北方領土交渉の行方が見えてきた
国後・択捉の将来の引き渡しを排除しない条文の書き方が必要だ
登 誠一郎 社団法人 安保政策研究会理事、元内閣外政審議室長

ロシアのプーチン大統領との首脳会談に臨む安倍晋三首相=2018年12月1日、ブエノスアイレス
1956年の日ソ共同宣言以降殆ど進捗を見ることのなった北方領土交渉が、先月のシンガポール及び今月初めのブエノスアイレスにおける日ロ首脳会談を契機に、解決に向かって大きく前進する見通しとなったことは感慨深いものがある。
私が初めてソ連の土を踏んだのは、1960年代半ばの米国留学において、専攻した国際関係論の一環として米ソ関係とロシア語を学んだ際に、米ソの大学生交換プログラムの米側一員に選ばれて、ひと夏をモスクワはじめソ連内の各地で過ごしたときである。当時のソ連国民の生活レベルは低く、デパートの棚に商品が殆どない状態であり、何で日本はこの国に北方領土を不法占拠されているのか、との悔しい思いを強くした。
それ以来この国には大きな関心をもってきたが、直接に日ロ関係の仕事に携わるポストには恵まれず、唯一の機会は、内閣外政審議室長として橋本龍太郎、小渕恵三の両首相の外交関係アドバイザーを務めていた際であった。
私は個人的には、4島の日本帰属を求める内容の川奈提案をロシアが受け入れる可能性はほとんどないと判断していたが、極寒のクレムリンでエリツィン大統領から冷たい返事を突き付けられた時の小渕総理の寂しそうな顔は、今でも鮮明に覚えている。
そしてそれから20年、私なりに日ロ双方に受け入れられる北方領土問題解決案は何かを模索してきた。外交に100%の勝利はないが、特に戦争でとられた領土を外交交渉で取り戻すことは至難の業である。過去の歴史や法と正義の原則はもちろん重要であり、それを主張することは当然であるが、それを唱えるだけでは合意は得られない。唯一あるのは、現実的な解決法である。
今回ようやくその道筋が見えてきたことに強く元気づけられる。