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「徴用工判決」で報じられない「不都合な真実」

山本晴太 弁護士

拡大故人となった元徴用工の遺影を掲げ、韓国大法院に入る原告たち=10月30日、ソウル

 新日鉄住金の上告を棄却して元徴用工への損害賠償を命ずる判決を確定させた韓国大法院(最高裁判所)判決に対し、安倍首相は「国際法上ありえない判断」、河野外相は「両国関係の法的基盤を根本から覆すもの」と非難し、大部分のマスコミや「識者」もこれに追随して韓国非難の大合唱を行っている。これを聞いた多くの人々は、日本と韓国の50余年の固い約束を韓国が一方的に反故(ほご)にしたと思って憤慨している。

 しかし、実は日韓請求権協定の締結以来「請求権協定では個人の請求権は消滅しない」と力説してきたのは日本政府であり、2000年前後に被害者を裏切るような解釈の転換を行ったのも日本政府なのである。この事実を明らかにするため、煩雑ではあるができるだけ出典を示しながら問題の経緯を述べてみたい。

「条約では個人の請求権は消滅しない」と力説してきた日本政府

 ことのはじまりは1951年のサンフランシスコ平和条約である。この条約には「連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄し…」という条項があり、これを理由に広島の原爆被爆者が日本国に対して補償請求の訴訟を起こした(原爆裁判)。被爆者のアメリカ合衆国やトルーマン大統領に対する損害賠償請求権を日本政府がサンフランシスコ平和条約で消滅させたので、日本国は米国からの賠償に代わる補償をすべきだとの訴えだった。

 これに対し、被告である日本国は次のように主張した。

「(1) 国家が個人の国際法上の賠償請求権を基礎として外国と交渉するのは国家の権利であり、この権利が外国との合意によって放棄できることは疑ないが、個人がその本国政府を通じないでこれとは独立して直接に賠償を求める権利は、国家の権利とは異なるから国家が外国との条約によってどういう約束をしようと、それによって直接これに影響は及ばない。
(2) 従って対日平和条約第19条(a)にいう「日本国民の権利」は、国民自身の請求権を基礎とする日本国の賠償請求権、すなわちいわゆる外交保護権のみを指すものと解すべきである。…仮にこれ(個人の請求権)を含む趣旨であると解されるとしても、それは放棄できないものを放棄したと記載しているにとどまり、国民自身の請求権はこれによって消滅しない。従って、仮に原告等に請求権があるものとすれば、対日平和条約により放棄されたものではないから、何ら原告等が権利を侵害されたことにはならない。」(東京地裁1963年12月7日判決による被告主張要旨)。

 1956年の日ソ共同宣言にも似た規定があり、シベリア抑留被害者が日本政府に補償を要求した(シベリア抑留訴訟)。これについても日本政府は同じ対応をした。

 要するにサンフランシスコ平和条約や日ソ共同宣言によって放棄したのは国家の外交保護権のみであり、被害者個人のアメリカやソ連に対する損害賠償請求権は消滅していないから、日本国は被害者に対して補償する義務はないというのである。

 そして、1965年の日韓請求権協定である。この協定は両国と国民の財産、権利、利益及び請求権の問題が「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。」と規定している。

 日本政府は締結当時からこの協定の「完全かつ最終的に解決」も個人の権利を消滅させるものではなく、外交保護権の放棄を意味すると解釈していた。そうでなければ朝鮮半島に資産を残してきた日本人から日本政府が補償を求められる可能性があったからだ。

 日韓会談の交渉担当官であった外務事務官谷田正躬(後の駐バチカン日本大使)は官報の姉妹誌として発行されている法律誌に次のような解説を寄稿した。

「協定第2条3の規定の意味は、日本国民の在韓財産に対して、韓国の執る措置または日本国民の対韓請求権(クレーム)については、国が国際法上有する外交保護権を行使しないことを約束することで…(仮に韓国政府の措置によって日本国民の財産権が消滅することになっても)その財産権の消滅はこの協定によって直ちになされるものではなく、相手国政府の行為としてなされることとなり、…憲法29条3項(国家補償)の問題にはならないと考えられる。」(「時の法令」別冊 1966年3月10日号)

 朝鮮半島に資産を残してきた日本人の権利について日本政府が放棄したのが外交保護権にすぎないなら、韓国人強制徴用被害者個人の権利について韓国政府が放棄したのも外交保護権にすぎず、個人の権利は存続していると解釈するのが当然である。日本政府は当時から実際にはこのような法的解釈を採用していたが、政治的には「日韓請求権協定で完全に解決済み」との見解を繰り返し表明した。

 1990年代になると韓国の民主化が進み、韓国人の強制徴用被害者らが被害者団体を結成して来日し、損害賠償請求訴訟を起こすようになった。このころ、ようやくこの問題が国会で取り上げられるようになり、まず、シベリア抑留問題について次のような答弁があった。

「…日ソ共同宣言第6項におきます請求権の放棄という点は、国家自身の請求権及び国家が自動的に持っておると考えられております外交保護権の放棄ということでございます。したがいまして、御指摘のように我が国国民個人からソ連またはその国民に対する請求権までも放棄したものではないというふうに考えております。
…個人が請求権を行使するということでございますならば、それはあくまでソ連の国内法上の制度に従った請求権を行使する、こういうことにならざるを得ないと考えます。」(1991年3月26日参議院内閣委員会高島有終外務大臣官房審議官答弁)。

 これは「外交保護権を放棄した以上政府は何もできない、ソ連に賠償を請求したければソ連に行って裁判をすればよい。」という意味の、シベリア抑留被害者を突き放した答弁だった。しかし、その後日本の国内法の手続きに従って日本で訴訟を提起している韓国人被害者についての質問を受けると、この答弁と矛盾する答弁をする訳にもいかず、次のように答弁した。

「…日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。その意味するところでございますけれども…これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。」(同年8月27日参議院予算委員会柳井俊二外務省条約局長答弁)。

 その後類似の趣旨の答弁が繰り返され、外務省発行の文書にも次のように明記された。

「『国家が国民の請求権を放棄する』という文言の意味は、…国内法上の個人の請求権自体を放棄するものではなく、国際法上、国家が自国民の請求権につき国家として有する外交保護権を放棄するものであるとの解釈も、日本政府がこれまで一貫して取ってきているところである。」(「外務省調査月報」1994年度№1)

 このような解釈にしたがい、1990年以来韓国人被害者が提訴した数十件の戦後補償裁判において、1999年までの10年間、国側は日韓請求権協定などの条約で解決済みと主張することはなく、これが争点になることさえなかった。

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筆者

山本晴太

山本晴太(やまもと・せいた) 弁護士

1953年生まれ。92年弁護士登録。 関釜裁判、浮島丸訴訟、光州千人訴訟など、多くの戦後補償訴訟の原告側弁護を担当した。