翁長雄治(おなが・たけはる) 那覇市議
1987年、那覇市生まれ。故翁長雄志前沖縄県知事の次男。大学卒業後、民間企業2社で働いた後、2017年7月に那覇市議選で初当選。現在1期目。
※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです
亡き父の後を追い政治家になった次男・雄治氏が発する沖縄保守から本土への異議
――2017年8月、雄治さんは那覇市議に当選。14年の県知事瀬で翁長雄志氏を推して自民党県連から除名処分を受けた議員らでつくる政治団体「新しい風・にぬふぁぶし」に所属しています。翁長家3代目の政治家となったわけですが。
翁長 兄弟姉妹で僕が一番政治家に向いていないと、父は母に言っていたみたいです。軽すぎるのかな。ただ、最後は「若いやつが政治に燃えたら誰も止められないんだよ」と母を説得したらしい。
――どうして、那覇市議に。
翁長 自分が育った那覇市のために何かをしたい。3人の子持ちとして、那覇市の課題は何か考えたときに、子どもの医療費であるとか、待機児童の問題とかが見えきた。そうした課題に実感をもって取り組めるのは、子育て世代の自分だろうと。そう考えて、飛び込みました。
――父親が県知事というのはプラスですか、マイナスですか。
翁長 両方じゃないですか。実際、父が那覇市で取る票よりはかなり少ない票しかとれていないですし。ただ、知事の息子で選挙に負けるようなら、自分にもともと政治センスがないんだろうとは思っていました。なので、もし昨年の市議選で落ちたら、政治の道はきっぱり諦めるつもりでしたね。
――翁長雄志さんは最後、「イデオロギーより沖縄アイデンティティー」と言っていました。政治の道に入ったいま、道半ばで倒れた雄志さんのこうした遺志を引き継いでいくつもりですか。
翁長 「沖縄は小さな島ですが、そこに住む人たちは胸を張ってウチナーンチュと言えるよう頑張ってきた。本土復帰後、米軍被害と闘いながら、基地に頼らない経済を実現し、さらに飛び立とうという時に、国はなぜ足を引っ張るのか。いつまでも米軍基地を押し付けようとするのか」。父は生前、そう言っていました。僕もそう思います。
もはや基地でメシを食っているわけではない。なのに本土の人たちの中には、いまだに沖縄は基地のおかげで暮らしているという人がいる。そうではないと本土の人たちに分かってもらいたい。それが沖縄のウチナーンチュとしての誇りであり、アイデンティティーなんです。
――米軍基地というのは、沖縄県人にとって、どういう存在 なんでしょうか。
翁長 僕は米軍が悪いとも、基地が悪いとも言っていません。ただ、どうして沖縄だけがこんなに負担しないといけないのかとは思います。
負担とは、単に面積が多いという話だけじゃない。米兵が多いという話だけでもない。住民同士が分断されて闘わないといけない。沖縄が誘致したわけじゃないものをはさんで、沖縄県民が平和が大事、いや経済だと言って争う。親戚同士、兄弟同士、親友同士で喧嘩(けんか)をする。それこそが一番の負担です。
――翁長雄志さんは沖縄のアイデンティティーを守りたいと言った。それこそが沖縄の保守の思想なのでしょうか。
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