米国やロシアへの配慮と、韓国との向き合い方は、なぜこれほど違うのか
2018年12月03日
日韓の間で飛び交う「いやな感じ」は強まるばかりだ。慰安婦問題と元徴用工裁判をめぐって、とげとげしく、まるですれ違いの言動が続いているためである。
韓国は11月21日、慰安婦問題に関する日韓合意に基づく「和解・癒やし財団」を解散すると発表した。日本が拠出した10億円は宙に浮くことになった。
安倍晋三首相はこう反応した。
「日韓合意は最終的かつ不可逆的な解決だ。国際的約束が守られなければ国と国との関係が成り立たない。韓国には国際社会の一員として責任ある対応を望む」
コメントとして特段の齟齬はない。2015年12月28日の日韓外相合意が頓挫した責任は、まず韓国が負うべきだろう。
ただ、「和解と癒やし」の事業には健在の元慰安婦のうち過半数が実質的に日本の税金を受け取っている。事業が完全に失敗したわけではない。
2015年の日韓外相会談後の発表文では、財団設立の目的とともに「日韓両政府が協力し、全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復、心の傷の癒やしのための事業を行う」ともうたわれた。財団の運営には日本政府も協力するという趣旨であり、これも約束の一部だ。
安倍首相や日本側の怒りのコメントには、財団の金を受け取った人、反発して受け取らなかった人、それらの人々の心の傷をいかほど慰めることができたかについて全く評価がない。
さらに、この財団の設立にともない、1995年以来、元慰安婦の支援事業に取り組んできたアジア女性基金のフォローアップ事業が終了した。「日韓合意に基づき類似の事業が予想される」という理由だったが、財団がなくなれば日本側からのフォローアップはどうなるのか。これも言及がない。
何よりも、15年の合意には共同声明文などの文書もなく調印もない。トップ会談ではなく外相レベルで、10億円という拠出額も直接は合意に盛り込まれなかった。国際的約束とはいえ、国内の批准が必要な条約などとは比較にならない「軽さ」が当初からあった。
そして11月29日、韓国大法院(最高裁)は、三菱重工業に対し、広島と名古屋の軍需工場で働かされた元徴用工や元女子勤労挺身隊員らに損害賠償を命じる判決を出した。
しかし、原告らの当時の厳しい環境に対するコメントはなかった。
「志願を勧められて行ってみると給料は未払いのまま過酷な労働を強いられた」「鉄をハンマーなどでたたき割る重労働をさせられた」などの実態は、日本での裁判時に認定され、争いのないものだ。
河野外相がもし、政府としての主張をする前にひと呼吸置いて、原告に「戦前、戦中はご苦労かけました」とか「不自由をおかけしました」とか呼びかけていたら雰囲気は違っていたはずだ。それから「でも、」と政府の立場を主張してもいいようなものを。
ましてや植民地統治下で共に戦った「日本人」へ慰労の言葉がなぜなかったのか。
この日本の、一見正しいかもしれないけれど、あまりに激しい反応に「いやな感じ」を覚えるのだ。
二つのとげとげしさで共通しているのは、戦争当時、敵でもなかった植民地統治下の「日本人」という立場や、歴史に翻弄されてきた個人のヒストリーに寄り添う気持ちが見られないことだ。
そもそも、これは戦争被害者が日本企業を訴えた裁判だ。なぜ外相が真っ先にコメントするのか。原告の訴える請求権が、1965年の日韓請求権協定で解決した請求権の範囲に含まれるから、条約・協定の問題だからだ、というのが理由だろうということは想像がつくが、日本政府が訴えられたわけでも敗訴したわけでもない。
また、「個人の請求権は消滅していない」という今回の韓国の一連の法理は、日本政府も戦後、一貫して主張してきたものであり、日本が対外的、対内的に戦後補償の道をふさぐ「道具」として利用してきたものだ(『徴用工判決めぐる「いやな感じ」の正体』参照)。
一方の韓国も煮え切らない。
今年中に対応策を決めるとしているが、年内にまだ数件の判決が出て、さらに10余件の裁判があり、これから裁判を起こそうという人もいる。ここまで火が付いた状態をどう鎮めるのか。日本側の不安をどう払拭するつもりなのか。
数日前に会った韓国大統領府の要人は私に言った。「あくまで三権分立の中の司法判断であり、政策の変更はない。純粋な国内問題なので、日本は過渡に刺激しないでほしい」と。
それは、難しいことだろう。この情報が瞬時に行き交う現代に、日本から見れば「蒸し返し」「これ以上何をしろというのか」という反感が芽生える土壌が常にある。その言葉が韓国に跳ね返って反日感情に火がつく。それが日本に伝わる…キャッチボールのたびにどんどん関係が悪化していく。
韓国政府幹部の説明では、文在寅政権が今やっていることは、決して反日が目的ではなく、前政権が秘密裏に決めてきた数々の政策の決定を改めて検証し、過程をオープンにすることだという。その理屈が日本政府や国民に通じているとは到底思えない。
韓国の説明不足と、日本の冷淡な態度。その背景には、戦後補償に関する半世紀以上の風土の違いも関係している。
日本政府は原爆投下やシベリア抑留といった日本人の被害について、サンフランシスコ講和条約で日本政府としては責任を追及できないとし、「個人請求権は消滅していないので相手国で訴える権利はある」と政府が補償責任を負わない論拠としてきた。
東京大空襲など空襲の日本人被害者に対しても、司法は「すべての国民は悲惨な経験を受忍しなければならない」と「受忍論」を展開し、我慢を強いてきた。行政も司法も足並みそろえて冷淡だった。
シベリア抑留は、いまだに実態が解明されていない。日本とロシアの首脳が何度親しく会ったとしても、日本側が「シベリア抑留の被害の全容を徹底的に明らかにせよ。遺骨を全部返せ、個人補償の道を開け」と迫ったとは聞いたことがない。それでも被害者は黙っている。
安倍首相は2016年9月、ロシア訪問の帰途にシベリア抑留中に死亡した日本人の慰霊碑に献花したことがあるが、戦後の抑留そのものの責任問題は決着がついていない。
日本にとっては、サンフランシスコ講和条約で独立を実現し、戦勝国への賠償も免除された。「リセット」したまま、加害行為にも被害者救済にも冷たい態度を崩さなかった。それが司法判断にも浸透し、政治体制に大きな変化もなく、いつのまにか定着していった。
一方の韓国は1987年の民主化宣言以来、保守と革新が代わる代わる前政権の政策を覆す「常に上書き」の国だ。
日韓請求権協定以降、アジア女性基金でも、2015年の慰安婦合意でも、保守政権が結んだ合意が政権交代によって疑義が出たりひっくり返されたりしてきた。
国家間の約束の何を保持し、何を変えたいのか、明確に相手国に説明しないと「国家の体をなしていない」(自民党議員)といった暴言が独り歩きするだろう。
徴用工裁判の隠れたテーマである「法を越えた個人との和解」は、似た例が過去にある。
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