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中島岳志の「自民党を読む」(4)河野太郎

リベラルを志向しつつも、政策の中核は新自由主義。父からの自立を意識しすぎ?

中島岳志 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授

父・河野洋平への愛情と距離感、敬意と反発

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 河野さんの特徴は、父・洋平さんと政治的スタンスを異にしている点です。父は子どもに厳しく、恐い存在だったと言います。食事のとり方が気に入らないと厳しく叱責され、時に「いきなりぶん殴られ」「張り飛ばされた」と回想しています(②:120)。

 アメリカに渡り、ジョージワシントン大学を卒業しますが、当初、父はアメリカ留学に反対しました。父の知り合いのアメリカ人のパーティーに出席した際、「アメリカ留学をしたいのだが、オヤジが反対していて困っている」と訴えると、その場にいたアメリカ人全員が日本の大学を卒業してからアメリカの大学院に行くべきだと進言しました。意気消沈していると、父は「あれだけ全員そろって反対ならかえっておもしろいかもしれない、お前行ってみるか」と言いだし、留学が決まります。出発の際は「留学はスポーツと同じようなものだから、全力をつくせ。でもエンジョイしなさい」という手紙を受け取ったと言います(②:127)。

 日本に帰国後、富士ゼロックスに入社し、海外赴任などを経て、日本端子に転職します。そして小選挙区制導入によって父の選挙区が分割されると、神奈川15区から自民党公認で立候補し、当選しました。

 このとき父は猛然と反対したと言います。「一家で二人も選挙をできるわけがない」と言い、仲間に対しても「太郎は出馬させない」と宣言します。そのため父の協力を得ることができないまま、独断で立候補します。父に応援に来てもらうよう説得されても「河野太郎の選挙だ、河野洋平は関係ない」と突っぱね、選挙戦を戦いました(②:130-131)。

 河野さんには、父の存在に依存して政治家になったという意識は薄く、むしろ父の考えに背いても自らの意志を貫くという意識が強く働いています。そのため、後でも述べるようにリベラルな価値観については共有する部分が多いものの、経済政策や福祉、再配分についての考え方には一定の隔たりがあります。河野太郎という政治家を捉える際には、父への愛情と距離感、敬意と反発のバランスを読み取る必要があります。


筆者

中島岳志

中島岳志(なかじま・たけし) 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授

1975年、大阪生まれ。大阪外国語大学でヒンディー語を専攻。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科でインド政治を研究し、2002年に『ヒンドゥー・ナショナリズム』(中公新書ラクレ)を出版。また、近代における日本とアジアの関わりを研究し、2005年『中村屋のボース』(白水社)を出版。大仏次郎論壇賞、アジア太平洋賞大賞を受賞する。学術博士(地域研究)。著書に『ナショナリズムと宗教』(春風社)、『パール判事』(白水社)、『秋葉原事件』(朝日新聞出版)、『「リベラル保守」宣言』(新潮社)、『血盟団事件』(文藝春秋)、『岩波茂雄』(岩波書店)、『アジア主義』(潮出版)、『下中彌三郎』(平凡社)、『親鸞と日本主義』(新潮選書)、『保守と立憲』(スタンドブックス)、『超国家主義』(筑摩書房)などがある。北海道大学大学院法学研究科准教授を経て、現在、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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