習近平が出席した式典の翌日、南京大虐殺記念館の展示が大幅に変わった。その狙いとは
2018年12月18日
中国には、日本との過去の戦争について重要ないくつかの日付が存在する。
例えば、日中全面戦争のきっかけとなる盧溝橋事件が起きた7月7日(1937年)、満州事変につながる柳条湖事件が発生した9月18日(1931年)などがそれに当たる。
もう一つ、12月13日も南京で旧日本軍が「40日以上にわたる大虐殺を始めた日」として重視される。2014年に「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」と法律で定められ、それまで地方レベルの開催だった追悼式典が国家レベルに格上げされた。
この年、習近平国家主席は共産党序列3位の張徳江・全国人民代表大会(全人代)常務委員長とともに出席し、演説で「歴史を顧みない態度と侵略戦争を美化する一切の言論に断固反対しなければならない」などと訴えた。
ただしその後、式典でトップを務める「顔」は一定していない。2014年から今年までを振り返ると、以下のようになる。
2014年 習近平国家主席
2015年 李建国・全人代常務副委員長
2016年 趙楽際・共産党中央組織部長
2017年 習近平国家主席
2018年 王晨・全人代常務副委員長
習氏以外は共産党最高指導部(7人)の政治局常務委員ではなく、その一つ下の政治局員だ。2017年は南京事件から80年の節目であり、習氏が3年ぶりに出席したものの登壇せず、兪正声・全国政治協商会議主席が演説を務めた。習氏が出席したにもかかわらず、一言も発さないイベントはかなり珍しい。
私はこの式典を現場で取材したが、国内向けの威信を保ちつつ、国外(日本)の反応を抑える難しい立ち回りであることを、習氏の表情から感じ取った。いずれにせよ国家行事になった初回の2014年を除けば、式典は抑制気味に開かれていると言えるだろう。
(1)写真や資料の展示数が大幅に絞られた。以前は図や絵、写真などが3500枚、資料が3千件、音声・映像記録が140件あったが、写真は2千枚、資料は900件になった。資料が整理されたうえ、「事件当時のものではない」などと日本で議論を呼んだいくつかの写真はなくなっていた。
(2)「人道主義的救援」のコーナーを新設。南京安全区に残って救助活動を続けた外国人の活躍や資料を大幅に増やした。
(3)同様に、当時の様子を伝えた欧米の報道も追加、コーナーとして新設した。この点については、張建軍館長が中国メディアの取材に「第三者の公正な立場による記録が国際社会の関心を引き起こす」と語っている。
(4)日本兵に襲われた民家を再現したジオラマや、死体を模した人形などが撤去された。残虐性をあおる展示を抑制している。
(5)入り口に掲げた序文で、展示の狙いが以下のように明記された。
「本展示の趣旨は、南京大虐殺という痛ましい史実を銘記し、無辜の犠牲者を追懐するとともに、平和に発展する道を断固として歩んでいきたいという中国人民の崇高な願望を表明し、歴史を銘記し、過去を忘れず、平和を心から愛し、未来を開いていこう、という中国人民の確固とした立場を宣言する、ということにある」
(6)習近平氏のコーナーを新設。国家レベルの行事に格上げした2014年の国家追悼式典の写真や演説を展示している。
(7)以前の結びにあった「日本国内の一部の勢力が歴史を歪曲(わいきょく)し、侵略戦争を美化しようとするたくらみに対しては、警戒心を高めなければならない」などの表現を削除。新たに「歴史は歴史であり、事実は事実」「南京大虐殺事件の歴史が語っているのは、平和は勝ち取らなければならず、平和は擁護しなければならず、平和と協力は人類社会進歩の永遠のテーマだということである」などと記した。
日中の有識者で見解の分かれる犠牲者数については、「30万人」の表記が残るものの、記録や写真を重視する実証主義的な内容が色濃くなったことは日本の外交筋も認めるところだ。こうした流れを受けて、福田康夫元首相が今年6月、記念館を訪問している。
展示の変更に触れ、私はそのねらいや現在の対日観について、直接話を聞いてみたくなった。取材依頼の回答にやや時間を要したが、9月中旬に張建軍館長(50)へのインタビューが実現した。2015年から館長を務める張氏とのやり取りを、紹介したい。
――なぜ展示をリニューアルしたのか。ねらいは何か。
中国の博物館のような施設には、ほぼ10年ごとに展示内容を一新するルール、習慣がある。1985年に開館した南京大虐殺記念館の場合、1995年と2007年にリニューアルがあり、昨年が3度目だ。おおむね10年ごとの変更を守っている。
展示点数を減らしたのは、見学者に簡潔に見てもらう工夫である。2014年に館内見学を無料にしてから来館者数が増え続けており、今では年間800万人以上が訪れる。複雑で数の多い展示は、余裕を持って見て回れない。もっとも、習主席は「人々は歴史を踏まえて語るべきだ。資料に基づいて語るべきだ」という方針を示しており、時代の変化に沿った変更でもある。習主席は昨年の追悼式典後に館内を視察したが、「展示方法の質が上がった」と評価をいただいた。
――死体の人形などが消え、残虐性や悲惨さが抑制されていると感じたが。
その質問の前提として言いたいが、我々の展示内容は、以前から反日感情をあおる目的などないことを理解してほしい。日本の一部に抗日記念館の存在と反日感情を結びつける見方があることは知っているが、それは違う。
中国は確かに「抗日教育」を行っているが、それは「反日教育」ではない。では抗日教育とは何か。それは1931年から45年まで中国への侵略を続けた悲惨な歴史に対する学習を指している。ナチスのユダヤ人虐殺を挙げるまでもなく、民族や国家がひどい目に遭った歴史は記憶し、とどめておくべきだろう。抗日と反日は分けて考えるべきだ。
――この記念館は愛国教育拠点でもある。抗日戦争と建国の歴史は分けられないと思うが、そうした指導が現在の日本に向かわないということか。
当然だ。抗日教育は今の日本とは完全に切り離している。同じというなら、現代の多くの中国人が日本の文化や製品を好み、関心を抱く状況をどう説明するのか。私の友人もたくさん日本へ旅行しているが、みな素晴らしい環境であり、礼儀正しいという印象を抱く。中国に来る日本人も多くを感じているだろう。
我々は隣国なのに、あまりに互いを知らない。「知る教育」がもっと必要だと思うし、この施設もそのためにある。過去を知り、現在を知ってこそ、未来を語れるのではないだろうか。
――2015年に南京事件に関する「南京大虐殺の記録」が世界記憶遺産に登録された際、日本政府は遺憾の意を表明した。どう感じているか。
共通した歴史認識を持つことは重要だと思う。繰り返すが、現在の中国人は、過去の日本軍が侵した罪を今の日本に償わせるつもりなど毛頭ない。
ただし、現在の日本人や日本政府が過去の軍国主義をどう評価しているのかは気になる。過去の罪をあいまいにしたり否定したりするならば、それは新たな過ちを犯していることになるだろう。
和解とはどういう行為なのか。私は、河の向こう岸に渡るような感覚を持っているが、記憶遺産登録に遺憾の意を表明した日本政府は、綿を背負って水に入り、その荷物を自らどんどん重たくしてしまったように感じる。
――事件の被害者数を巡っても、30万人を主張する中国と、20万を上限に4万や2万などさまざまな推計がある日本の認識には差がある。共通の歴史認識を持つために努力する余地があるのでは。
被害者数に関する論争があることも承知している。だが、これは傷口に塩を塗る行為ではないか。
被害者数について中国の立場を説明すれば、極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決に「南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は、20万以上(筆者注:松井石根大将の判決部分では10万以上)」という数字がある。1947年の南京戦犯軍事法廷では、28件の集団大虐殺で19万人の犠牲者、858件の散発的な虐殺で15万人の犠牲者がいたとされ、あわせて30万人以上となっている。
大事なのは、日本政府が1951年のサンフランシスコ講和条約で東京裁判やその他の軍事法廷の判決を受け入れたことだ。
当然、戦争という混乱の中で犠牲者一人ずつを調査できない背景がある。だが、それにしても「被害者は何人か」という論争が現在まで続く状況は一体何なのだろうと感じてしまう。
ちなみに日本の虐殺否定派の中には「当時の人口が20万人だった南京で30万人は殺せない」という主張があるようだが、20万は欧米人が管理した「安全区」内の人数であり、南京市全体ではない。こういう前提での議論にどれほどの意味があるのか。
――ただ、2010年に発表された有識者による日中歴史共同研究でも、被害者数は両論併記にとどまっている。もう一度研究する価値はないのか。
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