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本当は怖い国民投票 その前にやるべきこと

冷静な言論空間をつくるために「ランダム・アセンブリ―」の活用も一策

曽根泰教 慶應義塾大学名誉教授 日本アカデメイア運営幹事

イタリアの現役閣僚と会談し、憲法改正の国民投票について議論する日本の国会議員の視察団=2017年7月17日、ローマの首相府イタリアの現役閣僚と会談し、憲法改正の国民投票について議論する日本の国会議員の視察団=2017年7月17日、ローマの首相府

準備が不十分な憲法改正の国民投票

 日本で憲法改正が政治日程にあがりながら、十分な準備がなされているとは思えないことが多い。憲法改正の内容に賛成か反対かの議論のことを言っているのではない。筆者が問題視するのは、国民投票をどうするかということである。

 憲法改正を具体的に進める衆参の憲法審査会では、中身の議論はさることながら、国民投票についてやるべきことが山積ではないか。その際、まず参考になるのは、国民投票を行った海外での事例であろう。

 イギリス、イタリアをはじめ、憲法改正や国民投票を経験してきた国は少なくない。そこで「ランダム・アセンブリー」の手法が使われている事例は、あまり取り上げられてはいないようだが、示唆に富む点が多い。

 本稿では、近年人々の関心を集めたイギリスとイタリアの事例をざっと見たうえで、憲法作成におけるランダム・アセンブリーの役割を考えたワークショップについて紹介し、国民投票をよりよいものにするための提言を試みたい。

参加民主主義の難しさを示した二つの投票

 2016年に実施されたイギリスのEU離脱を問うた国民投票。そして、同じ年にイタリアのレンツェ政権が行った憲法改正の国民投票。この二つの国民投票の結果は、参加民主主義が簡単でないことを厳しく教えてくれた。

 まず前者だが、現在、イギリスが直面しているEU離脱交渉における苦悶(くもん)を目の当たりにして、離脱を決めた国民投票は誤りだったと考える世論が増加している。議会主権のイギリスで、スコットランド独立、選挙制度改革、EU離脱と立て続けに国民投票を行ったことに対する批判もある。

 だがイギリスは、EU問題に関して、過去にも国民投票を行ってきている。EU離脱に関する国民投票におけるキャメロン首相の判断ミスは、国民投票で圧勝し、保守党内の離脱派を封じ込めようという、政治的な意図から生まれたものともいえる。テリーザ・メイの総選挙の前倒しも同様の傾向があった。

 後者について言えば、レンツェ政権は憲法改正の国民投票で敗退を喫して退陣した。ただ、このときの国民投票では、憲法改正の内容というより、政権の可否で問われたともいわれている。国民投票の狙いがずれた形だ。ちなみに、レンツェ政権を引きついたジェンティローニ首相の後、5つ星と同盟(旧北部同盟)のポピュリストによる連立政権が誕生し、首相はコンテになっている。

憲法改正の政治日程に狂い?

 日本では、このほど閉会した臨時国会で、憲法審査会の入り口で野党が議論にのらず、実質審議に入れなかった。現状では公明党が簡単には自民党案には乗らないと表明しており、憲法改正の発議にかかる「三分の二要件」を考えると、議論がなかなか前に進まないという政治的な問題がある。安倍政権が当初もくろんだ「臨時国会での自民改正案の提示」という政治日程は、のっけから狂った。

 この分だと国民投票にまで進みそうもない。だから、国民投票のことまで考える必要はないという意見もあるが、私は疑問だ。憲法改正における国民投票にどう対処したらいいのかの検討は、憲法改正に制度として国民投票が伴っている限り、十分に検討しておくべき課題である。

 とはいえ、いま問われるべきは、今回、先送りされた期日前投票のなど投票環境改善ではない。現在、国民投票をめぐっては、もっぱら民放連が提起したテレビコマーシャルについて議論されている。確かに、それが重要でないとはいえないが、ポピュリズムはテレビコマーシャルだけから発生するわけではない。より奥行きのある、幅の広い議論が必要であろう。

イギリスの町中を走った赤いバス

 一つ目の懸念が準備不足だとすれば、二つ目のそれはポピュリズム的な煽(あお)りである。

イギリスの町中を走り回った赤いバス(筆者提供)イギリスの町中を走り回った赤いバス(筆者提供)
 たとえばイギリスでは国民投票にあたり、「われわれは、週、3億5千万ポンドの拠出金を出している、それを国民健康保険の財源にしよう」と大書された赤いボディーのキャンペーン・バスが町中を走り回った。

 ここでの問題は二つ。一つ目は、英国独立党党首のファラージではなく、保守党の幹部のボリス・ジョンソンがこのバスを走らせていたという点。二つ目は、3億5千万ポンドの拠出金についてのみ大書して、EUとは再分配を行っている統治機関だという点が抜け落ちている点である。

 投票後、勝利した英国独立党党首のファラージは、その誤りを認めざるをえなかった。つまり、イギリスは拠出金を出すだけではなく払戻金をもらっている、と。その分を除くと、国民健康保険をまかなうことはできないからだ。

 実は、このような再分配は、農業、地域、科学、途上国支援など各分野に及んでおり、国民は知らなくても政治家は知らないはずはない。それなのに、その部分を伏せて、離脱を煽ったわけだ。「Post-truth」と言わずして、なんであろう。。

 イタリアでどうだったか。憲法改正の内容(大きくいって、両院の関係と中央地方関係の整理)は、イタリア政治を考えればしごく当然の改革案であった。しかし、国民投票の争点は憲法にはならなかった。途中から、レンツェ内閣の信任投票にすり替わってしまったのである。

 憲法問題に長年携わってきた中山太郎氏は「国民投票とは猛獣である。猛獣使いはまだ現れていない」と述べたといわれる。至言である。国民投票の怖さは、憲法改正派も反対派も心すべきことだ。ついでながらいえば、参加民主主義論者もそれに反対する者も、国民投票の怖さを知っておくべきである。

冷静な言論空間を確保する試み

 国民投票をおこなう際には、なにより冷静な言論空間を確保する必要がある。問題は、誰がどのようにそれを確保するかである。そこで参考なるのが、そのために様々な試みを行ってきた研究者や専門家の経験であろう。

 この11月9日、10日にニューヨークで、「憲法作成におけるランダム・アセンブリーの役割」と題したワークショップが開かれた。民主主義と憲法作成や選挙支援をしてきたNPOの「インターナショナルIDEA」、スタンフォード大学の熟議民主主義センター (CDD) と国連のUNDPの共催であった。

 ワークショップに集まったのは、様々な「ランダム・アセンブリー」を手がけてきた専門家たち。熟議とかミニ・パブリックスとかでくくられることがある「ランダム・アセンブリー」は、いわば無作為で選ばれた人を集めて行う調査である。憲法改正や国民投票においてそれらを利用できないかということがあらためて検討された。

 「ランダム・アセンブリー」の具体例としては、市民議会(Citizens Assemblies)のグループ、ガスティル(ペン・ステート大学教授)の「市民主導のレビュー」(Citizen’s Initiative Review)、フィシュキン(スタンフォード大学教授)や私などがやっている「討論型世論調査」(Deliberative Polling) などが挙げられる。使っている国は、アイスランド、アイルランド、デンマーク、カナダ、オランダ、イギリス、日本(これは私が報告した)などである。

日本で行われたエネルギー選択に関する討論型世論調査。小グループ討論では参加者たちが互いの意見を発表しあった=2012年8月5日、東京都港区日本で行われたエネルギー選択に関する討論型世論調査。小グループ討論では参加者たちが互いの意見を発表しあった=2012年8月5日、東京都港区
 これまで実際に行われた「ランダム・アセンブリー」を見てみると 、まず ブリティッシュコロンビア州、オンタリオ州、オランダでの選挙制度改革に関するものがある。日本と韓国では、政府によるエネルギー選択に関する討論型世論調査があった。アイスランドでは、憲法会議が直接投票で選ばれた25人の一般国民から構成され、憲法改正案の起草を行った。アイルランドでも、無作為に選ばれた市民と任命された政治家からなる憲法会議が憲法改正案を提言した。

 モンゴルでは、すでにDPを法制化し、憲法改正においてどの項目を対象とするかの選択に利用している。出席予定だったモンゴルの官房長官は国会があるために欠席したが、代わりにフィシュキンが報告した(10月に開かれたウランバートルでの「アジアの熟議民主主義の会議」には、フィシュキンも私も出席した)。

 単なる世論調査ではすまない

 憲法改正の公式なプロセスに関与するとなると、単なる世論調査ではなく、詳細な政策決定過程の研究が必要となる。とりわけ議会の過程はどの国でも無視できないし、選挙制度や国民投票手続きについても理解しておく必要がある。国民からのインプットを望ましいとする根拠は何かといった、正統性に関わる議論も含まれてくる。憲法制定の過程に利用すべきか、させるとしたら、どこでどのような形で、といった検討も必要だ。

 国によっては、国民が憲法草案作成に関与することが要求されているケースもある。憲法改正の議題選択のためか、国民投票の対象となる項目の意見分布を探るためかで、異なる対応が必要になる。

 以上を踏まえたうえで、日本の政治過程に引きつけてみると、二つの段階でやるべきことがある。

憲法審査会でやるべきことは

 第一の段階は、憲法審査会の審議の段階である。ここで、憲法改正条項の審査だけではなく、国民投票では国会(憲法審査会)としては何をすべきか、何を準備しておかなければいけないのかを、十分に事前に検討しておかなければならない。

臨時国会閉会日に開かれた衆院憲法審査会=2018年12月10日臨時国会閉会日に開かれた衆院憲法審査会=2018年12月10日
 確かに、制度としては国民投票広報協議会が定められている。すなわち、憲法改正の発議があったときは、その発議にかかる憲法改正案の国民に対する広報に関する事務を行うため、国会の各議院に。その議員の中から選任された同数の委員(各10人)で組織する国民投票広報協議会が設けられることになっている。

 だが、まだ詳細な検討までは至っていない。

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