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大政変「非自民」細川政権の誕生と挫折

平成政治の興亡 私が見た権力者たち(5)

星浩 政治ジャーナリスト

衆議院本会議で首相に指名され、立ち上がって他の議員の祝福にこたえる細川護煕・日本新党代表=1993年8月6日拡大衆議院本会議で首相に指名され、立ち上がって他の議員の祝福にこたえる細川護煕・日本新党代表=1993年8月6日

日本政治史に残る6月18日

 1993(平成5)年6月18日は、日本政治史に残る1日となった。

 午後6時半、社会党など野党が提出した宮沢喜一内閣不信任決議案が上程され、採決が始まった。自民党からは小沢一郎、羽田孜両氏が率いる羽田派などが造反し、不信任案に賛成する。賛成が上回って可決されれば、憲法の規定で内閣は総辞職か衆院解散・総選挙かの決断を迫られる。

 このころ、私は朝日新聞政治部の自民党担当だった。この日は、国会議事堂と道を隔てた国会記者会館の朝日新聞の部屋で一日中、新聞の記事を書いていた。与野党、国会、首相官邸の担当者から寄せられる情報をもとに、ワープロを打ち続けた。夕刊では「不信任案可決の公算」を書き、朝刊では「不信任案可決 衆院解散へ」という長文の記事を書いた。

 内閣不信任案の採決は記名投票。衆院議員一人一人が、自分の名前が書いてある札を投じる。賛成なら白票、反対なら青票。羽田派の35人は、全員が白票を投じた。羽田派以外でも石破茂氏らが白票だった。そのたびに、野党席からは「おー」という歓声が上がる。

 午後8時16分。桜内義雄議長が投票の結果を発表した。「可とする者、白票255票、否とする者、青票220票。よって内閣不信任決議案は可決いたしました」。野党席からは「万歳」の声も上がる。自民党席の議員たちは青ざめていた。

 自民党が分裂し、内閣不信任案が可決されるという異例の事態だ。宮沢首相は直ちに衆院の解散・総選挙を決断。臨時閣議で解散が決まり、再開された衆院本会議で桜内議長が天皇陛下の解散詔書を読み上げた。自民党分裂から内閣不信任案可決、衆院解散というドラマが目の前で繰り広げられた。私は、まさに「政治史を記録する」覚悟で、ワープロに向かっていた。

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筆者

星浩

星浩(ほし・ひろし) 政治ジャーナリスト

1955年福島県生まれ。79年、東京大学卒、朝日新聞入社。85年から政治部。首相官邸、外務省、自民党などを担当。ワシントン特派員、政治部デスク、オピニオン編集長などを経て特別編集委員。 2004-06年、東京大学大学院特任教授。16年に朝日新聞を退社、TBS系「NEWS23」キャスターを務める。主な著書に『自民党と戦後』『テレビ政治』『官房長官 側近の政治学』など。

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