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韓国で暮らす日本の子どもたちが萎縮しないために

下校した娘が聞いてきた。「日本って昔韓国に悪いことしたん?」。さて、どうする!?

藏重優姫 韓国舞踊講師、仁荷工業専門大学語学教養学科助教授

 

タリンでの日本の文化についての勉強会。

この韓国で、私は日本人

 「韓国の教育熱に確実に巻き込まれている私」に続いて、韓国での子育てについてもう一考。

 思い返せば、韓国に移住してきた時から「私は、ここでは日本人として見られる。日帝時代の敵なのだ」と構えていた部分があります。

 在韓日本人の知り合いに聞くと、「そう? そんなこと思う? それは考えすぎだよ」という言葉が返って来たので、私がちょっと敏感なのかもしれません。

 私は韓国人(朝鮮人)の日本人に対する、被害者の加害者に対する、感情を知っています。母から、親戚から、知り合いから、いろんな人から聞いてきたということもありますし、韓国の大学院に通っている頃、大学院での知り合いが「日帝時代に自分のおじいちゃんが日本兵に…」と話しかけてきたこともあります。

 もちろん、その時の彼は私に気を使いながら遠慮がちに話しかけていましたが、私がアメリカ人だったらそんな話はしなかったんじゃないかな、と。つまり、私の日本と言う部分に語りかけていたんじゃないかな、と思うんです。

 そういう意味で私はここでは日本人なのです。

 ですので、自分の娘を韓国の小学校に送る時、一番心配した事が「日本人!」と揶揄されないかということでした。韓国のルーツを持っている私が、かつて日本で「朝鮮人!朝鮮人帰れ!」と言われたように、今度は娘が韓国で「日本人!」と言われるかもしれないと思ったのです(「日本人よ、韓国人よ、在日コリアンよ、私は私だ!」参照)。

娘が日帝時代のことでいじめられたら…

 とにかく、娘がクラスで「日本人!」だとか、「お前らは昔、俺らにこんな酷いことをしたんだ!」などと言われた時には、私は怒り心頭に発することでしょう。

 考えてみると、この怒りの中身には、色々あることに気づきました。

①その人個人に責任の無いことをわざと言って、傷つけようとするその低質で意地悪な態度について腹が立つ。

②私の祖父は日韓合併の数年後、14歳で単身韓国から日本に渡った。後、祖父の子どもらである2世の母を含む叔父叔母たちの悔しさ混じりの苦労話はよく聞き知った話であり、その4世代目に当たる私の娘を「日本人!」といじめることは、祖先たちの苦労までも侮辱することにつながる。

③娘の日本のルーツと言えるのは、宮崎出身の私の父である。親戚中の反対を押し切って堂々と在日2世の母と結婚し、当時から「朝鮮人」に味方する数少ない日本人であり、その父までもを侮辱することになる。私が「朝鮮」のルーツを隠さずに生きてこれたのには、父の考えや行動も多きく関わっており、そんな父を汚してはいけないからである。

 要は、娘が日帝時代のことでいじめられるようなことがあれば、それがゆえに苦しめられ、その都度闘ってきた祖先たちをもう一度踏みにじることになるので、とても腹が立つのです。

 ですから、私は娘が一年生に上がる時、担任の先生に長い手紙を書きました。10年ぶりの韓国語での文章でしたので、文法間違いも誤字もあったと思いますが、そんなこと気にしません。それは長い長い手紙になりました。

 親としての「この勢い」だけでも伝えなければなりません。先生は「丁寧な手紙をありがとうございました」とだけおっしゃっただけで、私の危惧するところとはピントが合っていないのか、ただ友達とは仲良くやっていると言うだけで、あまり日韓の歴史的問題の中で娘を捉えようとはしませんでした。

 ま、そらそうですよね。まだ煙も火も立っていないのですから。

娘が日帝時代のことでいじめられたら…

 しかし、娘が1年生の時、学校から帰ってきて私にこう聞いたことがあるんです。

「なあ、日本って、昔韓国に悪いことしたん?」

 一瞬絶句しながらも、「来たな」と思いました。動揺している姿は見せたくないと思い、「うん、そうやで」と、とりあえず即答。それから、ゆっくり土地政策事業、創氏改名、強制連行など簡単な言葉でざっくりと話しました。

 娘にとっても私にとっても、両国のルーツを否定するだとか、無かったことにするだとかということは、自身のアイデンティティを築き上げていく上で、結局は良い方法ではありません。

 ですので、歴史問題を娘に語る時、「罪を憎んで人を憎まず」を心がけます。悪いことをしたという事実は認識させつつも、とにかく言葉を選びながら、人がそうなる背景についても考える必要を促します。ま、今の娘を見る限りどこまで通じているかは定かではありませんが、ことあるごとに背景を見るように説明します。構造的に捉えるようにと。

 それから、2年生、3年生になって担任が変わる度、私は担任に娘の背景を知らせる手紙を書いてきましたが、今年、娘が4年生になる時は、もっと手紙が長くなりました。小学校4年からはそろそろ歴史教育も始まると聞いていたからです。

「歴史教育については賛成だが、娘がそのことのために友達から何か言われるようなことがあれば、それは担任が責任を持って解決してほしい」

 私は手紙にそう書きました。そして、春の個人面談の時には、もう一度私の口から娘の背景を説明し、また歴史教育の重要性も重々認識していると伝えた上で、「それと個人攻撃は別物であり、もしそんなことがあった時は、先生は学級の子どもたちにさらに色々と説明し、個人攻撃は意味の無いこと、なぜ悪いことなのかをしっかり教える必要が出てきますよね」と釘まで刺しました。

 見れば、先生は私よりずっと年下だったんです。ここは上下関係を大切にする韓国ですので、年上という立場が私を後押ししてくれているようで、思い切って話すことができました。

 先生が神妙に聞いておられたのがとても印象的です。知ればとても良い先生で、何事もなく4年生が終わろうとしている今、わざわざ釘をさす必要も無かったのかもしれません。

被害者の国で暮らす加害者の国の子どもたち

 そして、私はこんな経験を通じて、韓国で生活する日本人の子どもや日本にルーツを持つ子どもたちはどうしてるんだろうかと関心を持ち始めました。

 ちょうどその頃、知り合いからこんな案内を頂きました。韓国に住む日本の子どもたちに日韓の歴史を教えているというのです。継承日本語教育研究会が行っている朝鮮通信使の勉強会でした。

 朝鮮通信使は、昨年世界記憶遺産としてもユネスコで認定されましたよね。この勉強会の名前は「タリン(多隣)子ども継承語教室」。歴史だけでなく「お米」などの身近な文化も取り上げて歴史や地域的な観点で学ぶ。自分たちの文化を多角的な視野でとらえながら大切にしていくという勉強会です。

 母がかつて私に韓国語の単語を教えたり、歌を教えたり、歴史を教えたり、日本にいながらも韓国の文化を大切にする精神を教えてくれたのと同じだなと思いました。

タリンでの日本の文化についての勉強会。
 「タリン(多隣)子ども継承語教室」は、韓国に住む日本人、在日コリアンの女性が先生役を務めたり、運営を担当したりしているのですが、立場も様々ですのでこの勉強会に対する思いは繊細で、その人その人で微妙に違うんだろうなと思います。

 ただ、被害者の国で暮らす加害者の国の子どもたちに、委縮した暮らしはしてほしくない。未来に目を向けてほしい。過去の仲の良かった時代、植民地時代、色々な歴史を知り、考えながら生きていってほしいという思いが感じられました。

 韓国にいると豊臣秀吉や植民地政策などの負の歴史ばかり聞こえがちですが、日韓の友好の歴史は何百年もあり、仲の良い時代もあった。そこにも目を向けよう。委縮せず未来志向で過ごしてほしい、という親たちの思い。私と同じでした。

 ドイツのヴァイツゼッカー大統領の終戦40周年の時の演説文「荒れ野の40年」を思い出しました。中学2年でしたが、子どもながらに日本とは全然違う歴史観、またその演説をなすべくしてなした社会的雰囲気に対しても「ドイツ凄いな~、いいなあ」と思ったものです。

 「過去に目を閉ざすものは未来にも目を閉ざす」

 取り返しのつかない大きな間違いをした加害者の国の大統領が、自国の残虐で愚行の歴史の一々を取り上げ、時には描写するように語り、そして反省の言葉を連ね、より良い未来に向けた教訓やそれに対する覚悟を述べる。あるがままを受け入れ、それに目を閉ざさず、未来を見据える。勉強会のお母さんたちにも共通する何かがあるような気がしたのです。

在日コリアンは日韓の平和を心から願う

 私は、日韓の文化交流について常々こんなことを良く思います。在日コリアン自体が文化交流なんだと。つまり、日本人の中にポツンと在日コリアンがいる。もうこの「状態」こそが「日韓文化交流」なのだと。

 なぜ、日本と韓国はこの絶好の存在を使わないのかと、思うのです。

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