすために塾に行かすという親心は私が見るに、まだまだ健在し続けるでしょう。どの親も自分の子が良い成績を取って欲しいから、一人が塾に通いだすと、我も我もで結局みんな通うことに。
また、韓国では就職に有利で将来職業としても有望だと考えられている理系が人気があります。ですので、私教育で早期英語教育を与え、あわよくば中学校で大学受験程度の英語は終わる。そして、高校では数学や化学に力を入れさせるという親の戦略があります。
学校は教えるという本来の役割が薄れてしまい、ただ評価する(入試方法によっては、内申が比重を持つことがあります)という機関になってしまっている気もします。
私が最近、気になるのが「賢明なオンマ(お母さん):현명한엄마」という言葉です。
テレビやラジオなど、色々な媒体や広告で「賢明なオンマは~~に行く」とか「~~を選ぶオンマが賢明なオンマ」というキャッチフレーズを耳にします。私は「賢明なオンマ」を「情報を早くつかみ未来を見据えて行動するオンマ」のことだと解釈しています。
あるお母さんは、自分の娘は国軍看護士官学校に入れて、看護将校になったらいいなあと語ります。パク・クネ前大統領の弾劾裁判で、セウォル号事件の時に彼女が何をしていたかという事も問題になりましたよね。その時、証言に立った看護師さんがいましたが、その方が看護将校に当たるのだそうです。
そのお母さん曰く、国家公務員のように安定していて、看護師さんよりは重労働でもなく、地位も有り女性の職業としてはとても良いという事でした。すごい先見の明であり、まさに賢明なオンマの一人です。
バドミントン・サークルの友達は、こうも言います。このイルサン(一山)からもカンナム(江南:高級住宅地で韓国の中では一番教育熱が高いと思われている)の塾までのシャトルバスが出ていると。
私たちの住んでいるイルサン(一山)はソウルの中心部を挟んで、カンナムとは正反対のところに位置し、しかもソウルの恐ろしい渋滞を考えると、そんな遠いところの塾に通わすなんて考えられませんが、賢明なオンマたちにとっては貴重な情報であり重要な選択肢の一つなのでしょう。
私が韓国のお母さんたちの言い訳をするのも何ですが、大学進学を重視する社会の雰囲気にも驚くことしばしばです。
去る11月15日は「修学能力試験(日本のセンター試験に当たる)」でした。この日は、試験に遅刻しそうになった生徒をパトカーが試験会場まで送ってくれる光景など、日本でもニュースになることがありましたね。しかし、そうとは知らず車で通勤していた私は、ラジオから流れてくる交通情報に少し驚いたのです。
「今日は入試の日ですね。○時○分からは、英語の聞き取りのテストがあります。試験会場の周辺を通る車両は、パンパンとクラクションを鳴らしたりせず、いつもより気をつけて走行してください」
聞き取りの試験があることにもビックリしつつ、「やはり入試の日は社会全体がここまで協力態勢になるんだ」と改めて社会全体で重要な日であることを認識しました。
入試の終わった次の日、近くの公園には、こんな垂れ幕も見られました。
「受験生、学父母(保護者)の皆さん、お疲れ様でした」
「共に民主党」の都議会委員と市議会委員の連盟でメッセージが書かれてありました。また、PTAやバドミントン・サークルでも何かの係を決める時には、まず受験生を持つお母さんは係から除外されます。子どもの面倒で忙しく神経を使う大切な時期だからという配慮です。
このように周りをよく見てみると、日ごろから大学受験について意識することが多々あります。私ですらこんなに感じるのですから、ここで生まれて育ったお母さんたちならなおさらのことでしょう。
自分の経験にも照らし合わせつつ、少しでも先を行く、少しでも楽に受験できる方法を塾でも何でもいいから探そうとするのも理解できると思いました。賢明なオンマというキャッチフレーズ。うまく付けたなと感心します。
でも、最近私は、以前のような自信のある「自分は自分」ではなく、若干諦めや傍観者としての「自分は自分」になってきています。
先日、WEBRONZAの「日本人よ、韓国人よ、在日コリアンよ、私は私だ!」に、私はニュートラル(日韓の境界人)で、いつでも韓国人になれるし、いつでも日本人になれる!と書きました。しかし、私の幼い娘はまだまだそうはいきません。さらに韓国の大学に行くなら、ここの入試を克服しなければならないのですから娘にはニュートラルはないのです!
私は、娘に心を鬼にしながらもよく言う事があります。
① 私から学習塾に行きなさいと言う事はない。行きたいなら、私を説得する必要がある。
② 本来勉強とは学校でするもので、分からない時は学校の先生に質問するべきだ。
③ 大学は行った方がいいと思うが、経済的なことを考えると国公立しかダメ。高校も義務教育ではないので、行かないという選択肢もある。
④ 勉強を頑張ると良いこともある。チャンスも多くなる。奨学金をもらえるかもしれない。
⑤ 何か一つ好きなこと、得意なことを見つけ、それを追求できれば、幸せなことだ。
読み返すと、可哀想にもなりますね。でも私は、こんな感じで懇々と娘にインストールしながら、この韓国で生き抜こうとしているのかもしれません。
自分の中学生の頃を思い出します。
「私は朝鮮人やから日本人と同じようであってはいけない。それよりも上にいて初めて同等になる。日本人に勉強も運動も美術も音楽も負けてはいけない。それがこの国で幸せになる方法」
在日コリアン二世の母が私にこのように語ったという記憶はありませんが、母親の苦労話や在日故に悔しかったという経験談を聞くうちに、だんだんこのような考えがインストールされたのでしょう。
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