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日韓「65年体制」を揺るがす「徴用工」判決

韓国司法に振り回される日韓関係と文在寅政権による「積弊清算」

奥薗秀樹 静岡県立大学大学院国際関係学研究科准教授

新日鉄住金に対する損害賠償訴訟で、10月30日の韓国大法院判決後に記者会見する元徴用工ら=東亜日報提供
 日本による植民地支配下で強制動員され、日本本土の工場で働かされたとする元「徴用工」らが、新日鉄住金に対して損害賠償を求めた訴訟の差し戻し上告審で、韓国の大法院(最高裁判所に該当)は10月30日、被告の上告を棄却し、原告らにそれぞれ1億ウォンの慰謝料を支払うことを命じた原判決を確定させた。

 河野太郎外務大臣は、「国交正常化以来築いてきた日韓の友好協力関係の法的基盤を根本から覆すもの」で、「断じて受け入れることができない」との談話を発表し、李洙勲駐日韓国大使を外務省に呼んで抗議した。また安倍晋三首相も、「国際法に照らしてあり得ない判断」であり、「毅然と対応していく」と述べた。

 対する韓国政府は、李洛淵首相が、「司法府の判断を尊重」し、「判決に関連する事項を綿密に検討する」としたうえで、「関係部署や民間の専門家らとともに諸般の要素を総合的に考慮して、政府としての対応を決めていく」との考えを対国民発表文の形で明らかにした。

日韓国交正常化と「請求権・経済協力協定」

 1965年6月22日、日韓両国は足かけ14年に及んだ交渉を経て、「日韓基本条約」と四つの協定に調印した。その中核ともいえるのが、「請求権・経済協力協定」であった。

 「日韓基本条約」の締結交渉で最後まで難航したのは、「日韓併合条約」に至る旧条約・協定がいつから無効となったのかという問題と、韓国政府の管轄権は軍事境界線以南に限定されるのか、朝鮮半島全体に及ぶのかという問題であった。前者について、基本条約は「もはや無効」とし、日本側が主張する大韓民国政府樹立をもって無効となったとする解釈と、韓国側が主張する締結された当初から無効であったとする解釈が、ともに成り立つ“玉虫色”の表現が用いられた。また、後者についても、国連総会決議を引用する形で、大韓民国政府が「朝鮮にある唯一の合法的な政府」であることが確認され、将来の北朝鮮との関係正常化を念頭に休戦ライン以南に限られるとする日本と、自分が半島全体を代表するとする韓国が、いずれも都合よく解釈できる条文となった。

 関係正常化にあたっての核心的課題ともいうべき財産、請求権については、「請求権・経済協力協定」において、双方は、「両締結国及びその国民の間の請求権に関する問題」が、「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」とされた。そのうえで、協定についての合意議事録で、完全かつ最終的に解決されたこととなる問題には、「日韓会談において韓国側から提出された『韓国の対日請求要綱』(いわゆる八項目)の範囲に属するすべての請求が含まれており」、それに関しては、「いかなる主張もなしえないこととなることが確認された」。八項目の「対日請求要綱」には、「被徴用韓人の未収金、補償金及びその他の請求権の弁済請求」が明記されていたのである。

 双方があえて自己の主張を押し通すことをせず、ある意味曖昧さを是として、大局的な見地から国交正常化の門を開いたといえよう。

「請求権問題」に関する日本政府の主張

 こうした経緯を踏まえて、日本政府は、韓国との間の財産・請求権問題は、「請求権・経済協力協定」で文字通り“完全かつ最終的に解決済みである”との立場を繰り返し表明してきた。

 しかし実際には、当初想定していなかった過去をめぐる問題が提起されると、日本政府は、すべて解決済みであることを前提としたうえで、“人道的見地”から道義的責任を果たすとして、様々な支援事業を実施する形で対処していくことを余儀なくされた。後に韓国政府が「請求権・経済協力協定」の対象外であるとした、サハリン残留韓国人問題、在韓原爆被害者問題、旧日本軍慰安婦問題がそれである。

 ただ、ここで指摘しておかなければならないのは、数次にわたる国会答弁で確認されている、“完全かつ最終的に解決済み”としてきた日本政府の個人請求権についての法的解釈である。

 それは、「請求権・経済協力協定」によって個人の持つ請求権そのものがなくなったわけではないが、両国が協定を締結した以上、訴えによって個人の請求が認められたとしても、政府としては対応することができないため、その請求が実際に満たされることはない、とするものである。

 すなわち、両国間の財産・請求権の問題は、国民の請求権を含めてすべて解決したが、それは、両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したということであり、個人が持っている請求権を国内法的な意味で消滅させたということではない。従って個人として裁判所に請求を提起することは妨げられていないが、外交保護権を放棄した以上、政府としてこれを外交的にとりあげ、救済することはできない。国家が個人の請求権を消し去ることはできず、その権利は生きているが、個人によって訴えが提起されたとしても、国としてそれを保護することはできないとするものである。それは日韓だけでなく、他の国との関係でも、条約上同様の処理を行ったとされている。つまり、日本政府の言う「完全かつ最終的に解決済み」とは、個人の請求権が消滅したことを意味するわけではないということである。

 これは、朝鮮半島に資産を残してきた日本人に対する補償責任が、「請求権・経済協力協定」を締結した日本政府に生じることを防ぐための論理であったと思われるが、日韓に限るものではない。同様の主張は、被害者がいずれも日本政府を訴えた原爆訴訟やシベリア抑留訴訟をめぐっても展開された。それは、1956年の「日ソ共同宣言」で請求権を相互に放棄したことで、シベリア抑留者への損害賠償責任をソ連政府ではなく日本政府が負うことになる事態や、サンフランシスコ平和条約で国が請求権を放棄したことによって、原爆被害者が米国政府に対して損害賠償請求をすることができなくなったとして、日本政府に補償請求が向けられる事態を防ぐ意味で持ち出されたという側面があることは否定できないであろう。

 外に向かっては、請求権問題は個人のものも含めて“完全かつ最終的に解決済み”と言い、内に対しては、個人請求権は消滅したわけではないと言う。その矛盾を指摘する声もあるだけに、日本政府には丁寧な説明が求められよう。

「請求権・経済協力協定」と韓国政府の見解

 韓国政府は66年、「請求権資金運用管理法」を制定し、「民間人の対日請求権補償」について、「大韓民国国民が有する日本国に対する民間請求権は、この法で定める請求権資金の中から補償しなければならない」と規定した。そして、「対日民間請求権申告法」で必要な条件を規定して申告を受け付け、「対日民間請求権補償法」に基づいて個人補償を行った。77年6月までの間に、元徴用工に対しては、死亡者に限って補償が実施されたが、補償額が少なかったこと、申告期間が短かったこと等もあって、経済開発優先の国家戦略のもと、被害者本位とは言い難いものであったとの批判がなされている。こうしたことから、韓国政府は当初、両国の財産・請求権問題が「請求権・経済協力協定」で完全かつ最終的に解決したことにより、個人請求権を含めて消滅したと認識していたものと思われる。

 その姿勢に変化が見られるようになったのは、90年代に入って慰安婦問題が両国間で外交問題化し、元慰安婦に対する個人賠償の要求が語られるようになってからであろう。韓国で重視されたのは、「請求権・経済協力協定」の交渉過程で、何が議論され、またされなかったのかであった。

 2005年、盧武鉉政権は日韓国交正常化交渉の外交文書の開示に踏み切った。李海瓚国務総理(現与党共に民主党代表)を共同委員長とし、政府委員として文在寅青瓦台民情首席秘書官も加わった「民官共同委員会」は8月、明らかになった交渉の内容を踏まえて、「請求権・経済協力協定」の法的効力範囲と政府の対処方針について明らかにした。「請求権・経済協力協定」に対する韓国政府の公式見解ともいうべきものである。

 そこではまず、「請求権・経済協力協定」を、植民地支配に対する賠償を請求するためのものではなく、両国間の債権・債務関係を解決するためのものであったと規定したうえで、日本軍慰安婦問題等、日本の国家権力が関与した反人道的不法行為については「請求権・経済協力協定」で解決したとは見なせず、残されたままの日本政府の法的責任の持続的な追及と国際機構を通じた問題提起等、外交次元での対応を引き続き講じていくとした。また、サハリン同胞問題、原爆被害者問題についても「請求権・経済協力協定」の対象に含まれないとした。

 一方、強制動員の被害補償については、「請求権・経済協力協定」を通じて日本から受けとった無償資金3億ドルに包括的に勘案されていると見なければならないとした。そして、そのうちの相当額を被害者の救済にあてるべき道義的責任が政府にはあったにもかかわらず、補償対象から負傷者が除外される等、被害者への補償が十分に行われたとは言い難い面があったことを認めている。そして、そうした認識をもとに、政府は、被害者の苦痛と痛みを癒やすためにも、遅ればせながら特別法を制定し、慰労金や未収金、医療支援金等を支給する形で支援措置を実施していったのである。すなわち、韓国政府自らが外交上解決済みであると判断しつつ、これまでの政府としての“落ち度”を認め、政府の責任のもとで強制動員の被害者に対する具体的支援に乗り出したというわけである。

大法院差し戻し判決の衝撃

 それだけに、2012年5月24日の大法院による差し戻し判決は、日韓双方にとって衝撃的であった。元徴用工らがかつて働かされた日本企業を相手に、損害賠償と未払い賃金の支払いを求めた訴訟で、原告らの訴えを棄却した二審判決を破棄し、高等法院(高等裁判所に該当)に差し戻す判決を言い渡したのである。それは、「完全かつ最終的に解決済み」とする日本政府の主張と相容れないだけでなく、「請求権・経済協力協定」の適用範囲をめぐる韓国政府の見解とも異なるものであった。

 判決は、同趣旨の訴えを退けた日本の司法判断を承認する形で一審、二審と棄却された原告らの訴えをめぐり、大韓民国の憲法の規定に照らしてみた時、日本の朝鮮半島支配は不法な強制的占有に過ぎず、それが合法的であるとの認識を前提に下された日本の裁判所の判決は、その理由が韓国の憲法の核心的価値と正面から衝突するもので、受け入れられないとしたのである。

 そして、「請求権・経済協力協定」については、民官共同委員会の見解を踏襲したうえで、交渉過程において、日本政府は植民地支配の不法性を認めず、両国は日本の植民地支配の性格について合意に至ることが出来なかったが、そうした状況で、日本の国家権力が関与した反人道的不法行為や、植民地支配と直結した不法行為による損害賠償請求権が、「請求権・経済協力協定」の適用対象に含まれると見るのは困難である。そうした点に照らしてみると、元徴用工らの損害賠償請求権については、「請求権・経済協力協定」によって個人請求権が消滅していないことはもちろん、大韓民国の外交保護権も放棄されていないと見るのが妥当である、としたのである。

 判決では、民官共同委員会が「請求権・経済協力協定」によって解決したとはいえないとした「日本の国家権力が関与した反人道的不法行為」に、「植民地支配と直結した不法行為」が加えられ、「植民地支配と直結した不法行為」である強制動員の被害者の個人請求権も「請求権・経済協力協定」の対象外であり、元徴用工の日本企業に対する請求権は消滅したとはいえないとされたのである。これは、明らかに韓国政府の公式見解とは異なる判断であった。

差し戻し上告の棄却と判決の確定

 2018年10月30日、大法院で上告が棄却され、判決が確定した。大法院の差し戻し判決や高等法院の差し戻し控訴審判決の内容を踏襲しながら、そこには,さらに一歩踏み込んだ明快かつ重大な判断が示されていた。

 すなわち、強制動員被害者の損害賠償請求権について、それは、「日本政府の朝鮮半島に対する不法な植民地支配、及び侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする、日本企業に対する慰謝料請求権」であって、「未払い賃金や補償金を求めるものではない」と規定したうえで、「請求権・経済協力協定」の適用対象に含まれるとは言えないとしたのである。

 判決は、「請求権・経済協力協定」自体も、その付属文書も、韓国による八項目の「対日請求要綱」も、そのいずれもが、日本による朝鮮半島植民地支配の不法性を踏まえたものではなかったとする事実認定に基づくものであった。「請求権・経済協力協定」によって個人請求権が消滅していないとする判断の根拠を「日本による植民地支配の不法性」の認定に置いたわけである。韓国の司法が、反人道的な不法行為によって強制動員された被害者に損害を与えた日本企業のみならず、不法な植民地支配そのものを断罪し、その責任を問うたわけである。この点が、今回の大法院判決によって、韓国の司法判断として確定したという事実は、重大な意味を持つことになる。

 この論理が貫徹されると、徴用工問題のみならず、植民地支配下で損害を被ったとされるありとあらゆる事案が「請求権・経済協力協定」の対象外となり、際限なく慰謝料請求訴訟が提起される道が拓かれることになる。それはまさに,「65年体制」の崩壊へとつながりかねないものである。

 65年の日韓国交正常化が、まさにその点をあえて曖昧にすることによって妥結に漕ぎ着けることができたという点を考えると、その後今日に至るまでの日韓関係は、その「曖昧さ」を前提として成り立ってきたということもできよう。今回の判決は、司法府として、その「曖昧さ」を放置せずに正すことを行政府に求めているようにも映るだけに、扱いによっては、両国関係の根幹を揺るがす潜在力と危険性を秘めていると言わざるを得ない。

 こうした判断が、韓国の司法によってなされるに至った背景には何があるのか。整理してみたい。

韓国司法が揺るがす日韓関係

(1) 冷戦の終焉と“歴史立て直し”

 まずは、韓国現代史における民主化と“歴史立て直し”の経緯について指摘しておかなければならない。

 1987年6月29日、全斗煥政権の与党民主正義党の盧泰愚代表委員は、野党民主化勢力の要求をほぼ全面的に受け入れる「6.29宣言」を発表し、韓国は“民主化時代”を迎えた。

 軍出身の民選大統領盧泰愚の「第六共和国」、続く金泳三の「文民政府」、金大中の「国民の政府」、盧武鉉の「参与政府」と、民主化以降の歴代政権は、それまで“権力”によって正当化されてきた韓国近現代史の歩みを評価し直す取り組みを進めていくことになる。“歴史立て直し”(金泳三政権)による過去清算事業である。

 それは、朴正煕暗殺後、全斗煥による権力掌握過程で起きた粛軍クーデターや光州事件に始まり、全斗煥政権期の権力型不正、植民地支配から解放後の混乱期に起きた済州4.3事件に、金大中拉致事件、そしてさらには、植民地時代に日本に協力した親日反民族行為の真相を糾明し、その財産を国家帰属とする取り組みに至るまで、多岐にわたった。その時々の政治状況からくる歴代政権の思惑も絡む中、強引な遡及処罰や新規立法等、力ずくで世論をリードし、時の政権の視点から過去を断罪してそれを正し、歴史を再構成していく政治的試みともいえるものであった。

 90年代以降の過去をめぐる日韓摩擦の相次ぐ表面化は、これまで国内事案をめぐって展開されてきた“歴史立て直し”の取り組みが、日韓関係にまで及んできたものと捉えることもできよう。

 冷戦が終焉に向かう中、国家優先、イデオロギー重視の風潮に疑問が投げかけられ、かわって個人の尊重と人権意識の高まりが指摘されるようになっていった。民主化を成し遂げた韓国においても、かつて日韓国交正常化にあたって経済開発という国家戦略だけが重視され、個人が被った損害への補償に十分な配慮がなされなかったことに不満を持つ被害者たちが声をあげ始めた。それは国家による力ずくの国交正常化に潜む矛盾を正そうとする試みであったと見ることもできよう。

 また、こうした動きは東アジアの国際秩序が大きく変容していく中で起きた。アジアで唯一の先進国である世界第二の経済大国日本に、必死に追う韓国、眠れる大国・中国という構図は、もはや完全に過去の遺物となった。90年代以降、日本が長引く経済停滞と政治的混乱に喘ぐ中、韓国はその国際的地位を向上させ、自信を抱くようになった。中国は、経済面、政治面、軍事面のいずれにおいても急速に台頭し、圧倒的な存在感を誇示している。韓国にとって日本が絶対的に必要な存在であった時代は終わりを告げ、韓国外交において日本が占める比重は大きく低下した。

 そうした中で、「65年体制」の枠組み自体に異を唱える動きが表面化してきたわけである。それはあたかも、

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