核兵器の合法性をめぐり長年の論争
1945年の米国による広島・長崎への原爆使用から今日に至るまで、核兵器による威嚇・使用の合法性について、核抑止力による安全保障上の効果と、その使用がもたらす壊滅的な人道的被害との評価をめぐり論争が戦わされてきた。
1996年に国際司法裁判所(ICJ)が出した勧告的意見は、「核兵器による威嚇・使用は一般的に国際人道法に違反する」としつつ、「国家存亡のかかる自衛の極限状況においては違法かどうか判断できない」と留保をつけた。この勧告的意見の前段に法的拘束力を持たせようとしたのが核禁条約であり、東西冷戦の最前線で核の脅威を肌で感じたオーストリアやメキシコなどの非核保有国を中心に、核開発実験の被害を受けた太平洋やアフリカなどの国々や、昨年のノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)などのNGOが推進してきた。
一方、米国の同盟国である日本や欧州の北大西洋条約機構(NATO)などの「核の傘」依存国の政府は、なお自衛のために核兵器の威嚇・使用が正当化できるかどうかという「困難な問題」に向き合っているというのである。論争に決着がつけられるのだろうか。
賢人会議の非公開の議論とは別に行われた市民社会との意見交換では、「国際人道法に抵触しない核兵器の使用などない」(ピースボート・川崎哲氏)、「核抑止は長期的に危険というが、今現在も危険なのではないか」(創価学会・河合公明氏)といった指摘が相次いだ。
これに対して、賢人会議のジョージ・パーコビッチ委員(米カーネギー国際平和財団副会長)は、国際人道法に抵触しない核使用の検討例として、核搭載魚雷による潜水艦攻撃やパキスタンの砂漠での核実験デモンストレーションを列挙し、「核を持つことで指導者らが自制し、紛争へとエスカレートすることを防ぐ効果がある」とした。山口昇委員(国際大学副学長・笹川平和財団参与)は陸上自衛隊での35年間の国防任務を踏まえて、「現実的には核抑止への依存は減らせてもゼロにはならない」との見解を示した。
2日間の議論終了後の記者会見で、座長の白石隆・熊本県立大理事長は「長崎を最後の被爆地に、という点では委員全員が一致した」としつつ、「本当に困難な問題だ」として具体的な議論の成果は語らなかった。
日本政府が目指す「橋渡し」の意味について、外務省の今西靖治・軍縮課長はこう説明する。「核保有国と非核保有国の間が一つ。もう一つは核の脅威にさらされている国とさらされていない国の間にも橋が渡るようにすべき。私たちは核保有国にも軍縮を促しているので、そちら側だけにいるのではない。激しく対立するなかでも、礼節をもって議論することが大切だ」
11月1日、国連総会第1委員会(軍縮・安全保障)において、日本政府が主導して25年連続で提出して採択された核兵器廃絶決議案は、昨年に続いて核禁条約に一切触れなかったため、条約推進国の多くが棄権した。ただ、核軍縮の誠実交渉義務を定めたNPT第6条や、2000年NPT再検討会議の最終文書で核保有国が核廃絶の「明確な約束」に合意したことを再確認するととれる表現を盛り込むなど、昨年の決議案よりも踏み込んだ内容だった。昨年は日本決議案に賛成した米国は「時代遅れの言葉に固執してはならない」(ウッド米軍縮大使)として今年は棄権に回った。米国が主導したNPT体制が時代遅れだとして、終わりの始まりを自ら宣言しているかのようである。
ただ、日本政府が核禁条約に賛同できないのは、自国の周辺にまだ核の脅威があるから米国の「核の傘」は手放せないという論法のようだ。北朝鮮の核が念頭にあるのだとすれば、米国の核から自衛するために核開発をしてきたと主張する北朝鮮の理屈も認めることになってしまう。朝鮮半島の非核化をめぐり、南北や米朝の対話プロセスによって脅威を減らそうという国際的な機運が高まっている。絶好の機会をいかして脅威を減らそうという意図が日本政府に見られないのはなぜだろうか。