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百田尚樹著「日本国紀」から憲法を考える(前編)

内山宙 弁護士

日本国憲法の原典日本国憲法の原典

「日本国紀」は歴史書ではなくエンタメ作品だ

 百田尚樹著「日本国紀」がベストセラーになっているようです。宣伝文句によると、「発売と同時に45万部」なんだそうです。中公新書の「応仁の乱」(呉座勇一著)並みということが言えるでしょう。

 しかし、この連載は「エンタメde憲法」です。なぜ歴史書を取り上げるのかと疑問に思われることでしょう。それは、「日本国紀」が本当に歴史書と言っていいのかどうか疑問があり、むしろエッセイのようなもので、もっといえば非常に高度の知的エンターテインメント作品なのではないかという気がしているからです。

 エンタメ作品なのであれば、この連載で取り上げる意味があります。そして、日本の通史ということで、日本史の中では憲法が絡んでくる場面が出てくるため、エンタメ作品を通して憲法を学んでしまうというコンセプトにも合致します。

「日本すごい」の歴史エッセイ

 歴史に関する本というと、どの文献にこういう記述があるとか、文献の間で記載ぶりが違って、比較するとこちらが正しいのではないかとか、こういう新しい資料が見つかって、こういうことが分かったとか、参考文献の引用がされていたりして、小難しいことが書いてあって、とっつきにくい感じがする方もいるかと思います。しかし、この「日本国紀」にはそのようなものはなく、その分読みやすくなっています。随所に百田氏独自の解釈が盛り込まれていて、百田氏のファンであれば「そういう見方もあるのか」と面白く感じる方もいらっしゃることでしょう。

 ただ、日本史の通史と銘打っているにも関わらず、評価が分かれている点について学問的な根拠やその評価に触れずに断定したり、確実な根拠に触れずに事実のように書いたりする点が見られ、残念ながら歴史書としては信頼性が低いと言わざるを得ません。百田氏自身も、受験では使えないと認めています。小説であれば、実はこうだったのではないかと想像して書くことも許されるでしょうが、小説としては平板な記述が続くのでつまらないと思います。

 さらに、この時代であれば、この出来事が取り上げられているべきなのに取り上げられていないとか、その一方で、なぜこのようなエピソードを取り上げているのか不思議に感じることもありました。百田氏が興味を持っていることだけを取り上げている感じがあります。

 そうすると、歴史エッセイという位置付けになると考えられます(ただ、長いです)。内容的には、最近流行りの「日本すごい」モノになっているので、そういうものが好きな方には気持ちよく読めるだろうと思います。

実は高度な知的エンターテインメント

 しかし、ヒットメーカーの百田氏が、果たして歴史書としては信頼性がなく、エッセイとしては長すぎ、小説的なものとしてはつまらないものを書くだろうかというと、違うのではないかもしれないとも思うのです。というのも、私が弁護士として気になる憲法との関連事項について、「日本国紀」でどのように書かれているかをチェックしていて、いくつか問題のある記述を見つけ、その裏取りをしている作業の中で、実は極めて高度な知的エンターテインメントなのではないかと気づいたからなのです。

 つまり、百田氏が、自分なりの歴史観を示して書いているものの中に、いくつもの問題が仕込んであり、それを別の文献に当たって調べて間違いを確認していく作業は、極めて知的な営みであり、そうやって調べたことは忘れることはないでしょうし、調べること自体の楽しさを教えてくれるものだということもできるでしょう(ただ、その分、今回の執筆はとても大変でした…。)。

 間違い探しをしてTwitterに投稿している人もたくさんいます。「日本国紀」はただ単に読むだけのものではなく、そこから他の歴史書に手を伸ばし、確実な歴史上の事実はなんだろうかと広げていくことまで含めたエンタメ作品ということができるのではないでしょうか。

 ということで、憲法が絡むところとしては、17条憲法、明治憲法、日本国憲法の制定、憲法改正の四つポイントがありましたので、それぞれじっくり解説していきたいと思います。

17条憲法は民主主義なのか?

 まず、17条憲法です。

 日本書紀に全文が掲載されていますが、みなさんご存知なのは、第1条の「和(やわら)ぐを以って貴(たふと)しとし、忤(さか)ふること無きを宗(むね)とせよ」(岩波書店「日本書紀(四)」96〜104ページから引用。以下同じ)ではないでしょうか。その後に、みんなで議論しようということが書かれているので、百田氏は、17条憲法は民主主義だとしています。

聖徳太子墓=大阪府太子町聖徳太子墓=大阪府太子町
 また、仏教を敬うことや天皇に従うことよりも先に、「和ぐを以って貴し」とすることが来ているのが凄いとも書かれています。当時は宗教や天皇の権威が非常に大きく、それを最初に書いてもよかったのに、それよりも前に和することをもって来ているからだということだそうです。

 しかし、条文の順番で規定の優先順位が決まるというのなら、みんなで議論せよというのは第17条(「夫(そ)れ事独(ひと)り断(さだ)むべからず。必ず衆(もろもろ)と論(あげつら)ふべし」)に書いてあり、第1条に書いてあるのは、協調して議論すると上手くいくのだという効果だけです(「上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)ふに諧(かな)ふときは、事理自(おの)づからに通ふ。何事か成らざらむ」)。百田氏の論によれば、民主主義が一番後回しということになってしまいかねません。

 第16条に、民は使役される対象だ(「民を使うに時を以ってする」)と書かれているのも、17憲法を民主主義と言うのに抵抗を感じる点です。使役される対象が議論に加われるとは思えません。民主主義というのは、主権者たる国民の多数の意思が国政に反映されていく仕組みです。17条憲法では、「みんなで議論して決める」と言っても、支配される者の意思が反映していくことは想定されていません。

 また、17条憲法の第3条では、天皇のいうことは必ず従え、と書いてあります。天皇主権を定めているということができるでしょう。とすれば、あくまでも天皇を頂点とした支配階級の中で議論するだけのことと考えられ、民主主義ではありません。

 最近では、稲田元防衛大臣が、17条憲法は民主主義を定めたと言っています。この方は弁護士でもあるので、ちょっと大丈夫だろうかとクラクラしました。

近代の憲法とはまったく別物

 17条憲法を概観すると、どちらかというと、国家公務員倫理法という程度の内容だと言うことができます。「憲法」という名前がついているので、今の憲法と同じようなものと勘違いしてしまいがちですが、まったく別物です。英語でいう「コンスティテューション」を翻訳するときに、たまたま「憲法」という言葉を当てただけというのが実態です。

憲法の原点となった「マグナ・カルタ」の1215年当時の写本で現存する4枚のうちの1枚。権力を制限するという発想がみられる憲法の原点となった「マグナ・カルタ」の1215年当時の写本で現存する4枚のうちの1枚。権力を制限するという発想がみられる
 憲法の一番基本的な意味は「国の仕組みを定めるもの」ということです。17条憲法にはそれがありません。もし、「日本には17条憲法があるから、昔から憲法があった」という言い方をしている人がいたら、それは間違です。もっと言えば、フランス革命以後の近代の憲法は、人権保障と権力分立などの権力の濫用(らんよう)を防止する仕組みを備えたものでなければならないと考えられていますが、17条憲法はそういうものでもありませんでした。

 もちろん、この時代に、国家公務員のあるべき姿を示したこと自体は素晴らしかったと思います。ただ、その割には、17条憲法が出された604年以降、蘇我入鹿が暗殺されたり、壬申の乱が起こったりして、とても和ぐを以って貴しとなしているとはいえない状況ではありました。それらの事件に関連して、17条憲法に違反するという議論があった様子もありませんので、17条憲法に法規範としての拘束力があったようには感じられないのも事実ですが……。

 その後も、応仁の乱があったり、戦国時代があったりして、17条憲法の和の精神が日本の歴史の中で必ずしも活(い)きてきたようには見えません。もっとも、なかなか和することができないからこそ、その必要性が説かれたのかもしれません。

 ところが、明治に入って出された五箇条の御誓文では、この17条憲法を下敷きにして「広く会議を興し万機公論に決すべし」と取り入れられたとされています。17条憲法は、その1200年以上前に出されたとされていて、その後、効力がなかったものですが、聖徳太子信仰もあったりしたので、権威づけのために引っ張り出してきたということではないでしょうか。

明治憲法と教育勅語について

 百田氏は、明治憲法で「天皇は神聖にして侵すべからず」と書いてあるので、戦前の日本をカルト国家かのように勘違いしている人がいるが、そうではないと主張しています。

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