2019年01月01日
2019年4月30日、その30年以上にわたる在位を終えて、明仁天皇は生前退位される。翌5月1日にはそれを受けて、徳仁皇太子が新天皇に即位される。「天皇の代替わり」という、日本人にとって30年ぶりに体験する「御代(みよ)の交替」は、戦後70年以上にわたって続いてきた「象徴天皇制」のありかたについても、われわれ日本人に再考を促す契機になってくれるのではないだろうか。
本稿では、現天皇の来し方と新天皇の行く末について、欧州の君主制との比較も交えながら、若干の私見を述べてみたい。
「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました」
これは、2016年8月8日の午後3時から、明仁天皇がテレビ放送を通じて国民全体に伝えた「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」のなかの一節である。
1989年1月に皇位を継承して以来、明仁天皇は常に「象徴とは何なのか」という問題を考え続け、ご自分なりに実践されてきたのではないだろうか。
周知のとおり、戦後の象徴天皇の役割は次の三つに分かれる。
まずは、日本国憲法に定められた「国事行為」(内閣総理大臣の任命や国会の召集、栄典の授与や外国の大使・公使の接受など)。次に、「公的行為」(全国への行幸や外国からの国賓の接受、国賓としての海外訪問や園遊会の主催など)。そして最後に「私的行為」(宮中祭祀)である。
なかでも「公的行為」は、天皇自身の意思が比較的反映されやすい公務である。明仁天皇は30年に及ぶ在位のなかで、特に二つの公務を「公的行為」の柱としてつけ加えた。
ひとつは「被災者への慰問」である。
このようなときに明仁天皇と美智子皇后は、状況がいったん落ち着くやすぐさま現地に駆けつけ、体育館や避難所に入るとすぐに膝を屈して、被災者たちと同じ目線で話しかけている。そして、多くの被災者たちがおふたりの真心に打たれている。
つい最近も、北海道胆振東部地震(2018年9月)のわずか2ヵ月後(11月15日)に、おふたりは被災地を訪れ、人々を見舞い、激励した。
もうひとつが太平洋戦争(1941~45年)で犠牲となった人々への「慰霊の旅」である。
自らの戦争体験と平和の存続を希求する戦後の国民意識とに支えられながら、明仁天皇は毎年の戦没者追悼式に出席されるとともに、国内外の激戦地に慰霊の旅を重ねてきた。
終戦60周年の2005年6月にはサイパン島を、そして70周年の2015年には南太平洋のパラオを訪れている。また、大戦中の捕虜虐待問題が今も尾を引く、英国やオランダでの戦没者追悼にも真摯(しんし)な姿勢で臨んでおられる。
筆者は、2018年に『立憲君主制の現在─日本人は「象徴天皇」を維持できるか』(新潮選書)を刊行した。このなかで筆者は、戦後の象徴天皇制を現代的な立憲君主制の一例として位置づけ、欧州やアジアの君主制と比較しながら考察した。
英国では、エリザベス2世女王が議会会期中は週に一度必ず首相と二人だけで会見し、その時々の政治問題について率直な意見交換を行っている。デンマークやノルウェーなど北欧でも、主には閣僚から構成される国務会議を君主が主催し、同じく意見交換が行われる。
ベルギーやオランダでは、政党同士の衝突が激しくなると、君主がその仲裁役となる場合が多い。2010~11年にかけて史上最長の541日間にわたり正式な政府を樹立できない事態がベルギーで生じたとき、その打開策を示したのが時の国王アルベール2世であった。もちろんこれらの君主たちは、天皇と同じく「国事行為」を担ってもいる。
欧州のなかで、日本の天皇制に比較的近いのがスウェーデンの王制かもしれない。1974年の憲法改正により、同国では国王に首相の任命権が与えられなくなり、その政治的権限の多くが失われた。これ以後、スウェーデンは「象徴君主制」をとっている。しかし国王をはじめ王族たちは、いまだに外国からの外交官を接受し、自ら国賓として各国を回り、また各国からの賓客を宮殿で歓待している。まさに「王室外交」の担い手なのだ。
こうした海外の人々との交流は、「皇室外交」とは呼ばずに、「皇室による国際親善」と形容されている。しかしそれは、閣僚や職業外交官たちによる「ハードの外交」に負けず劣らずの影響力を備えた「ソフトの外交」にほかならない。
海外との通商や軍事上の協定、国境問題などは、政府間で取り決められるまさに「ハードの外交」によって担われている。しかしハードとハードはしばしばぶつかりやすいものである。昨今の米中間の「通商戦争」や日中関係、日韓関係を見ても明らかであろう。
他方で、国家間の協定の締結や国境の確定などに直接的な力は及ぼせなくとも、二国間の関係を継続的・安定的に維持していくうえで、「ソフトの外交」がもつ威力は計り知れない。皇室や王室が21世紀の今の世においても、国民や国家に寄与してくれているのが、まさにこの「継続性と安定性」とにある。
2018年9月には、修好160周年を記念してフランスを訪れられ、ヴェルサイユ宮殿での晩餐会でマクロン大統領夫妻から大歓待を受けたことは、読者の記憶にも新しいのではないだろうか。
徳仁皇太子と雅子妃は、日本史上初めて海外に留学経験のある天皇と皇后ということになる。英語などの語学の才に秀でているだけではなく、2018年6月に銀婚式を迎えられたこれまでの四半世紀の間に、やはり世界中に知己を持たれ、きたるべき「即位の大礼」にはそうした海外の貴顕が数多く招待されることは想像に難くない。
新天皇と皇后には、これまで明仁天皇と美智子皇后が続けてこられた海外への「慰霊の旅」ももちろん大切であるが、それ以外にも新たな道を模索されることも可能であろう。
たとえば、徳仁皇太子は「地球の水」問題を長年探究されてこられた。2018年3月にもブラジルで行われた「世界水フォーラム」に出席され、国連が主催する「水と衛生に関する諮問委員会」でも、オランダのウィレム・アレクサンダー国王とタイアップされて、国際的に活躍されている。
たとえばスウェーデンのシルヴィア王妃は、「世界子ども基金」を立ち上げ児童福祉に邁進(まいしん)している。英国のアン王女(エリザベス女王の長女)も、第1次世界大戦直後に創設された「セーブ・ザ・チルドレン」の総裁を、もう半世紀近くにわたって務めてきている。さらにヨルダンのラーニヤ王妃は、まだ男尊女卑の気風が残る中東社会のなかで、女性の権利を主張し、女性のための職業訓練学校の設立などに余念がない。
2018年12月9日のお誕生日の会見で、雅子妃は児童の貧困や地球温暖化などに懸念を感じていると表明され、こうした問題の防止に積極的に取り組んでいきたいとも話された。まさに欧州や中東などですでに展開されている「女性王族ネットワーク」に加わるという可能性も、皇后に即位された暁には大いにありうるのではないだろうか。
こうした国際舞台での活躍とともに、新たな御代で期待されるのが、より多くの国民に接する機会を持っていただきたいということである。
もちろん明仁天皇と美智子皇后は、すでに述べた被災地訪問に限らず、数々の行幸啓により多くの国民たちと接してきている。しかし「皇室」自体をより多くの様々な層の人々に近づけても良いのではないか。
たとえば園遊会である。毎年春と秋に赤坂御苑で開かれる園遊会には、それぞれ2500名ほどの人々が招かれるが、皇族と親しく歓談できる人数は限られている。
英国では年に4回の園遊会があり、それぞれに8500人以上、年間で実に3万人以上が招かれる。その多くが地域の共同体に貢献したボランティアの人々なのだ。しかも英国では20人ほどの王族が園遊会場に作られたブロックを各々回り、招待客は必ず1人以上の王族と親しく談笑できるしくみになっている。
さらに叙勲である。日本では年間に8000人以上もの功労者に贈られることもあるが、実際に天皇から授与される(親授という)のは、大綬章や文化勲章などほんのわずかで、あとは同じ勲等のひとたちが集団で天皇に拝謁しておことばを賜るだけである。
対して、英国では叙勲式を年間20回以上にわけて、女王がひとりひとりに言葉をかけながら勲章を着けている。近年では、女王の高齢化にともない、皇太子や王子たちも分担している。
園遊会や叙勲については皇室や宮内庁の裁量だけでは決まらないことであろうし、上記のように枠を拡げたとしても、これに関わるひとは国民のほんの一部に限られていよう。
より直接的に国民全体と接する機会になりうるのが、テレビなどを通じた「メッセージ」ではないだろうか。
冒頭で紹介した2016年8月8日の明仁天皇による「おことば」は、日本列島に大きな衝撃を与えた。やはり天皇が、記者会見を通じてではなく、テレビの画面を真正面に見すえて、国民ひとりひとりの目を見つめながら自らの見解を述べるというのは、国民をより皇室に近づける手段となるのではないか。
英国では現女王の祖父にあたり、明仁天皇も皇太子時代に英語の評伝を講読されて親しみを持つ、ジョージ五世の時代(1932年)からBBC(英国放送協会)のラジオを通じた「クリスマス・メッセージ」の習慣が始まった。エリザベス2世も、即位した年から現在に至るまで毎年放送を続けており、1957年からはテレビ放映も併用されている。
この慣習は、やがて周辺各国にも広まり、同じく毎年クリスマス・メッセージを国民に寄せるようになったのが、スウェーデン、ベルギー、スペインなどである。
日本では天皇が「クリスマス」にメッセージを寄せるのは難しいかもしれない。むしろ「新年(ニューイヤー)」のメッセージがふさわしい。これにしても、デンマークやノルウェーの君主たちが、近年実施して国民の多くが視聴している。
皇室は、それぞれの皇族のお誕生日に記者会見が開かれているが、それとは個別に天皇自らがテレビやラジオを通じて、定期的に国民に直接語りかける、という慣例があってもよいのではないか。
「開かれた皇室(王室)」というものは難しい。あまりにも開きすぎると、君主制特有の「神秘性」が薄れてしまう。とはいえ、あまりにも閉ざされすぎていると、今度は国民からあまりにも遠い存在となってしまい、まさに「雲上人」として、一部の人々のものになってしまうか、大多数の国民の手が届かない存在になってしまう。
新しい天皇と皇后はこうした問題点も充分に考えながら、政府や宮内庁と連携しつつ、新しい皇室のありかたを見いだしていってほしいと祈念してやまない。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください