亡き父の後を追い政治家になった次男・雄治氏が発する沖縄保守から本土への異議
2018年12月14日
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先、辺野古沿岸部への土砂の投入が14日、始まりました。保守政治家でありながら、自民党政権が進めてきた普天間飛行場の辺野古移設に抵抗し、8月に急逝した故翁長雄志前沖縄県知事が存命なら、この事態をどう受け止めたのでしょうか。
前知事の次男で那覇市議の翁長雄治さんは、かつてバリバリの「ネトウヨ」でした。あることをきっかけにネトウヨと決別した彼は今、沖縄を守る保守として、基地を強いる本土の保守とは対立も辞さないと言います。亡き父の生き様や言葉を胸に、保守とは何か反芻してきた雄治さんが思い描く保守のカタチとは何か?那覇の事務所で2時間弱、じっくり話を聞きました。(聞き手・WEBRONZA編集長 吉田貴文)
*この記事は、12月15日付朝日新聞オピニオン面に掲載した翁長雄治さんのインタビュー記事「沖縄保守からの異議」の詳報です。
――2018年は雄治さんにとって激動の年だったのではないですか。5月にお父さんの翁長雄志・前沖縄県知事が膵(すい)がんであることを公表、8月8日に亡くなりました。後継を決める知事選が9月末におこなわれ、雄治さんはお父さんが後継指名した玉城デニーさんの選挙を応援。玉城当選に力を尽くしました。いま振り返ってみていかがですか?
翁長 父がだんだん弱っていく姿を見ていたので急逝とは思いませんが、病気が分かってから亡くなるまでは早かったなという印象はあります。
――雄志さんが亡くなって3日後、8月11日に那覇市で開かれた辺野古土砂投入阻止の県民集会での雄治さんのスピーチが語りぐさになっています。
翁長 父が死ぬ2日前、病室で30分ぐらい話をしました。沖縄のこと、基地のこと、あれこれ語りましたが、そのときの父の言葉をここで県民に伝えないでいつ言うのかと思い、自分からお願いしてあいさつをさせてもらいました。
――スピーチで、沖縄がいかに米軍基地の負担に苦しめられてきたか。新たな基地には大義名分がないこと。「ウチナーンチュ(沖縄の人)が心を一つにして闘うときは、おまえが想像するより、はるかに大きな力になると父から言われた」などと述べています。
翁長 そんな話をした翌朝、父の容体が急変、起き上がるのも大変になりました。「午後にまた来るよ」という僕の呼びかけに、「ああ」と言ったのが、父の肉声を聞いた最後でした。
――「ウチナーンチュが心を一つにして闘うときは、大きな力になる」という言葉は印象的です。
翁長 オール沖縄というのは県民の決意と覚悟なんです。それがあったから、翁長雄志は戦えたんですよ。翁長がカリスマだったわけじゃないんです。だから、オール沖縄がまとまって誰かを担げば戦えるはずだ。そういう思いで、この話をしました。
この日は出棺の日で、まだ気持ちの整理がついておらず、迷いましたけどね。父親の死を政治利用しているとと批判されるかもしれないですし……。でも、とにかく、いま言っておかないとダメ。10年後に言っても意味がないと思った。あいさつした後、出棺にかけつけました。
――後継を選ぶ県知事選は、翁長さんが指名しそのオール沖縄が支援した玉城デニーと自民・公明両党が推す佐喜真淳・前宜野湾市長の一騎打ちになりました。メディアの情勢調査は玉城氏優勢を伝えていましたが。
翁長 知事選は玉城選対の青年局長をやらせていただきました。今年2月の名護市長選ではオール沖縄が推す稲嶺進氏が事前調査で有利だったのに、最後に自民・公明が推す候補に逆転された。その再来を恐れましたが、今回は自公に名護市長選時の勢いがなかった。
――選挙期間中には、怪情報が乱れ飛びましたね。
翁長 選挙に怪情報はつきものですが、今回は質がひどかったですね。ちょっと調べれば、ウソだと分かるものばかりで。あんなものを信じて、佐喜真さんに入れるような人は、もともとうちには入れない人だから、あまり気にしませんでした。
最終盤で自民党の内部調査の結果が流れてきたのです。これが、どこかフェイクぽいんです。確か、佐喜真陣営が公明党支持層の9割を固め、うちが共産党支持層の8割しか固めていないといった結果だった。これは明らかにおかしい。
そもそも、共産党支持層が8割しか固めていないというのはあり得ない。逆に、公明党支持層が9割以上というのもあり得ない。沖縄の公明党支持層はどんな選挙でも、2割は自民党にいかないんです。こんな怪文書を回すところをみると、自民党も手詰まりだなと思いましたね。
――雄治さんは祖父から3代続く保守政治家の家系の生まれです。選挙はお手のものでは?
翁長 祖父は生まれたときには亡くなっているし、父も家で政治の話はしなかった。〝帝王学〟を仕込まれるなんてこともなかった。むしろ、我が家には『政治は家業ではない』という家訓があり、できるだけ政治から遠ざかるように言われていました。だから、父の選挙も母は僕を選挙事務所に行かせたくなかった。僕は物好きなので、勝手に遊びにいってましたけどね。選挙を本格的に手伝ったのは大学生から。父の那覇市長選が最初です。
――その頃から政治に興味を持つようになったのでしょうか?
翁長 正確には大学4年だった2009年、民主党が自民党から政権を奪取した年です。当時の僕はネトウヨバリバリ。
――ネット右翼ですか。
翁長 そうですね。SNSにあがる、韓国は悪い、中国はとんでもない、民主党はダメな党といった右派のコメントをずっと読んでいく。そして、共感のコメントを書き込んでいました。
あの頃、日本は雰囲気がおかしかった。マスコミは政権交代をあおり、盛り上がっていた。僕はマスコミの報道は偏ってもいいと思ってるんです。でも、皆が同じ方向を向くのは変です。流れで民主党に票を入れるのは、いかがなものかと感じていました。保守政治家の息子として根っからの自民党支持で、自民党の敵は自分の敵という意識もありましたけど……
――新聞やテレビといったメディアが政権交代ブームに踊っていたのは確かです。
翁長雄治さん
――いつごろですか?
翁長 2012年末に民主党政権から自民党の安倍晋三政権に代わった後、那覇市長だった父が東京で「普天間基地の県外移設、オスプレイ配備反対」の行動をしたのを境に、ネット上に「翁長の長女は中国の外交官と結婚」「次女は北京大学に入学」なんてデマがあふれました。あまりにアホっぽい作り話に、姉たちと笑っていましたけど。
――笑っていた?怒るのではなくて。
翁長 姉はそもそも独身だし、中国の外交官を連れてはこられんだろう。次女も北京大学には、いくらなんでも入れん。俺たち、そんなに賢くないからねって。次女からは「受けてみんと分からないやん」と怒られましたけどね。
――保守の翁長雄志さんが反基地を言うようになったのはどうしてですか?
翁長 那覇市長になった2000年ごろから、米軍基地について「ほんとうにこのままでいいのか」という話しはしているはずです。少なくとも、市長2期目以降は公言するようになっていると思います。辺野古移転にしても、そもそも沖縄は両手をあげて容認したわけではない。もともと期限付き。小泉純一郎政権でこれが反故(ほご)にされたあたりから、知事も含めてみな、反発しているんです。ただ、小さな県の一市長が発言したところで、世間には届かない。当時、父はそれほどの政治家ではないですから。
――それがネトウヨから目の敵にされるほどメジャーになったのはどうしてでしょうか。
翁長 「言葉」の強さじゃないですか。保守のど真ん中でやってきた人が、自民党から離れることも恐れずに、基地反対を強い言葉で主張し、本土の保守を問い詰める。多くの人が翁長は本気だと信じてくれたのだと思います。
――いずれにせよ、お父さんの雄志さんへの理由のない攻撃を見て、ネトウヨに疑問を持つようになったわけですね。
翁長 他の点では意見が一致するけど、翁長雄志については妙なことを言う。なんか、こいつらおかしくないか。そう思い始めると、民主党や中国、韓国が悪いという主張もあやしく見えてきた。新聞は少なくとも、取材をちゃんとして書くけれど、ネットは取材も何にもない。ネトウヨの主張は事実ではなく、思い込み。自分がそうだと思うことを書いているだけ。SFの世界なんです。
――ただ、ネットの影響力はますます大きくなっています。雄治さんも最近、ツイッターを始めたとか。
翁長 県知事選の時から始めました。ハッシュタグの付け方も分からない素人でしたけど、いまはフォロワーが6500ぐらいですね。選挙が終わったらやめるつもりだったんですが、ふだんからフォロワーをつなぎとめておいて、大事なときに発信するのも手かなと思って続けています。
――慣れましたか。
翁長 いや、まだ。気をつけているのは、真実を書くこと。翁長雄治のツイッターはウソは書いていないという信頼感をどうつくるかですね。
――炎上はしませんか。
翁長 僕、炎上はあまりしたことはなくて。ただ、ネトウヨはついてきてくれるので、いろいろ書かれてはいますが。
――ついてくる?
翁長 ネトウヨが絡んでくる。一番笑ったのは、ラーメンを食べたと書いただけで、叩かれたことですね。「沖縄の貧しい子たちを尻目に食うラーメンはうまいか」って。俺はラーメン食うのもダメなんか、と思いました。ただ、変に反応しても仕方ないので、基本的には無視しています。
――なぜ、ネトウヨは保守の政治家である翁長さんを叩いたのでしょうか。
翁長 米軍基地に反対する人はすべてネトウヨの敵です。でも、ネトウヨは自分の地元に米軍基地ができるのは嫌。米軍を引き受けようとは一切言わない。おかしいでしょ。ただ、それはネトウヨだけじゃない。保守の人たちも、国を守るために日米安保は大切と言いながら、なぜ本土で基地を受け入れないのかと父が問うたら、みんな黙る。結局、これが本土の保守。
保守の政治家にとって最も大切なのは、国と地域を守ることでしょう。僕みたいなペイペイが言ったら怒られるかもしれませんが、国防を真剣に考えている政治家がどれだけいるのかと思ってしまいます。口では国を守るといっても、軍隊も遠い、自衛隊も遠い人たちの言葉に聞こえる。リアルがない。
――戦闘機や軍艦など兵器が目の前にある沖縄は、ある意味、戦争のリアルがありますね。
翁長 そうです。本土にはそういうリアル感はない気がしますね。
翁長 父と小渕さんにはエピソードがあります。父は県議初挑戦の時、自民党から公認をもらえなかった。それに小渕さんが怒り、沖縄まで来て、「自民党が公認しなくても、小渕が公認する」と公言して、応援してくれたと言います。そのあたり、父から詳しく聞く前に死んじゃったのですが……
思えば経世会の政治家には人情があり、話ができた気がしますね。小渕首相が倒れ、岸・福田派の流れをくむ清和研の森喜朗さんが首相になったのが転機でしたね。以後の首相は小泉純一郎さんをはじめ、ほとんどが清和研。清和研の議員は沖縄とあまり縁がなく、沖縄に厳しい。
――安倍晋三首相は清和研ですが、自民党には経世会の系譜の政治家もいるはずです。沖縄と積極的にかかわろうとする自民党議員が少ないのは、なぜでしょうか。
翁長 自民党にもリベラルな考えの先生もおられるのですが、小選挙区制の下、党本部や首相官邸に刃向かえないというのも大きいでしょう。
――小選挙区制は影響が大きいですか。
翁長 中選挙区制のころと違い、小選挙区のもとでは、とにかく党本部や官邸に反対したら当選できない。対立候補を立てられるかもしれないし、お金ももらえないかもしれない。みんな怖いんですよ。ただ、それが自民党の幅を狭めているとは思います。沖縄にゆかりがある方には、ぜひ沖縄に思いを寄せていただきたいのですが……
――2017年8月、雄治さんは那覇市議に当選。14年の県知事瀬で翁長雄志氏を推して自民党県連から除名処分を受けた議員らでつくる政治団体「新しい風・にぬふぁぶし」に所属しています。翁長家3代目の政治家となったわけですが。
翁長 兄弟姉妹で僕が一番政治家に向いていないと、父は母に言っていたみたいです。軽すぎるのかな。ただ、最後は「若いやつが政治に燃えたら誰も止められないんだよ」と母を説得したらしい。
――どうして、那覇市議に。
翁長 自分が育った那覇市のために何かをしたい。3人の子持ちとして、那覇市の課題は何か考えたときに、子どもの医療費であるとか、待機児童の問題とかが見えきた。そうした課題に実感をもって取り組めるのは、子育て世代の自分だろうと。そう考えて、飛び込みました。
――父親が県知事というのはプラスですか、マイナスですか。
翁長 両方じゃないですか。実際、父が那覇市で取る票よりはかなり少ない票しかとれていないですし。ただ、知事の息子で選挙に負けるようなら、自分にもともと政治センスがないんだろうとは思っていました。なので、もし昨年の市議選で落ちたら、政治の道はきっぱり諦めるつもりでしたね。
――翁長雄志さんは最後、「イデオロギーより沖縄アイデンティティー」と言っていました。政治の道に入ったいま、道半ばで倒れた雄志さんのこうした遺志を引き継いでいくつもりですか。
翁長雄治さん
もはや基地でメシを食っているわけではない。なのに本土の人たちの中には、いまだに沖縄は基地のおかげで暮らしているという人がいる。そうではないと本土の人たちに分かってもらいたい。それが沖縄のウチナーンチュとしての誇りであり、アイデンティティーなんです。
――米軍基地というのは、沖縄県人にとって、どういう存在 なんでしょうか。
翁長 僕は米軍が悪いとも、基地が悪いとも言っていません。ただ、どうして沖縄だけがこんなに負担しないといけないのかとは思います。
負担とは、単に面積が多いという話だけじゃない。米兵が多いという話だけでもない。住民同士が分断されて闘わないといけない。沖縄が誘致したわけじゃないものをはさんで、沖縄県民が平和が大事、いや経済だと言って争う。親戚同士、兄弟同士、親友同士で喧嘩(けんか)をする。それこそが一番の負担です。
――翁長雄志さんは沖縄のアイデンティティーを守りたいと言った。それこそが沖縄の保守の思想なのでしょうか。
翁長 保守とは、先人がつくりあげてきた地域や国を守ることだと思います。その意味で、僕は日米安保には賛成です。国の平和は沖縄の平和ですから。ただ、沖縄は本土と違う悩みを抱えている。それは、繰り返しになりますが、本土と比べて、米軍基地をあまりにも多く引き受けているという現実です。それが沖縄の経済的な発展を妨げるなら、基地の加重な負担には反対する。
沖縄が全国の米軍基地の10%ぐらいを引き受けているのなら、沖縄の人も我慢したかもしれない。でも、70%というのはあまりも多過ぎる。だからこそ、本土の保守と対立しても、基地反対を主張することが、沖縄の保守のつとめです。
――保守の大本が、国を守ること、地域を守ること、国を守ること、生活の安定を守ることだすれば、場所によっていろんな保守があっていい、と。
翁長 僕は保守こそ多様であるべきだと思います。イデオロギーに縛られる革新より、違いを認める。その点でネトウヨは保守ではない。自分の信じることだけを言い募り、他を認めないのは間違いです。ただ、いまの日本は、どこもみんな排除の論理なのかもしれない。自民党もそうなっている気がします。
――そうした沖縄の現状を、本土の人にどうやって知らせようと思いますか。
翁長 僕は政治家になりたかった。そんななかで僕は少なくともステージには立った。まだペイペイですが、こうしてマスコミのインタビューを受けたり、ツイッターなどで発信したりして、父・雄志が何を考えていたかをまずは伝えたい。イデオロギーは横に置き、生活のために多くの人と連携する保守でありたい。
ネトウヨは僕が何を言っても、例えば「保守は多様だ」と言っても、「ちげえよ」とからんでくるでしょう。そんな極端な人たちは脇において、極右、極左の間にいる6割の良識ある人たちに訴えることが大切だと思います。
(撮影・仙波理)
有料会員の方はログインページに進み、デジタル版のIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞社の言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください