住岡尚紀(すみおか・なおき) 明治学院大学生
1995年喜界島生まれ。鹿児島県立喜界高校を卒業後、明治学院大学に入学。2015年に国連ユースボランティアでウガンダ共和国のUNDPに派遣。2016年、内閣府次世代グローバル事業世界青年の船に参加。バイトを4つ掛け持ちしながら俳優業にも挑戦中。中高の社会科と英語科の免許取得を目指し在学中。将来の夢は「島と世界を繋ぐジャーナリスト」。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
奄美の島で小学生だった祖母は特攻隊員たちに会っていた
12月25日は、僕が生まれ育った喜界島が日本に復帰した日である。
1995年生まれの僕は、生の戦争も、米軍統治下の奄美群島も、もちろん知らない。それでも2018年10月18日、実家から歩いて5分ほどの民家の敷地内で戦時中の不発弾が爆発したとみられる大事故のニュース速報をLINEで見たとき、僕は故郷の島と戦争の密接な関係を感じずにはいられなかった。
それは民家の倉庫1棟が半壊する大事故だった。地面には最大で幅10メートル、深さ3メートルの楕円形の穴が開いたという。周辺からは金属の破片が複数見つかり、地中に埋まっていた不発弾が爆発した可能性があるということだった。
近所の住民は「窓ガラスがガタガタと揺れた。地震でもないし何だったんだろうねという話もした」「何で爆発したか分からないと、住民は心配。原因を調べてほしい」などと話したという。
喜界町では、去年12月と今年6月に不発弾が見つかり、自衛隊により爆破処理されている。いずれも太平洋戦争中の米軍の不発弾で、今回の爆発も同時期の不発弾の可能性があるということだった。