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マクロンとトランプの関係悪化は夫婦げんかか?

山口 昌子 在仏ジャーナリスト

パリで開かれた第1次大戦終結100周年記念行事に出席したマクロン仏大統領(右)、メルケル独首相(中央)、トランプ米大統領(左)=2018年11月11日、パリ(AP)パリで開かれた第1次大戦終結100周年記念行事に出席したマクロン仏大統領(右)、メルケル独首相(中央)、トランプ米大統領(左)=2018年11月11日、パリ(AP)

米仏関係悪化と大騒ぎだが……

 トランプ米大統領がツイッターでマクロン仏大大統領を攻撃、米仏関係が悪化して大騒ぎだ。ただ、実は両国は一度も交戦したことのない“永遠の同盟国”。アメリカがフランスに不満、不平を抱いての罵詈(ばり)雑言も今に始まったことではない。今回の関係悪化も一種の「イヌも食わない夫婦げんか」の感じがしないでもないが、実態はいかに。

 「米国とフランスは同盟国だったし、今後も同盟国であるべきだし、他の事は聞きたくないし、ツイッターに答えるつもりはない」

 マクロンは11月14日の仏テレビとの会見でこう答え、トランプの一連のツイッター攻撃をかわした。

発端は「欧州軍」創設構想

 11月11日の第1次世界大戦の休戦記念日100周年式典に出席のためにフランスを訪れたトランプは、訪仏前の9日にまず、マクロン提案の「欧州軍」創設構想を、「侮辱的な話」と非難。「欧州は北大西洋条約機構(NATO)に公平な分担を支払うことが先決事項」と指摘した。帰国後の13日にも、マクロンの「低支持率(26%)」や仏の「高失業率」をあげつらい、仏ワインの貿易慣行は「不公正」と攻撃を続けた。

 マクロンは「欧州は、中国、ロシア、米国から自らを守る必要がある」として「欧州軍」創設構想をぶち上げ、トランプの逆鱗(げきりん)に触れたわけだが、TV会見では、「『欧州軍』の目的は、仏独中軸の統合欧州としての戦略的自衛」と弁明。「(米国を含む)他国に頼らずに我々が自衛するため」と述べ、米国などの他国が、欧州のためにいつも戦うとは限らないと指摘した。

 マクロンが11日の式典で行った「ナショナリズム」批判も、トランプは自分の「米国一国主義」を批判されていると受け取り、癇にさわったようだが、多分、式典におけるマクロンの演説全体に苛立(いらだ)ったに違いない。同日午後にあったパリ市内での「平和に関するパリ・フォーラム」をすっぽかして、予定外のパリ郊外の米兵墓地を訪問した。ただ、これには、前日にパリから約100㌔のベローの森の米兵墓地訪問を、「悪天候でヘリが飛ばない」との理由でドタキャンし、米メディアから非難轟々(ごうごう)だったことへの埋め合わせの意味もあったらしい。

マクロンの演説はアメリカ人にとって「キザ」?

 マクロンは式典での約20分の演説で、休戦の日の情景を劇的に描写したほか、詩人アポリネールの負傷や作家シャルル・ペギーの戦死、義勇兵として参戦した作家ジョセフ・ケッセルやアメリカ人作家ジュリアン・グリーンが弱冠17歳で米赤十字で働いたことなどに言及したが、多分、トランプにとっては、初めて聞く名前もあったかもしれない。

 大半のフランス人を感動させた演説――マクロンだけでなく、古今東西の歴史や古典の引用などをちりばめた演説をよし、とするのがフランスの伝統だからだが――は、実利主義のアメリカ人にとっては、「クダラナイ」「タイクツ」「キザ」だったかもしれない。トランプも内心、「なにがアポリネールだ、何者だ。変な名前だ」と思ったかもしれない。

 これはもう、マクロンとトランプという個人の問題でも、フランスとアメリカのどっちが良いとか悪いとかいう話でもない。米仏の「文化の相違」としか言いようがない話だ。過去、この「文化の相違」が何度、繰り返され、米仏関係悪化が喧伝(けんでん)されたことか。

フレンチ・フライがフリーダムフライに

 米仏関係が最悪になったのは、2003年のイラク戦争の時だ。フランスが参戦せず、アメリカはカンカンだった。今回と異なり、時の大統領ブッシュだけでなく、アメリカが国をあげてフランスを非難した。フランス製品のボイコットだけでは気がすまず、レストランのメニューから「フレンチ・フライ」の名称が消え、「フリーダム・フライ」に変わった。

イラク戦争の米軍の爆弾によってできた大きな穴。埋設されていた水道管が破壊され、水がたまっていた=2004年5月5日、ファルージャイラク戦争の米軍の爆弾によってできた大きな穴。埋設されていた水道管が破壊され、水がたまっていた=2004年5月5日、ファルージャ
 当時、フランスはイラクに「大量破壊兵器あり」とするアメリカの開戦理由を疑問視したほか、軍事介入を認める国連決議がないことを不参加の大きな理由に挙げた。歴史を尊重するフランスは、国連決議がないと、後世から「正義の戦争」とみなされないことを危惧し、勝ち目なしと踏んだのだ。ちなみに、1990年代初めの湾岸戦争の時は、
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