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「東京はアジアのパリのようであった」

玄海灘を渡った人々―「日韓」はひとりの友からはじまる

徐正敏 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

もうひとりの「マサヒコ」

 さて筆者は、蔵田雅彦とソウルで一緒の時間を過ごしていたとき、もう一人の「マサヒコ」に出会った。澤正彦である。

 蔵田雅彦の東大の先輩で、日韓国交正常化直後のほぼ最初の日本人留学生として、やはり延世大学に留学した牧師である。戦後最初の日韓民間交流の当事者でありながら、当時韓国キリスト教社会運動、民主化運動にも深く関心をもって関与し、結局は朴正煕軍事独裁政権によって韓国から追放された。

拡大澤正彦の家族史の連載記事。朝日新聞(2010年8月19日)。記事下段に筆者のインタビューの内容もある

 彼はそのような険難な留学生活のなかでも、大学の同窓生と恋愛し結婚するという“美しい日韓関係”も作った。相手は有名な随筆家の金素雲(キムソウン)の娘である金纓(キムヨン)であった。

 金素雲は、韓国人に「貧しい時の幸せ」というエッセイで知られている。

 失業者の夫が糧食がなくなって、きつい労働に出る妻に朝ご飯を食べさせられなかった。妻にぜひお昼の時間に家に寄って欲しいと頼んで、隣家から一人分の米を何とか都合し、ご飯は作ったが、おかずが何もなかった。それでご飯一茶碗としょうゆだけを食卓に置いて、横に「王后のご飯、ものもらいのおかず」と書いた手紙を一緒に置いて、妻を感動させた――という物語である。

 澤正彦は韓国政府から追放されて以降、日本とアメリカで牧会と研究を続けていた。彼が1980年代後半、ソウルにある大学の招聘で一時的に滞留し講義しているとき、筆者は会う機会を得た。

 彼は日韓の民間次元の交流と関係形成の生き証人であり、積極的な活動家である。韓国民主化運動の闘争家たちを日本の同志たちが支援する日韓民主化運動協力の歴史を筆者に詳しく聞かせてくれた。そして何よりも日韓関係の未来のために、お互いに何をすればよいかについて自己の素懐を語って聞かせた。

 彼のおかげで、筆者がついぞ知らなかったこと、日韓の間にあってよい歴史を作るために努力してきた人々のことを知るようになった。しかし、その澤正彦も癌にたおれ、49歳の若さで1988年、宿願である日韓の課題をその場に置いたまま去ってしまった。

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筆者

徐正敏

徐正敏(そ・じょんみん) 明治学院大学教授(宗教史)、キリスト教研究所所長

1956年韓国生まれ。韓国延世大学と大学院で修学。日本同志社大学博士学位取得。韓国延世大学と同大学院教授、同神科大学副学長、明治学院大学招聘教授、同客員教授を経て現職。アジア宗教史、日韓キリスト教史、日韓関係史専門。留学時代を含めて10年以上日本で生活しながら東アジアの宗教、文化、社会、政治、特に日韓関係を研究している。主なる和文著書は、『日韓キリスト教関係史研究』(日本キリスト教団出版局、2009)、『韓国キリスト教史概論』(かんよう出版、2012)、『日韓キリスト教関係史論選』(かんよう出版、2013)、『韓国カトリック史概論』(かんよう出版、2015)、『東アジアの平和と和解』(共著、関西学院大学出版会、2017)など、以外日韓語での著書50巻以上。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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