日産はフランスの尾を踏んだ? 日本はやはり外国人嫌い? 陰謀説も……
2018年11月25日
日本を騒がせている「ゴーン逮捕」をパリから見ていると、二つの懸念を抱かざるを得ない。一つは、日産はカルロス・ゴーン氏、即ちルノー、即ち三色旗(フランス)というトラの尾を踏んだのではないかということ。二つ目は、日本はやっぱり「攘夷」、「外国人嫌いだ」という印象を外国人に与えたのではないかということだ。
日本式に言えば、金融商品取引法違反のゴーン容疑者だが、フランス的に言えば、「推定無罪」(ルメール経済相)、まだ刑が確定したわけではないから敬称を付けることにする。西川廣人社長が「逮捕会見」をした際、ゴーン氏を時々、敬称抜きで呼んだと、仏誌が批判していて、ビデオニュースを見たら、確かに「身内だから敬称抜き」ではなく、呼び捨て、悪漢扱いで、失礼な感じがした。ルノーではまだ、最高経営責任者(CEO)だ。
日を追うにつれ、ゴーン氏の容疑は様々な“悪行”が暴かれて重くなっているが、ルノーは目下のところ、ゴーン氏の任を解く考えはない。しかも、ルメール経済相は日本からやってきた世耕弘成・経済産業相との会談後の会見で、「日産とルノーの連合が協力関係を維持する意思を両国政府は強く支持する」と言明した。
フランス政府がルノーを“擁護”するのは、単に株を15.01%所有しているからではない。ルノーは1898年創業のフランスの看板会社、基幹企業だ。つまり、「三色旗」を背負っているわけだ。
ルノーは第2次大戦後に国営化され、長年、「ルノー公社」と呼ばれた。民営化され、株が公開されたのは1990年代に入ってから。日産とルノーが「アリアンス」という意味不明な言葉を使って資本提携で合意した99年3月の時点で、フランス政府はルノーの株を44%所有していた。
フランスは王政、帝政、共和制と体制が変わっても、中央集権国家であることに変わりはない。アメリカのように合衆国でも、ドイツのように連邦でも、イギリスのように立憲君主制でもない。「子供のケンカに親、すなわち国家が出てくる国」なのである。
フランス人を相手にケンカをするときは、常に国旗「三色旗」と国歌「ラマルセイユーズ」が背後に控えていることを考えるべきだ。実際、マクロン大統領とゴーン氏は最近、ルノーによる日産合併で合意している。それで日産が慌てて、ゴーン氏を放り出したとの説もある。
マクロン氏が経済相だった頃、ゴーン氏との関係は良くなかった。だが、大統領になれば話は別だ。中央集権国家フランスでは、マクロン氏の支持率がいかに低かろうが、大統領は“絶対君主”といえる。経済相としてのマクロン氏は軽視できても、大統領になれば絶対服従だ。その意味で、ゴーン氏とマクロン氏は今、密接な関係にある。
日産は20年間もフランス企業と提携しながら、フランスという国のこうした特殊性に気がつかなかったのだろうか。フランスは今後、ゴーン氏を小菅の拘置所に放り込んだことに対し、メンツをかけて、あの手この手を尽くすはずだ。
ルノーは、日産のメンツも考えて、実際は「買収」(仏経済記者)だったのに、「アリアンス」という言葉を使った恩情に対し、「恩を仇で返した」と思っているかもしれない。日産は「ルノーにはゴーンの後任は決めさせない」とも言っているそうが、その強気を貫くことができるのかどうか。
日産とルノーが資本提携した当時、すでに日本通のパリっ子が「この結婚が不幸な結果に終わらないことを願う」と懸念していた。日本に長年、駐在していた彼は、最大の障害が広義の意味での「文化の差」にあることを見破っていたからだ。
この20年間で外国企業の日本進出は進み、外国人がトップや重役に名を連ねることも珍しくなくなった。だが、その中でも特に「日仏関係」は相性が悪いと思っている人も多い。
日本人にすれば、グルメやモードの軟弱な国と思っているフランスが偉そうな顔をするのは耐えられないのかもしれない。ただ、そもそも日仏のものの考え方の最大の相違は、司令官像、つまりトップ像にある。これは、フランスが「中央集権国家」であることとも大いに関係している。強力なトップの下で統率されないと、元来、自分勝手、自由気ままなフランス人は統率できないのだ。それゆえ、フランスは統率力のあるエリートを育てるのに熱心だ。いわゆるエリート校の学生には、“月給”が出ることが象徴するように、彼らは国を背負って立つ大事な人材なのだ。
ゴーン氏について、「成り上がり者」との指摘が一部であるが、これも見当外れではないか。ゴーン氏はブラジル生まれで、フランスの旧植民地レバノンとフランスとの二重国籍を持つ。ルノーの社長に就任した時の会見では、「偉大なるフランス」に何度も言及し、非常にへりくだっていた。ゴーン氏のような学歴エリート、実力者でも、“外国人”としてルノーという「三色旗」に敬意を表するのかと感じた。
ゴーン氏は、理工科系の秀才学校ポリテクニック(理工科学校)卒のエリートで、卒業後は同校の上位5、6人しか入学できない最難校MINES(高等鉱業学校)に進んだ大秀才だ。そろそろ卒業という時に、大手タイヤのミシュランから電話がかかってきて、ブラジルの工場長として就職した。
ミシュランは同族会社なので、いくら一生懸命働いても社長にはなれないよ、と周囲に言われ始めたころ、ルノーからNO3で引き抜かれた。「成り上がり者」にありがちな金銭欲ギラギラ、出世欲ギラギラの人とは少し違う印象がある。
ゴーン氏が日産に赴任する直前、1999年4月5日にインタビューした際には、優秀な日産の車に乗るのを楽しみにしていた。実はこの日、当時のルノーのルイ・シュワイツァー社長にインタビューしたのだが、「日本にはどんな人が行くのがいいと思うか」と条件を聞いたら、「今、いるから紹介する」と言われて会ったのがゴーン氏だった。
シュワイツァー氏が、高級官僚養成所・国立行政学院(ENA)出身のフランスの典型的なエリートのタイプ。長身でシックだけれど、握手をしながら、もう次の人と話しを始めるという、ちょっと傲慢無礼的なエリートなのに対し、ゴーン氏は理数科系の秀才によくある、明るくて気さくな感じの人であった。シュワイツァー氏が日本に行っていたら、日産の再建に成功したかどうか。
ゴーン氏は着任の日、リュックを背負い、子供の手を引いて航空機のタラップを降りたので、出迎えに来ていた日産の重役たちが驚いたという逸話もある。就任を最も喜んだのは、「技術の日産」の技術者、つまり現場だったともいわれる。全ての車種を自ら運転し、「こんな素晴らしい車を製造する会社が、どうしてダメになったんだ」と慨嘆したからだ。
ただ、あるいは、これが日産という会社の社風、トヨタや本田とは違う日本の自動車会社の先駆けという誇り高い会社の社風なのかもしれない。そう思ったのは、アリアンス直後の初のルノーの株主総会で重役に選出された日産の塙義一氏(当時日産の社長)の会見を聞いた時だ。塙氏は「できるだけ早い時期にルノーの株を取得する」と宣言。シュワイツァー社長のちょっとムッとした表情が忘れられない。そんなことを言っている場合ではなかったからだ。
塙氏はアリアンスで合意した1999年3月13日土曜日、シャルル・ドゴール空港に16時07分に到着し、そのまま空港内でルノーと協議し、合意のサインをして23時20分の便で帰国した。成田到着は時差の関係で翌日の日曜の午後だ。月曜に東京の株式市場が開く前にルノーのアリアンスを発表した。株式市場が発表前に開いたら、日産の株がどんどん下がり、あわや倒産という危機にあった。
幸いにも、「カッター・ゴーン」とあだ名されたゴーン氏の辣腕(らつわん)もあり、日産は再建し、今はルノーを何倍も上回る収益を上げている。日産にすれば、ルノーとのアリアンスなどさっさと解消したいところだろう。幸いにもゴーン氏の“悪行”も見つかり、追放する条件も整った。
ゴーン氏は今、拘置所で、「文句があるなら、どうして、はっきり言ってくれなかったのか。なぜ、反対と明確な意思表示をしてくれなかったのか。議論し、納得すれば、同意したかもしれない。日本人はやっぱり、表面はニコニコのイエスマンだが、内心何を考えているかわからない、と注意してくれた人がいたが、確かにその通りだ」という思いを抱いているかもしれない。
ゴーン氏がベルギーの工場でリストラをやった時は、激しいデモやストが展開し、メディアも大々的に報じた。「カッターゴーン」のあだ名がついたのはこの時だ。ゴーン氏は日本でも部品会社の何社かを切り捨て、リストラもした。
赴任1年後にルノーの株主総会にやってきた時、再度インタビューしたが、日産の子会社や関連会社が、「これまでお世話になった日産のためなら」とリストラや閉鎖に応じてくれたことに感謝していた。激しいストやデモを想定していたからだ。なるべく多くの分野の従業員に面接して、意見も直接聞いたと言い、「絶対に日産を立派な会社に再建する」と誓っていた。
筆者にとっては、1億円も10億円も100億円も、単に「巨額」という認識しかない。ゴーン氏がどれだけの高額のお給料をもらい、どれだけのお金をごまかしたのかは、あまり関心がない。ただ、世の中には文字通り、桁違いのすごい金持ちがいるな、と思うことはある。
例えばパリの「パラス」と呼ばれる超デラックス・ホテルの前に、ニューヨークナンバーやアラブ文字ナンバーの、うっとりするような立派な車が駐車しているのを見た時。大金持ちが個人ジェット機や大型ヨットなどで運転手付きで運んできた車だ。
あるいは、凱旋門(がいせんもん)を中心に放射状に延びる大通りに面した、外見は何の変哲もない建物の内部を覗いた時。アパートの1室の広さが400や500平方㍍もあり、居間には美術館並の絵画や美術品が展示してあった。最近は少なくなったものの、制服姿の執事やお手伝いさんを見かけることもある。彼らは、自分たちが仕えるマダムやムッシューが、他の館のマダムやムッシューより金持ちで贅沢であってほしいと願っているフシがある。
フランスでゴーン氏の高給ぶりに関して、日本ほど非難轟轟(ごうごう)ではないのは、こうした社会風土があるからだろうか。
ともあれ、「三色旗」を踏まれたフランスが今後、どう出るのか。外野席としては、興味津々だ。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください